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17枚目 食後のお望み

「なら、街を見に行きたい」

「オーケー、お前ならそう言うと思ったよ」


 なにせ、次に外へ出られるかどうかも分からないのだ。クライの体調が許す限りにはなるが、彼女の望む限り色々なモノを見せてやるべきだろう。


 ……一応、クライはアグルの依頼主だ。

 これくらいのサービスはしてもいいはずだ。


 そうと決まれば善は急げである。

 アグルは席を立った。


「少し待ってろ。今オレが会計を――」

「申し訳ありません、お嬢様」


 アグルの声を止めたのは、アンシアの謝罪だった。


 無論、アグルへ向けたモノではない。

 アグルが視線を向けた先では、わずかに息を切らせたアンシアがおずおずとした様子でクライへ頭を下げている。


「アンシア?」

「……少し、席を外してもよろしいでしょうか」


 ――ああ、そういうことね。


 アグルとクライが話している間、妙に黙っているかと思えば。


 そわそわと内股をすり合わせるような仕草をするアンシア。

 彼女が何を言いたいかは一目瞭然だった。


 不思議そうにしながらもコクンと頷くクライに一礼してアンシアが席を立つ。そそくさと店の外へ出ようとするアンシアの背中へアグルはぽつりと助言した。


「おい、トイレなら店主に言えば――」

「それ以上言えばもぎります」

「――…………」

「とにかく! アナタはお嬢様を見ていてください!」


 いいですね!? とアグルが答える前にアンシアは店を出て行ってしまった。


 アグルの助言すら聞かなかったと言うことは、よほど急いでいたのだろう。


 今から追いかけた所で聞き入れられるはずもない。仕方なく、アグルは彼女に言われた通りクライと共にテーブルで待つことにした。


 まあ、この店の周辺はまだ建物の集まっている区画だ。

 最悪、どこかの民家で借りてすぐに戻ってくることだろう。


 ……なんて、気長に待つことおおおよそ十五分。


 いっこうにアンシアが戻ってくる気配はなかった。


「……流石に遅すぎないか?」


 彼女が残していた紅茶もすっかり冷めてしまい、休憩に出ていた店主の奥さんと娘さんも戻ってきてしまっている。


 クライは未だ店内の色々なモノを目に焼き付けるかのようにキョロキョロと見回しているが、流石に待ちくたびれているようにも見えた。


 ……まったく、どこまで行ったんだよ。


 さすがに時間がかかりすぎである。


 アンシアに限って何かトラブルに巻き込まれたなんてことは考えにくい。

 おそらく、道にでも迷っているのだろう。


「……すまない。いいだろうか」

「はーい! ご注文ですか?」


 小さな嘆息と共にアグルが声をかけたのは店主の娘だ。


 ちょうどアグルたちの隣にあるテーブルを拭いていた彼女はアグルの声に応じて明るい返事をする。


 店主譲りの人がよさそうな笑顔だ。アグルは店主がカウンターで洗い物をしているのをチラリと確認してから、娘の前に懐から取り出した紙幣を差した。


「いや、店を出た連れが戻ってこないから探しに行きたいんだが……どうか、その間だけこの子を見ていてくれないだろうか?」


 食事の会計分と、頼み事の手間賃代わりのチップである。

 人のいい店主ならチップなどなくとも快諾してくれるだろうが、通せる筋は通すのがアグルの心情である。


 人情家の両親に代わって店のやりくりをしているという彼女なら受け取ってくれると考えての事だったが、やはり正解だったようだ。


 娘は手慣れた仕草で紙幣を数え切り、すぐにニッコリと満面の笑みをアグルへと向けてきた。


「わっかりました! お任せください!」

「よろしく頼むよ」

「……アグルも、トイレ?」

「アンシアを探してくるから、少しだけここで待っていてくれ。困ったことがあればこの店の人に言うんだ。いいな?」

「分かった」


 コクリと頷くクライ。

 それと同時にアグルは席を立った。


 念のために店主の方にも軽く事情を話してから、アグルはアンシアを探しに店の外へと出る。


「さて、どこに行ったんだアイツは……」


 カウレインは田舎町である。

 道や建物が入り組んだ都会とは違って道に迷うようなことはないはずなのだが、いったい彼女はどこまで行ったのだろうか。


 少なくとも、店の前にある通りにアンシアの姿はない。



「……あ、ん。や――」



 しかし、そこで。くぐもったような声がアグルの耳に届いた。


 風に流されて消えてしまいそうなほど小さな声。

 店の前の通りではない。


 その横、店の裏へ続く薄暗い裏路地から聞こえてきた。

 聞こえたのはほんの一瞬で、言葉の内容は分からなかったが、あれは確かにアンシアのモノだ。


「お嬢、さま……私は――ぁあ」


 何かを拒んでいるような……いや、拒絶ではなく、もっと色のある――


 ……って、呑気に考察している余裕はないだろ!


