44枚目 約束通り
『蜃気楼の夜』
あるいは『陽炎の幻夜』、『焔の虚想』など……科学の見解で言うなら『集合的無意識による全世界催眠』なんて馬鹿げた解釈もあっただろうか。
呼び名は様々だが、あの夜――《滅却樹》の炎が世界を覆いつくした夜のことを、世間ではそんな風に呼ぶようにしたらしい。
なにせ滅亡の直前まで陥っていた世界が一変、何事もなかったかのように元の姿を取り戻していたのだ。
魔術に通ずるような者ならいざ知らず、「表」の住人にとっては夢か幻かとしか理解することができなかったのだろう。
そう。《滅却樹》の存在を世界は夢や幻として結論を付けたのだ。
――まあ、実際に嘘で上塗りしただけだから似たようなモノだが。
だとしても、アグルが世界を塗り変えることに成功したのは確かな事実だ。
アネイヤの野望を打ち破った。それは間違いなく喜ばしいことだろう。
……しかし。
被害の全てが「なかったことになった」、なんて結果にはならなかった。
確かに《滅却樹》の炎による被害は塗り替えられて元通りとなった。
だが、延焼によるさらなる火災や、パニックによる暴動など二次的な被害を挙げればキリがない。
犠牲者の数も教会が把握しきれないほどに多く――そして何より、ヘイグリッドをはじめとした人々の死が覆ることもまた、なかった。
……どれだけ取り繕ったとしても、世界を覆いつくす災害があったのは事実だ。
今回の騒動を経て、世界はさらなる変容を果たすことだろう。
人々が復興に向けて動きながらも各国のパワーバランスが揺らぎ、多くの対立関係が浮き彫りとなるはずだ。よくて隣国同士の小競り合い、最悪多くの国々を巻き込む大きな戦争が起こるかもしれない。
だが、それでも。
世界はこれからもその歩みを続けていくことだろう。
一人一人が大切な者との別れから立ち上がり、再び前へと歩み出すように――
◇――――――
その日、カウレインは快晴に恵まれていた。
畑に実った小麦が収穫の時期を迎え、それらを求めて各地から多くの商人などがこの町へ訪れる。
この時期がカウレインの一年における最盛期なのだそうだ。
その喧騒は主に町の中心部や畑や牧場などがある町の郊外がほとんどで、ちょうどその中間にある住宅地などは喧騒から隠れるように、いつもの落ち着きを保っていた。
食堂《パストベートン》もその一つ。
そこが、アグルがカウレインで最後に立ち寄った場所だった。
「……しっかし、アグルのあんちゃんも大変だねぇ」
窓から見える道路を行商人の一団が通っていく。
それを眺めながらアグルたちが食後の紅茶を飲んでいると、料理の食器を片づけに来た店主が話しかけてきた。
現在、店内にいるのはアグルたちだけだ。
昼食前という時間帯であるのもそうだが、最盛期と言うだけあっていつもの常連客達も己の仕事が忙しいのだろう。
アグルは紅茶のカップを置いてから店主へ言葉を返す。
「大変なのはどこも一緒だろう? アンタの奥さんだって怪我で寝込んでいるんだ」
「……そいつを言われちゃあぐうの音も出ねぇが、まあアイツはそろそろ復帰できるほどには回復したからな。けどあんちゃんの所はレザーレイクにいた他の使用人たちはみんな入院なんだろ? 助かったのは偶然こっちに来ていたあんちゃんたちだけだって」
「ああ……確かに。それに関しては運がよかったとしか言いようがない」
「違いねぇ。……いくら夢や幻みたいに消え去ったって、あの夜のことはきっと忘れることはねぇだろうさ。カウレインだって、聖女様がたまたまお忍びで滞在してくださっていなかったらどうなってたことか……」
「……今頃は事後処理で悲鳴を上げてるだろうな」
「ん、何か言ったか?」
「いいや、気のせいだろう」
首を横に振ってアグルは再び紅茶に口をつける。
「まっ、奇跡だろうが魔法だろうが、オレ達は無事に助かったんだ! そのことにはちゃあんと感謝してがんばって復興してかねぇと!」
「……ああ、そうだな」
力強い店主の言葉にアグルは頷いて同意した。
それから買い出しから戻ってきた店主の娘も混ざり、いくつか他愛もない世間話に花を咲かせた後、ほどなくしてアグルは席を立った。
「……もう、行っちまうのか?」
「あまり長居し過ぎるのもな。色々と世話になったよ」
言って、アグルはテーブルに会計分の金銭を置いた。
金額を少し上乗せしようとも思ったが、今日に限っては店主の娘でも受け取ってはくれないだろう。
