役所に相談してください ― ある日の物件で起きたこと
今回は、私が実際に経験した出来事をもとにした短編エッセイです。
普段は「雑談三昧」で軽めの話をしていますが、今回だけは少し真面目な内容になります。
といっても、悲壮感を煽るつもりはありません。
ただ、「こういう悲劇は、構造さえ変われば避けられる」という思いを、
短くまとめておきたいと感じました。
読む人にとって重すぎないように、できるだけ淡々と書いています。
何か一つでも届くものがあれば幸いです。
今日は、忘れられない一日になった。
管理する物件で、ひとりの方が亡くなられた。
72歳。真面目そうな人だった。
病気で一ヶ月ほど入院していたという。無職。
事情は何も知らない。けれど、生活に困っていたのではないかと思う。
警察と一緒に、防犯カメラの映像を確認した。
淡々と、いつも通りの作業のはずなのに、その瞬間だけ胸が重くなった。
5階の手すりを乗り越えたあと、
その人は必死に手すりにしがみついていた。
「生きよう」とする本能が、最後の最後に身体を動かしていた。
その矛盾が、なんとも言えない“悲劇の形”に見えた。
——本当は、その執着をもっと早く使えればよかったのに。
役所にさえ行けば助かる命だったかもしれない。
日本には「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されている。
治療もできるし、生活もできる。
生活保護は恥ではなく、“権利”だ。
でも、真面目な人ほど、全部を自分で背負ってしまう。
苦しさも、病気も、お金の不安も、人に頼ることなく処理しようとしてしまう。
そして、限界が来たとき、もう誰にも声をかけられなくなる。
これは個人の問題ではなく、社会の構造がつくった悲劇だと思う。
「助けを求めるのが恥」
「我慢しなきゃいけない」
「国の世話になるなんて申し訳ない」
この“恥の文化”のせいで、救えるはずの命がこぼれ落ちていく。
本当に、なんとかしないといけない。
最後に、今日改めて強く思ったことを書く。
苦しかったら我慢しないでください。
一人で抱えないでください。
役所に相談してください。
生活保護はあなたの権利です。
これが、今日の出来事から私が受け取ったメッセージだ。
人の人生には誰にも見えない背景があります。
そして、支援を受ける権利があるのに、そこへ辿り着けない人もいます。
今回の出来事に直面して、改めてそのことを強く感じました。
もちろん、私に何か大きなことができるわけではありません。
ただ「苦しいときに頼ってもいい」というメッセージだけは、誰でも発信できる。
それなら、せめてその一歩だけは書いておきたかったのです。
読んでくださって、ありがとうございます。
また別の軽い話題でお会いしましょう。




