21枚目 教会の疑惑
「……うう、あと少しでしたのに」
一拍の躊躇の後に、ラトレイナが残念そうにアグルの身体から離れた。
未練たらたらといった様子だったが、それを指示したのは他ならぬ彼女自身。
不満そうにラトレイナがアグルから離れると同時に、白の幽鬼が姿を現した。
ここグラトニル城は魔女衆の総本山。当然、様々な魔術が城の内外を問わずに張り巡らされている。その中には部外者であるアグルたちの動向を監視する術式もあった。
アグルたちが話している間に、それらを撹乱するように白の幽鬼へ命じていたのだ。
ラトレイナを一瞥するようにしてフッと消失した白の幽鬼を見届け、アグルは言う。
「何があと少しだ。この時点でもう一大スキャンダルだぞ」
「ですが、お兄さまもすっかり元気になられていますのに」
「聖女が変な所を凝視するんじゃない」
ジト―っとアグルの下腹部を凝視するラトレイナの視線から逃れるように壁際にある机に移動する。
アグルの足を封じていた氷はもうなかった。
着たままだったコートを脱ぎつつチラリとラトレイナを見ると、彼女はしぶしぶと脱いだドレスを着直していた
「……残念です。今日こそはと本気で迫ったというのに」
「場所を考えろ。何も魔女の根城でするようなことじゃないだろ」
「では、別の場所なら応えてくれるのですか?」
「それとこれとは別の問題だ」
どこか誘うような仕草でチラチラとアグルを見てくるが、一糸まとわぬ裸身を見た後では思うことはない。
彼女が着替え終わるのを待ってから、アグルは再び口を開いた。
「第一、今日はこんな下世話な話題のために来たわけじゃないだろう?」
「もちろん――目的の大半はこちらにありますが――非ッ常に残念ながら、聖女という役職はそこまで暇ではありませんので。……はい、本当に、残念ながら」
「そこを強調するなよ聖女」
悔しげに語るラトレイナに、頭を抱えるアグル。
「本当に、お前は相変わらずだな……」
「……まったくです。振り回されるこちらの身にもなってほしいですね」
呆れたアグルの言葉に続いたのは新たな声だった。
部屋の扉を開けて入ってきたのは、燕尾服姿の女性。すらりとした長身の美人で、キリリと整った顔立ちが諦観の表情を浮かべている。
知っている人だ。アグルはすぐに彼女の名前を口にした。
「ユーレインさん」
「久しぶりですね、アグル。三年前、トリエンタでの密偵任務以来でしょうか。少し背が伸びましたか?」
「二年前だよ。それとオレは十九だ。もう伸びるはずないだろ」
「確かに。時の流れは早いものです」
しみじみと頷く彼女の名は、ユーレイン・ウィルダート。
ラトレイナの身の回りを世話する教会騎士で、彼女の一番の側近である。
アグルとも小さい頃から面識があり、アグルに剣術の道を開いてくれた師匠とも呼べる人だ。
「アナタの剣はすっかり私を超えてしまいましたし、ラトレイナさまに至っては……本当に、すっかり、私の胸を置いてけぼりにしてしまいました……」
……自分の婚期と胸のサイズのコンプレックスさえなければ、いい人なんだがな。
自分の胸に両手をあててうつむくユーレインから目をそらし、アグルは話題を移すべくわざとらしい咳払いと共に疑問を投げかけた。
「それはそうと、二人は今晩どこで寝るんだ?」
「もちろん、私は隣の部屋を。ラトレイナさまは客室をお借りする予定です」
「ならラトレイナを引き取ってくれ」
「そんなッ!? お兄さまはわたくしと夜を共にしたくないというのですか!?」
「したくないな」
にべもなく断言するアグルにラトレイナが愕然と口を開ける。
しかし、アグルが言葉を撤回しないと見るやおもむろにベッドへダイブした。
「嫌です嫌です嫌ですーッ! お兄さまと一緒に寝たいですー!」
「お前……駄々をこねる年じゃないだろ」
そのまま駄々っ子のように枕を抱きしめるラトレイナ。
どこか自分の匂いをこすりつける犬のように見えてしまう彼女へ、ユーレインが近づいてそっと耳打ちをする。
「ラトレイナさま。ここはいったん引き下がるべきです。既成事実を作るのならば下手に警戒をさせてはいけません。一度引き下がり、夜這いでも――」
「……今、既成事実をうんぬんと聞こえたんだが?」
「おや、ラトレイナさまがダメなら私とシますか? ……お恥ずかしいですが、私もまだ適齢期です。きちんと籍に入って子供を作ってくれるなら……」
