3枚目 魔女の根城へ
町を出て、街道に沿って歩くことしばらく。
数キロほど歩いたアグルは、駅員の言っていた森の入口を見つけた。
現在も使われているかは分からないが、人の出入りによってできたものだろう。
石で舗装された街道から外れる形で馬車が進めるくらいの道が森の奥へ続いている。
あまり整備のされていない道だ。
しかしアグルは躊躇なくその道へ入った。
森の中は無秩序に立ち並ぶ背の高い木々が空を覆い隠していてかなり暗い。
さらに頼りに道も舗装がされていない上に曲がりくねっているため油断すればすぐに迷ってしまいそうだ。道のりも長く、アグルはうんざりしながらも先を進んでいく。
そうして、森の中を歩き続けること数時間。
「……ここか」
開けた土地に出たアグルの前に、天高くそびえ立つ灰色の城塞が現れた。
木々によって隠されていた湖畔に佇む、見上げるほどの大きな古城。
年季を感じさせる外観ながらも廃墟のような様子はなく、何者かの管理が行き届いている。
これほどの規模なら町からでも見えそうなものだが、まあ、魔女が住んでいると言われるような古城だ。どんな手品で隠されていても驚きはしない。
アグルは軽い調子で大きな城門まで歩み寄り、その扉に手を――
「――ここから先は、普通の世界ではございません」
触れようとした瞬間、背後からの声に呼び止められた。
声は少女のモノだった。
それと同時に首筋へ冷たい感触が突き付けられる。
いつの間に背後を取られたのだろう。
冷たい感覚はナイフだった。ナイフを突き付けられるまで物音の一つもなく、気が付けばアグルのすぐ後ろにまで距離を詰められていた。
……こいつが、噂の魔女か?
いや、とアグルは内心で否定する。
この程度の芸当は歩法一つ工夫すれば簡単に実現できるものだ。
背後を取られたのは単純にアグルの油断によるもので、その憶測が正しいと現すように、ちらりと足元を見れば侍女服のスカートが垣間見えた。
「何者かは分かりませんが、偶然にも迷い込んできたというのならばこのまま来た道を引き返して見たすべてを忘れることをおすすめいたします」
脅迫するような物言いにアグルは苦笑しながら、鞄を地面に置いて両手を上げた。
「オレはアグル・バレンダ。旅の絵描きだ。依頼を受けて来たんだが――」
「存じません」
「――おかしいな。人伝てだがたしかに……」
「いいえ。そんなことはどうでもいいのです」
突きつけられたナイフの切っ先がアグルの首筋の皮膚に触れる。
「ここがどこなのか存じた上で、アナタは我らの居城に立ち入ったのですか?」
――魔女が住まうと言われる、不穏な古城。
そんな噂程度の質問をしている訳ではないことはすぐに分かった。
彼女の問いは、その裏に秘匿された事柄についてのこと。
科学と言う新しい技術によって目覚ましい発展を遂げた新時代。その裏で歴史の闇へと葬られゆく存在がいると知った上で、アグルがこの地へ足を踏み入れたのか。
――同時に、アグルがどちらにいるのか。
短い沈黙の後、アグルはゆっくりと答えた。
「知っている。同じ穴のむじなだよ、オレは」
「な――――」
その手に彼女が持っていたナイフを弄びつつ、アグルは振り返った。
「依頼は教会を経由して届いたものだ。なんなら確認してみるといい」
アグルの背後を取っていた侍女服の少女が慌てて飛び下がる。
その人形のように整った顔には驚愕の色が浮かび、すぐに警戒を顕わにして臨戦態勢を取った。
「……ええ、確認ならばアナタを捕縛してからしましょう。人のモノをかすめ盗るような手クセの悪い男は、手足を潰してから言葉を吐かせるにかぎります」
「別に奪った訳じゃない。自分の手をよく見てみるといい」
アグルは言ってナイフを宙に投げると、ナイフは地面に落ちるよりも早くまるで虚空へ溶けていくように消えていった。
代わりに、侍女の手にナイフが姿を現す。
手中に戻ってきた得物の感触を確かめるように握りしめながら、侍女はこちらへ疑惑の視線を投げた。
「術式の駆動なしに魔術の行使を……? ますます怪しいですね。それに、森には部外者をこの場へたどり着かせないよう結界を張っていたはずですが」
「さて。結界に隙間でもあったんじゃないのか?」
「その手品、力づくで問い質すしかないようですね」
言いながら侍女は新たにナイフを取り出し、両手にナイフを握って地を蹴った。
「おい待てッ。オレは戦う気は――」
一閃。
驚くべき速度で肉薄した侍女の斬撃がアグルの頬を掠める。
とっさにのけ反って回避したアグルは続く侍女の連撃から逃れるため大きく後方へ飛び下がった。
「まったく、ここのメイドは人の話を聞かないのか!」
「話ならばアナタを鎖に繋いでからでも行えます」
「だったら鎖を出せ! ナイフで切りかかるな!」
「分かりました。では、そうさせてもらいましょう」
刃のような言葉と共に、侍女がナイフを手放す。
戦いをやめるためではない。
むしろその逆だ。
彼女の切りそろえられた薄黒色の髪が風になびき、その隙間から鋭く研ぎ澄まされた眼光がアグルを睨んだ。
森の木々が不穏に揺れる。
戦いの前兆。
空気が張り詰めていくのを肌が感じ取った。
ナイフによる近接戦はただの小手調べ。
ここからが本番。
ここからが彼女の本気だ。
身を低くし、ゆっくりと両手を下ろしていく侍女の先で、アグルはじりじりと距離を開けながら内心で嘆息する。
……仕方ないか、これは――
彼女から逃げ切る自信はあったが、それではここまで来た意味がない。
対話の時間は終わった。
言外の気配でそれを告げる侍女へ応じるように、アグルも自らの腰にまわしたベルトへと手を伸ばした。
侍女は凛として、アグルは仕方がなさそうに。
互いが、互いの持ちうる『魔』の技術を振るわんと、その力の名を口にする。
魔術の術式、それを駆動させる言葉を。
「喰らいつけ、《レイジ――」
「《黒の――」
『やめて、アンシア』
寸前、一陣の風が新たな声を届けた。
『その人の話は本当。わたしが城まで招待した』
「お、お嬢様!? しかし私には何も――」
『連れてきて。お願い』
無機質な少女の声だった。
それが風に乗って告げると同時に、古城の城門がひとりでに音を上げて開け放たれた。
入れ、と言うことだろうか。
判断付かずにアグルが視線を動かすと、アンシアと呼ばれた侍女が逡巡してから大きな嘆息を吐いた。
「……仕方がありません。お嬢様の命令です。ご案内します」
「助かった……こういう切った張ったはニガテなんだ」
「先ほどの身のこなしでよく言いますね……まあ、それがもしも本当のことだというのでしたら、一つだけ忠告をしておきましょう」
開け放たれた城門の前に立ち、アンシアの冷ややか瞳がアグルを見つめる。
「これより先は、我らが魔女衆の首領たるレヴィアテイル家の居城。我らの魔術が至る所に張り巡らされております。アナタがどんな目的で踏み入れようと、身勝手な行動をなされれば命の保証は致しかねますので、くれぐれもそのつもりで」
「……ああ、心しておくよ」
――当然、最初からそのつもりで来たんだからな。
確固たる意志と共にアグルは荷物を持って城門をくぐり抜け――
本物の魔女が――現代においてなお『魔術』を扱う魔術師たちの根城へ足を踏み入れた。