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18枚目 『普通』のこと

 ……アンシアが、己の失言に気付いた時にはわずかに遅く。


「――――――は?」


 沈黙。

 言いようのない静寂が二人の間を漂った。


 彼女はいったい何を言い出すのか。困惑するアグルに対し、どうやら自らの秘密を告白してしまったらしいアンシアはサーっと顔色を激変させた。


 茹ったような赤から一転して血の気が失せた青へ。


 ものの見事なまでの落差ではあったが、流石にこのままでは彼女が自棄を起こしそうだ。

 そんなことをされてはたまらないので、アグルは努めて平然に話を切り出した。


「……普通のことって、どういうことだ?」

「…………憧れ、だったのです」


 アグルの問いかけにハッとしながらも、アンシアはゆっくりと語り始めた。


「私の出身はブルムライトでした。街の錬金術師が支配していた魔術結社に属した一族に生まれ、その……あまりいい扱いをされてきませんでした」


 あまりいい扱いをされなかった。

 その言葉が意味するものをアグルはよく知っている。


 魔術結社とは単に魔術師を統括するためだけの組織ではない。魔術の研究をするための場でもあり、内容によっては人道すら介さないというのが魔術の常識だ。

 そこで、彼女がどんな扱いを受けてきたのかは容易に想像ができる。


 ――例えば、研究のための被検体。


 実験材料にされたり、など。 何にしても、それは『普通』とは程遠いものだったのだろう。


「だから、普通に憧れたと?」

「……はい。最初はただの憧れでした。魔女衆に引き取られることになり、この地で魔女としての『普通』を手にしました。最初はうれしかっただけだったのですが、次第に……その、『普通』の事を自分やお嬢様がしていると考えると身体がうずくようになり……こうして時折、自分で処理を――って」


 アンシアの言葉が詰まり、ハッとしたように彼女の顔が朱に染まる。


「どうしてアナタにここまで話さなければいけないのですか!?」

「全部お前が勝手に話しているんだが」


 ジト目のまま言葉を返すアグル。

 しかし、対するアンシアは――包み隠さず白状したことで何か吹っ切れてしまったのか、仄暗い笑みと共に言葉を続けた。


「ふ、ふふふふ……ええ。ええ。私の趣味が普通ではないことくらい私だってよく分かっています! でも仕方がないじゃないですか! 身体がうずいてしまうんです! 今日だって普通の子女のように楽しまれるお嬢様を見て、何度……どれだけ達してしまいそうになったことか! アナタには分からないでしょうね!?」

「ああ。全く分からないな」

「そうでしょう!? ですからアグル・バレンダ、分かりますね? このことをお嬢さまに知られれば、私は確実に魔女衆を追い出されてしまいます。ようやく手にした平穏をこんな形で壊す訳にはいきません」

「確かにそうだな」

「はい。ですから――」

「誰にも言いふらさない。それでいいんだろう?」


 懇願しようとするアンシアよりも早く。


 それを遮るようにして、アグルは告げた。


「約束する。オレは無為にお前を貶めるようなことをしない」

「……いいのですか?」

「さっきも言っただろう。こんな話、誰に言っても信じられないだろうからな。オレは騙し絵描きで嘘吐きだが、約束の一つくらいは守るさ。なにせ、この手の趣味なんてものは人それぞれなのが『普通』だ。他人がとやかく言う資格なんざない」


