32枚目 紅蓮の中へ
吹き荒れる熱波が、アグルのコートを揺らす。
カウレインを出たアグルはそのまま街道を進み森の入り口に立っていた。
上を向けば、天を覆い隠す炎の大樹が見える。
森はすでに炎によって炎の大海と化していて、その熱量はカウレインの中とは比べ物にならない。
向かうモノ全てを阻み、焼き尽くさんとする灼熱の紅。
無論、ただの火炎ではない。
カウレインでは教会騎士たちの魔術が炎によって術式ごと焼き尽くされ、消火活動が遅れている光景を見ている。
加えて、この森に仕掛けられていた幻惑の魔術が消えていることから考えるに、この火炎は――
……魔術、その術式すらをも焼き尽くす炎と言った所か。
その効力がどこまでのものかは分からないが、この火炎の海を突破するには少なくとも生半可な魔術では足りない。
炎の落葉からカウレインを守る《ニーズヘッグ》――ラトレイナの大魔術に匹敵するほどのモノが必要になるだろう。
……普通の魔術師であれば、だが。
魔術にではなく術式そのものに干渉するのはアグルの《黒の虚偽》に通ずる部分がある。
だからこそ、アグルが付け入れる隙があった。
「塗り変えろ、《黒の虚偽》」
ベルトからペインティングブレードを引き抜き、炎へと横薙ぎに一閃。
金色の剣身に《黒の虚偽》による偽りの刃が纏われ、闇色の斬撃が火炎に呑まれた森へ放たれる。
大きく斬り払うようにして放たれた斬撃はアグルへと牙を剥かんとしていた火炎の津波を一閃の元に薙ぎ切り――いや、塗り潰す。
斬撃が通り過ぎた頃には火炎の姿は欠片もなく、代わりに元あった森の奥――古城へと続く道が姿を現した。
「世界を焼き尽くす《滅却樹》であろうと、魔術であるなら通用するのか」
アグルの《黒の虚偽》は世界を騙す。
たとえ世界そのものを焼き尽くす火炎が相手であろうとも、それが世界の一部であるなら描き変えることはできるようだった。
――なら、最短距離で行けるな。
火の手は森の奥からまだまだ伸びてくる。
アグルは白の幽鬼に襲いかかる炎の対処を任せ、迷うことなく炎に呑み込まれた森を進んだ。
「――――ッ!」
「……ッ!? ――――ッ!」
人の声が聞こえてきたのは、炎の大樹を目前にした時だった。
声がしたのはアグルのいる地点から少し先。
木々が開け、炎から逃れられる小さな空間がある。
燃え盛る木々の隙間から覗き込むと、そこにいたのは魔女衆の使用人たち十数人ほどが身を寄せ合うようにして炎からその身を守っていた。
「――動ける者は結界の維持をッ! 負傷者を守るのですッ!」
命からがら古城から脱出してきた、と言った所だろうか。
使用人たちの多くは自分たちを取り囲む炎に怯えて身を寄せ合っている。
重軽傷を問わずケガ人がほとんどで、見知った顔も多い。どうやら軽傷の者が率先して結界を展開しているようであった。
……ヘイグリッドやクライの姿は見当たらない。
見知った顔もいるが、それならばアグルに用はない。
そう判断してアグルが先を急ごうとした矢先、彼らを守る急ごしらえの結界を火炎の波が食い破った。
「ダメだ、結界が……ッ!?」
「……そんな、焼かれて――!?」
薄氷のような防壁が砕け、火炎がその術式までもを焼き尽くしていく。
使用人たちの口から絶望の声が上がる。
各々が自らの最期を垣間見るように表情を凍りつかせる中、ただ一人だけ。
絶望に負けじと声を上げる侍女の姿があった。
薄黒色の髪の少女。
クライの侍女、アンシアだ。
絶望する仲間を庇い建てるように炎の前に飛び出すアンシア。
侍女服に忍ばせていたナイフ型の魔導具を投擲して新たな魔術を構築しようとするが、しかし、駆動を始めた術式が起動するよりも先に炎によってたちまち焼かれてしまう。
火炎の猛攻はそれだけに終わらない。
続けざまに新たな魔導具を取り出そうとしたアンシアの隙を突き、真紅色の火炎がアンシアたちを襲った。
己の魔術に気を取られていたアンシアの反応は遅い。
避ける先などどこにもなく、使用人らがそれぞれに目を閉じる。
「くぅ……お嬢さま、申し訳――」
直後、アグルがその火炎を斬り払った。
木々の陰から飛び出し、アグルが使用人らに迫っていた火炎を断つ。
同時に白の幽鬼へ周囲の炎を『塗り潰す』よう命じ、一瞬にして即興の安全圏を作り上げた。
……一時しのぎでしかないが、これで少しは時間を稼げるか。
わずかな沈黙。
遅れて、アグルに気付いた使用人たちが歓喜の声を上げた。
「アグルさんッ!?」
「よかった、無事だったのか!」
「君が来たということは、まさか教会の部隊が……!?」
「なぜ、戻ってきたのですか」
アグルの登場に安堵する空気に冷や水を浴びせかけるような、冷たい声。
怒りを押し殺した声と共に、アンシアがアグルを睨んでいだ。
使用人の中には魔術の使えない者も多い。
おそらく、アンシアが率先して他の使用人たちを守っていたのだろう。侍女服は所々が焼け落ちており、肌に刻まれた火傷の数々が垣間見える。
炎の大樹と化した古城から脱出するのに、かなり無理をしたのが見て取れた。
「お嬢さまを殺せなかったアナタが、今更なにをしに来たというのですか?」
アンシアの問いかけに、周囲から驚きの声が続く。
