33話 怨讐の剣先
気付けば、他の使用人たちもアグルへと頭を下げていた。
周囲で燃え盛る炎が大きく揺れる。魔術師でない者もいるはずだというのに、全員が同じ願いをもってアグルへと懇願してきていた。
それはきっと、皆がクライのことを大切に思っている証左なのだろう。
だからこそ、アグルは答えた。
「気に入らないな」
「な――」
「どうして、お前たちに利用されなきゃならないんだ」
喰い下がろうとしたアンシアを振り払うように、剣を一閃。
同時にアグルの意思を汲んだ白の幽鬼が森の炎へ向けてその腕を振う。
炎が一瞬にして消し飛ばされ、一つの長い道が姿を現した。
ここへ来るまでにアグルが通った、カウレインまで通じる道だ。
それを見たアンシアが弾かれたようにアグルの方を見る。
「アグル! アナタはいったい何を――」
「これは、オレの復讐だ」
しかし、そこにはもうアグルがいなかった。
「誰にも邪魔なんかさせないし、誰の指図も受けない」
冷酷に言葉を告げるアグルの声。
「お前たちの意思なんか関係ない。オレは、オレの意思で、アイツを殺す」
同時に、その身体がまるで炎に溶けていくように一瞬にして消失したのだ。
彼の呪い《黒の虚偽》による虚像である。
どよめく他の使用人たちをよそに、唯一それを知るアンシアは彼が向かったであろう炎の大樹がそびえる方角を見上げた。
「……やっぱり、アナタは普通じゃありませんね」
普通のやり方ではクライを救うことができなかった。
普通の魔術なんかでは、もうこの厄災を止めることは叶わない。
だからこそ託したと言わんばかりに、アンシアの言葉が続く。
「どうか、お願いします。お嬢さまを――」
◇――――――
アンシアが見つめた先――炎の大樹。
魔女衆の総力をもってしても止めることのできなかった厄災の象徴。
その麓に辿り着いたアグルを出迎えたのは、吹き抜ける灼熱の風であった。
炎の海と化した森を抜けた先の、大きく拓けた湖畔の地。
湖の水はすでに炎によって干上がり、代わりとばかりに紅蓮の巨根が根差している。
グラトニル城を呑み込む真紅色の炎は周囲の火炎よりもさらに紅く、空をも焼き尽くさんとその枝を伸ばしていた。
「……《滅却樹》。流石に、間近で見るとずいぶんな大きさだな」
天を覆い隠すほどに巨大な紅蓮の樹木。
炎の大樹を注視すれば、城壁らしき石材が垣間見える。
元々あった古城のものだ。
クライがいるならその中だろう。しかし、これ見よがしに入り口などが用意されているはずもなく、樹皮の如き炎の壁がアグルの行く手を遮っていた。
大樹を形成している真紅色の火炎。
そこから吐き出される熱波は周辺にまき散らされた炎とは一線を画すほどの熱量で、明らかな別物であることを窺わせる。
果たして、アグルの《黒の虚偽》が通用するかどうか……
「…………ん?」
そうしてアグルが金短剣を構えたのと同時に、大樹の麓――ちょうど地面と接している部分の炎が蠢き、ぐにゃりと歪むようにして大きな穴が開いた。
まるで辿りついたアグルを迎え入れるかのようだった。
開いた穴はトンネルのような構造となっていて、その最奥には古城の入り口が見える。
無論、《滅却樹》による罠である可能性もあるが――
「……アイツが、オレを誘っている?」
だとしても、ここで引き返すという選択はありえない。
罠だという可能性と同様に、これが宿主であるクライの意思が《滅却樹》に反映されたという可能性もある。
だが、もし仮にコレが彼女の意思であるなら、その意図は明らかだ。
アグルに、自分を殺させるため。
アグルに、復讐を成し遂げさせるため。
……はらわたが煮えくり返りそうな気分だ。
けれど、背に腹は代えられない。
自分がやるべきことはすでに決めている。
アグルは大きく深呼吸をしてから、滅却樹の中へと足を踏み入れた。
真紅の火炎がうごめき、絶えず灼熱が渦を巻く紅蓮のトンネル。
その中を白の幽鬼を連れて奥へと進むアグル。炎が襲ってくる様子はなく、アグルはそのまま最奥である古城の入り口をペインティングブレードで断ち斬り、城内へと出た。
アグルを出迎えたのは、玄関口に位置する大ホール――その残骸であった。
複数の階層を吹き抜けにした先にあった天井のシャンデリアは床に墜落し、壁や床には無数の亀裂が駆け巡っている。舞踏会にも使えるほどの煌びやかだった装飾や調度品は全て火炎が焼き尽くし、人の代わりに炎がホール内を軽やかに躍っていた。
人間の文明が蹂躙され、火炎が闊歩する地獄のような空間。
だが、何より酷いのはホールの中央部だろう。
執拗なまでに『何か』を焼き尽くしたのか、その部分だけ床が砕け、どす黒い焦げ痕が刻みつけられていた。
……酷いな。灰もろくに残っていない。
「アグル」
その残った灰がアグルの眼前で吹き飛ぶと共に、声が聞こえた。
これまでに何度となく聞いた、少女の声。
アグルは一度ゆっくりと瞼を閉じ、ベルトの小瓶へ手を伸ばしながら見開いた眼光を『ソレ』へと突き付ける。
――どうやら『誘い込まれた』と言うのが正解だったか。
『ソレ』は、ホール奥の階段を昇った先の二階部分に立っていた。
月光を秘めたかの如き銀色の髪が熱波で揺れる。真紅色の火炎をドレスのようにして身に纏い、吹き飛んでいく灰に目もくれずに真紅色の無感情な瞳をこちらに向けていた。
クライ・レヴィアテイル。
アルトネイアの仇が、その小さな口をゆっくりと開いた。
「待っていた」
「……ああ、そうかい」
長く話すつもりはない。
アグルは握り締めたペインティングブレードを掲げ、次なる言葉を告げる。
「それで、お前は誰だ?」
――少女の、すぐ背後から。