 彼女に限らず、普通じゃないということは決まってデリケートな話だ。


 アグルたちが身を置く魔術の世界だって似たようなもの。

 人に知られたくないことなど誰にでもあるのだ。


 そこへ無遠慮に踏み込んでいい理由はどこにもない。


「それに、あのお嬢様あってこの侍女ありってやつだ。そう考えれば、別にお前がどんな事をしていても驚くことはないだろう?」

「お、お嬢様を私なんかと一緒にしないでください!」


 アンシアが羞恥に顔を赤く染めて反論する。


 顔色こそ先ほどと同じだが、その表情はどこか柔らかくなっていた。

 ようやく落ち着きを取り戻してくれたらしい。もう襲われるようなことはないな、と内心でホッと一息吐きながら、アグルはアンシアの肩をポンと叩く。


「なら、さっさと戻るぞ。いい加減クライを待たせ過ぎだ」


 話はこれで終わりだ。言外にそう告げて、アグルは彼女に背を向ける。


 だが、アンシアはそのままだった。


 まだ何か心配なのだろうかとアグルが肩越しに振り返ると、赤い顔のままの彼女がこちらを見てきた。


「……ありがとう、ございます」

「……お前、礼を言えるんだな」

「私を何だと思っているのですか!?」


 頭を下げようとしていたアンシアが頬を膨らませた。


 憤慨して「まったくアナタと言う人は!」とアグルを睨んでくる姿はすっかりいつもの調子に戻っていた。


 そんな彼女の叱咤を受け流しつつ、クライの待つ店に戻ろうとしたアグルの背に、再びアンシアの声が投げかけられた。


「アグル・バレンダ」


 羞恥でも憤慨でもない、落ち着きを取り戻した冷静な声。


 今度はなんだとアグルが振り返ると、アンシアの真剣な瞳がこちらを見つめていた。


「私は古城に来て、普通の魔女として生きることができるようになって……お嬢さまに救われました。私を引き取ってくれた頭目代行、そしてお嬢様は私の恩人とも言うべき方々なのです。私は、そのご恩を返すために……お嬢様を守り、幸せにして差し上げたい」


 人として、魔女として――


「何よりも、呪いに蝕まれなんかしない、()()()()()を」


 心の底からの願いであることは、言葉の節々から分かった。


 同時に、それがアンシア一人だけでは叶わないということも。


 アグルのような半端者とは違う、嘘偽りのない真摯な言葉。

 それをまっすぐに突きつけられて、アグルはわざとらしく首を傾げた。


「どうしてそれを、オレに?」

「……非ッッ情に遺憾ですが、アナタがいるとお嬢様が明るくなるのです。パンツをお召しになられないのは変わりませんが、今日のように体調がいい日も続いています。ずっと諦められていた外出も叶いました。間違いなく、これはアナタのおかげです。アグル、アナタが来てから、お嬢様は変わられました。再び、笑顔を浮かべるようになられました」


 ですから、アナタにお願いしたいのです。


 しおらしくなりながらアンシアが言葉を続ける。


「も、もちろん。手を出すというのは言語道断ですよ? ですが……せめてあと少し。もう少しだけで、構いません。どうか――」


 まっすぐにアグルを見つめ、アンシアはその小さな頭を下げた。


「お嬢様と、共にいてはいただけないでしょうか?」

「――――…………」


 すぐに返せる答えは、アグルにはなかった。


 なにせ、アグルは旅の絵描きだ。いくらクライに気に入られていようとも、いつかはまた旅に出ることになる。アンシアの願いを叶えることは不可能だ。


 だからこそ――()()()()()()


 クライの呪いが解呪できるまででなくてもいい。

 せめて、呪いによって閉ざしてしまった心の氷が解けるまで。

 せめて、クライがもう少し『普通』の少女でいられるようになるまで。


 彼女の助けになってはくれないだろうか。


 嘘偽りのない、アンシアの願い。


 大切な主を慮る彼女のまっすぐな願いを受け止め、アグルは応えた。


「……なあ。それ、このタイミングで言うことか?」

「なッ――せっかく私がアナタの認識を改めたというのに!」

「むしろ今まではどう思っていたんだ?」

「お嬢様の秘部をまさぐって喜ぶ変態。いたいけな少女を弄ぶことでしか快楽を得られない特殊な趣味を持った救いようのない外道――他にもありますが、言いますか?」

「…………まあ、改めたんならそれでいいさ」


 想像の上を突き抜けるようなひどい認識であった。


 変態だ特殊な趣味だなどと彼女に言われる筋合いはないと反論したいのだが、流石に「言いふらさない」と約束した矢先にむし返すのはよくないので大人しく引き下がっておく。


 大きな嘆息をして、一拍。アグルは彼女に向き直った。


「どうせ依頼の途中だ。アイツがオレに飽きるまでは、アイツに付き合うよ」

「……助かります」


 アンシアが再び頭を下げてくる。


 アグルも今度ばかりは茶化すような真似をしなかった。


 アンシアの方もこれで語ることは終えたのだろう。先んじて路地裏を出るアグルを止めることなく、続けて路地裏を出てきた彼女の表情はいつもの澄まし顔に戻っていた。


 ……この様子なら、もう大丈夫だろ。


 そのまま二人が店に戻ろうとした――その時。



「た、大変だ!」



 店主が店を飛び出してきたのだ。


 血相を変えて飛び出してきた店主。ひどく慌てた様子で周囲を見回し、アグル達を見つけるや否や駆け寄ってくる。


「あんちゃん! 大変だ!」

「……何があった? まさか、クライが何か――」

「そうさ! 嬢ちゃんが!」


 店主が切羽詰まった様子でアグルの肩を掴む。


「嬢ちゃんがいきなり倒れたんだよ!」

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