事情を知らない者たちだろう。
彼らは一様に「信じられない」と言いたげな表情でアグルの方を見てくる。
同時に――こちらは事情を聞いていた者たちだろう。
それぞれが鋭い視線をアグルへ浴びせ、魔導具や暗器などを構えていた。
各々の反応が集まる中、アグルは一拍の間を置いて応えた。
「クライを、殺すためだ」
すでに知られているのならば、もう嘘を吐く理由はない。
まっすぐに告げたアグルに対し、アンシアはその瞳をゆっくりと尖らせた。
「……誤魔化すことはしないのですね」
「なんだ、嘘を吐いたら通してくれたのか?」
「はい。その時は――心おきなくアナタを殺すことができました」
「殊勝な忠誠心だな。反吐が出るよ」
一触即発といった気配。
周囲の炎で熱された空気が張りつめていくのを感じる。
アグルとしてはこんな所で時間を食うのは御免だが、相手がやる気なら仕方がない。
彼女らをなぎ倒して先に進むだけだ。
「どんなに綺麗な言葉で正義を語ろうとも、お前たちは滅却樹の呪いを、教会の禁忌に手を出し、それを隠匿した。世界の敵はお前たちだ。お前たちがクライを生かしたせいでアルトネイアは死んだ。そして今、お前たちのせいで世界が滅ぼうとしている」
マグマのように湧き上がる激情を抑えた言葉と共にアグルはペインティングブレードを構える。
アンシアからの反論はない。
彼女は顔色の一つも変えることなく沈黙を保ち、じっとアグルの方を見つめてくるのみ。
それがアグルを余計に苛立たせた。
「誰であろうと、オレの復讐の邪魔はさせない。それでも立ちふさがるというなら――」
――容赦はしない。
言って、アグルが先制しようとした瞬間だった。
「……私たちは、アナタを止めません」
アンシアが、アグルの足元に跪いた。
周囲の使用人らが信じられないモノを見る目で彼女を見る。
それはアグルも同じだった。
たまらず目を見開き、眼前に平伏したアンシアを見下ろした。
「……いったい、何のつもりだ?」
「私たちでは、アナタを止める手立てがない。それに、私たちは頭目代行によって助けられた身です。その命を、こんな所でみすみす投げうっていいはずがありません」
「それで、みすみすオレに命乞いか?」
「いいえ、それも違います」
自らに突き付けられた金短剣の切っ先をじっと見据えて、アンシアは告げる。
「アグル・バレンダ。アナタに……お願いがあります」
喉の奥底から絞り出すかのような、言葉。
アグルが古城に来訪した晩、アグルにクライの呪いについて打ち明けた時と同じ声音で、アンシアは続ける。
「どうか、お嬢様を――もう、楽にして差し上げてください」
無意識に、アグルは奥歯をギリリと噛み締めた。
クライを楽にさせる。
それは言い換えれば、彼女を苦しみから解放させるということ。
つまり、この侍女はあろうことかアグルへ――
「あの炎の大樹――《滅却樹》の種子が顕現してしまった以上、もう、お嬢さまが助かることはありません。ヘイグリッドさまの、いいえ、魔女衆が長きにわたって研究を続けてきた全てをもってしても、この災厄を防ぐことは叶いませんでした」
「――だから、もう助けられないから、殺してくれと?」
平伏したアンシアの背中がビクッと震える。
アグルはありありと大きなため息を吐き出した。
「お前がどう考えていたのかは分からないし興味もないが、魔女衆ならこの惨状を未然に防げないことくらいは、どこかで予期できたんじゃないのか?」
「それは……」
「できなかった、なんて言い訳はいらない。お前たちはアイツの呪いがいつか世界を滅ぼすと分かっていながら、それを隠した」
なぜ、もっと早くクライを殺すという選択をしなかったのか。
――もっと早く、アイツを諦めていたら……アルだって――
剣を握る手が小刻みに震える。
今の今までずっと塗り潰してきた非難の色を余さず突き付けるアグルに対し、アンシアはわずかな躊躇を挟んでから答えた。
「……ティアルスさまが、望まれたからです」
「…………」
「《滅却樹》の種子はレヴィアテイルの魔女に代々巣食う呪い。それゆえにレヴィアテイルの一族は短命でした。ティアルスさまはせめてお嬢さまには、普通の女の子として幸せになってほしい。そう願われたのです」
「身勝手だな」
アグルは冷酷に吐き捨てる。
そんなものはエゴでしかない。
自分たちの都合で《滅却樹》の種子を隠ぺいし、いざ制御ができなくなってからようやく何かに縋り付く。まさしく外道の所業である。
「仮にアイツを殺してこの災害が終わったとして、いったい何人の罪なき命が犠牲になると思う? アンタたちの隠ぺいが露見した以上、教会も黙っちゃいない。魔女狩り時代の再来だ。お前たちは、それだけのことをした」
「だとしても……私たちは、ヘイグリッドさまはティアルスさまの意思を継ぎました」
侮蔑の視線を以って糾弾の言葉を重ねるアグル。
対し、アンシアは然として告げる。
「……アナタの復讐と同じです。私たちは、己の行動を悪だとして……それでもお嬢さまを救おうとしました。どんな叱責だろうと、甘んじて受けましょう」
だから、どうか。重ねて願います。
「お嬢さまを――殺してください」