金銭を確認した店主の娘がカウンターに向かうのと同時に、店主が鼻のあたりを指でこすりながら問いを投げてきた。
「それで、また来てくれるのか?」
「さあ、どうだろうな。一度レザーレイクに向かうことになるだろうが、その後はどうなるか分からない。次に来られるとしても、どれくらいになるか……」
「そうかい……」
「……だが、アンタの作るグラタンは美味い。近くを寄った時には、また食べに来るよ」
「ハハッ! そうこなくっちゃ!」
ニカッと人の良い笑みを浮かべて店主がアグルに肩を組んでくる。
「確かにそうさ! オレのグラタンは絶品だからな!」
「あら、私の焼くパンだって負けてないでしょ?」
気前よく笑う店主に応えたのは女性の声。
店主の奥さんの声だ。店の奥から出てきた彼女を見て、アグルが声をかける。
「もう起きて大丈夫なのか?」
「もちろん。今日はアナタたちが最後に来てくれる日だもの。怪我の調子もいいし、この人にだけで見送りなんかさせないわ」
「そうそう。お父さんだけだとウチが暑苦しいお店だって思われちゃいますし!」
「お前なぁ~」
同じくカウンターから戻ってきた娘に店主がぼやく。
父のぼやきには慣れっこなのか娘は涼しい顔で店主の横を通り抜け、抱えていた紙袋をアグルへ差し出した。
「ん……それは?」
「サンドイッチを作ってみたんです。よかったら食べてください!」
「レザーレイクには乗合の馬車でも使うんでしょう? 娘と一緒にリハビリがてら作ってみたの。大丈夫、こんなことでお代はとらないわ」
「アグルさんにはお店の修繕とかでお世話になりましたし、そのお礼です!」
「そうか……なら、ありがとう。助かるよ」
紙袋を受け取り、アグルは自分の荷物を持つ。
「また来てくださいね、アグルさん!」
それと――娘は言葉を切りながら視線をアグルから外し、テーブルを挟んで彼の対面に座っていた『少女』へと優しい笑顔を向けた。
「クライちゃんも、元気でね?」
「……うん」
◇――――――
世界を焼く尽くさんとした《滅却樹》はアグルによって塗り変えられた。
多くの命を救うことができた。
世界中にいる、名も知らぬような人々。
カウレインの住人たち。
アンシアやラトレイナたち。
――そして、クライ・レヴィアテイル。
誰もが救うことを諦めていた彼女を、アグルは救い出すことができた。
だが、払った代償は決して少なくはない。
多くの犠牲、多くの混乱……そしてアグルにとっては何よりも、アグル・バレンダ自身の『死』だろう。
あの夜、《滅却樹》の化身たるアネイヤとの闘いによってアグルは死んだ。
死の直前に彼が『自分を構成する全て』を《黒の虚偽》によって描き、生まれたのが今のアグルである。
アグルの記憶もあるし、感情もある。
なんなら《黒の虚偽》も問題なく使うことが出来た。
『自分が死んだ』という経験こそあれど、今のアグルは生前の自分と地続きの存在……と、少なくともアグルや周囲の面々はそう認識していた。
――だからこそ、こうしてラトレイナにお目こぼししてもらえているからな。
世界を焼き尽くしかけた《滅却樹》を止めたアグルの《黒の虚偽》。
そんな尋常ならざるチカラを知って、教会が黙っているはずがない。
ラトレイナの根回しがなければ、アグルは今頃なんらかの適当な理由で教会に拘束されていたことだろう。
それはクライだって同じだ。
加えて、古城の崩落からアグルたちを救出してくれたのもラトレイナであり、感謝はいくらしてもし足りないほどである。
もちろん、本人に対しては口が裂けても告げることはない。
――見返りに何を要求されるか分かったものじゃないからな。
それに、感謝するべき相手はまだ他にもいる。
クライの侍女アンシアもその一人だ。
彼女はラトレイナと共にアグルたちの救助に駆け付けてくれた上に、魔女衆の代表として教会の事情聴取を受けることになった。
要は身代わりであるが……まあ、頭目であるティアルスもその代行であるヘイグリッドも死亡し、ヘイグリッドの執事も重症で入院しているため今回の騒動における魔女衆の事情を全て把握しているのが彼女しかいなかったというのもあった。
とはいえ、彼女たち――いや、それだけではない。
ユーレインをはじめ他の魔女衆の面々など、多くの人たちの助力を得て、アグルたちは――
約束の通り、旅に出ていた。