「アンタは急ぎ過ぎだ! それで何人逃がしたと思ってる!?」
「ギクッ……弟子のクセに手厳しいですね」
「弟子だから嫌と言うほど見てるんだよ」
吐き捨てるようにぼやいてから、アグルは軽く咳払い院をする。
「いい加減、話を戻すぞ。どうしてお前たちがここにいる?」
「アグル。その前にこの部屋の監視は――」
「とっくに誤魔化してるよ。クライの事がある以上、向こうもオレ達にばかり注視しているわけにはいかないだろうし、問題はないさ」
「……盗聴機器の類もなさそうですね。では――」
「ユーレイン。ここからはわたくしが話しましょう」
従者の言葉を遮り、たたずまいを直したラトレイナが告げた。
アグルの義妹としての少女から、教会を象徴する聖女へ。
ベッドの縁に座りなおした彼女の瞳が静謐な輝きをもってアグルへと向けられた。
「わたくしたちがここへ赴いたのは――そのほとんどがお兄さまとの逢瀬を満喫するためではありますが、もちろん他にも目的があります」
「そりゃあそうだろうな」
ジト目で応じるアグルにラトレイナは涼しい顔で続ける。
「その目的とは、魔女衆――ヘイグリッド卿にかかったある疑いを調査するためです」
「疑い? そんなもの、騎士の誰かに任せれば……」
「仮にも相手は魔女衆の頭目代行。下手な人員を差し向けた所で、簡単にはぐらかされていたことでしょう。だからこそ、わたくしが動けたのです」
「……ずいぶんと大事じゃないか。いったい何をやらかしたんだ?」
「禁忌の研究」
たまらずラトレイナを見た。
聖女の静かな瞳がアグルを映す。息を飲む彼の先で、ラトレイナは淡々と告げた。
「魔女衆頭目代行ヘイグリッド・レヴィアテイル――いいえ、魔女衆そのものが、わたくしたち教会が禁忌としている研究に手を出した疑いがあります」
「――……」
「禁忌とはすなわち、世界を危険にさらしてしまうほどの、人の身で手を伸ばしてはいけない代物です。それに手を出した疑いがあるだけで、わたくしが直接動けるほどのものと言えば……お兄さまでもお分かりですね?」
「……教会と魔女衆の、全面戦争でも起こるって?」
「はい。むしろ、それだけで済めば御の字でしょう」
淡々と告げるラトレイナの言葉を受けて、アグルは口を閉ざした。
……ヘイグリッドが何かを隠しているということは最初から気付いていた。
――それがまさか、教会の禁忌だったとはな。
教会は「創世樹を守護する」という名目で魔術の世界での監視者を自称し、他の結社に対して強い影響力を持っている。
禁忌とは教会が指定した「世界に重大な影響を及ぼしかねない危険な研究」のことで、それに手を出すことは教会への宣戦布告を意味する。
今までにも多くの魔術結社が禁忌に手を出しては教会によって駆逐されてきた。
しかし、禁忌とは危険なモノであると同時に、ひとたび手にすれば絶大な力となって世界に君臨できる。故に禁忌の研究へ手を出す結社などが跡を絶たず、それを潰して回る教会とのイタチごっこの様相を呈しているのが現状だ。
そんな時に、もし魔女衆が禁忌の研究を行っていると知れ渡れば、どうか。
魔女衆は教会と同盟関係にある魔術結社だ。
そこが禁忌の研究に手を出していると知れれば当然「同盟相手には禁忌を許すのか」などと教会は非難の的になる。
隠れて研究を行っていた結社はもちろんとして、教会に潰された結社などは黙っていないだろう。
教会が守り通してきた秩序の崩壊。
それだけではない。
教会は必ず手を出した結社たちを殲滅にかかるし、もちろん相手だって抵抗する。最初はただの小競り合いで済むかもしれない。だが、確実に遺恨は残り、それは次第に――
――魔術世界、いいや。
――それ以上の規模での戦争だってあり得る、か。
あくまで最悪の可能性。
けれど絶対にないとは言い切れない。
故に、ラトレイナ自らが確かめに来た……来られたのだ。
戦慄を隠せないアグルに、ラトレイナはほんの少しだけためらうように目を伏せてから再びアグルへと蒼い瞳を向けた。
「それと、もう一つ。お兄さまには伝えておいた方がいいでしょう」
「……オレに、何だ?」
「お兄さまの依頼主のことです」
……クライのこと?
首をかしげるアグル。対してラトレイナは短く告げた。
「あの子は、研究の実験体にされている可能性があります」