 余計な憶測を振り払い、アグルはすぐに裏路地へと駆け出した。


 そのまま裏路地の奥へと進み、曲がり角に飛び込んで目にしたのは――



「アンシア! いったい何が――あ、った……?」

「――――ぇえ?」



 自らの服をあられもなく乱した、アンシアの姿だった。


「「……………………」」


 袋小路の行き止まり。周囲に逃げ場も隠れる場所もなく、アンシアが何者かに襲われたということはないだろう。

 そのことに安堵しつつも、アグルは茫然と彼女を見下ろす。


 ペタンと両足を開いて座り込んだアンシア。スカートがめくれ上がり、見えちゃいけない部分へ彼女の手が伸びている。反対の手はもだえるように自身を抱きしめていた。


 数秒の沈黙が、長く、二人の間に微妙な空気を漂わせる。


 ……まあ、つまるところ。


 彼女は誰かに襲われたのではなく、()()()()()()()()()いたのだ。


 なるほど、確かに。

 いつまで経っても主の元へ戻ってこないわけだ。


 涙目の瞳を大きく見開かせて顔を真っ赤にするアンシアに、アグルは穏やかな調子でくるりと背を向ける。


「邪魔したな」

「待ってください」


 そのまま立ち去ろうとしたが、アンシアに手を掴まれてしまった。


 恐ろしく速い所作だった。

 掴んできた彼女の手は羞恥に燃え尽きてしまいそうなほどに熱く、アグルはありありと嘆息を吐いてから肩越しにアンシアへ振り返った。


「ならせめて服を直せ。言い訳はそれからだ」

「…………分かりました」


 一瞬の躊躇をはさみ、アンシアは観念したかのようにアグルから手を放した。


「不覚……こんなの、一生の不覚です……」

「こんな所でそんなことをするからだ」


 背中越しにアンシアが「うぐっ」とうめき声を上げた。


 続けて、衣擦れの音が聞こえ始めた。アグルはそれが終わるのを見計らって再びアンシアの方へ振り返ると、服を直し終たアンシアがこちらをじっと見つめていた。


「ご、後生ですアグル・バレンダ! このことはお嬢様には――」

「誰にも言えるかよこんな話」


 スカートをぎゅっと握りしめ、目元には羞恥のあまりに涙の粒をためたアンシア。


「なら……ハッ! さてはこれをネタに私を脅して……」

「しない」


 他言無用の頼みなど言われるまでもない。

 というか、言った所で誰に信じられるとも思えないのだが、しかし、アンシアは混乱のためかその可能性に至っていないようだ。


「そんなはずはありません! 乙女の弱みを知れば、男はここぞとばかりに付け込んでモノにしようとするものです! 書物ではそうでした! それが普通なのでしょう!?」

「そんなわけが――ああもう! いいからまずは落ち着け!」


 錯乱するように言葉を重ねるアンシアの両肩を掴むアグル。


 アンシアの身体がビクンと跳ねる。

 一瞬だけ怯えるような目でこちらを見てから、少しの間を置いてようやく落ち着きを取り戻してくれた。


 落ち着いた、というよりは「終わった……」という様子だったが。

 何にしても話を出来そうな状態になったのは確かだ。


 この世の終わりのような顔で虚空を見つめだしたアンシアから一歩離れ、アグルは首を傾げて見せる。


「……それで、こいつはいったいどういうことだ? まさか、お前も何かしらの呪いでも患ってるわけじゃないだろうな? それとも、ご主人様に劣情を――」

「そ、それだけはあり得ません! 私の趣味は普通です!」

「普通ならこんなことはしないはずだ」

「う、ぐッ……それは……」

「……まあ、人の性癖なんてものは千差万別だ。わざわざ人に言いふらすなんてことはしない。もちろん、クライにもな。オレは嘘吐きだが、それは約束しよう」


 反論できず、言いよどむアンシアにアグルは可能な限り優しい声で語る。


 奇妙な状況ではあるが、こういう話は決まってデリケートなものだ。

 出会って数日のアグルが下手に口を出したり、踏み込むべきことではないだろう。


「後処理は自分でしろよ。オレは先に――」

「ま、待ちなさい! アナタはまだ誤解をしています!」

「誤解?」

「そうです! 私は別にお嬢様に良からぬ感情を抱いている訳ではありません! 私はただ、ただ……()()()()()に興奮してしまうだけで――あっ」

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