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13枚目 はじめてのお出かけ

 驚いたことに、その機会は存外に早く訪れた。


「……クライ(あいつ)を連れて、カウレインに?」


 クライとのやり取りから数日経ったある日の明朝。


 買出しに行く従者たちと共にカウレインへ向かおうと城門前で待機していたアグルをアンシアが呼び止めた。


「外に出られないんじゃなかったのか?」

「はい。しかし――誠に遺憾ながら、アナタが滞在するようになってからは体調も回復しているので。お嬢様がアナタも行くなら、と。代行からも承諾を頂いています」

「そいつは……ずいぶんと気に入られたもんだな」


 呟くように言って、アグルはアンシアの後ろへ視線を投げる。


 品の良さそうな町娘といった装いをしたアンシア。


 その後ろにいるのはもちろん件のクライである。

 彼女もアンシアと同様にワンピースの上にカーディガンを着込み、洒落たツバ広の帽子をかぶったよそ行きの格好をしていた。


 表情こそ大した変化はないが、こちらを見上げてくる彼女の瞳にはどこかワクワクとした輝きが宿っているようにも見えた。


「……アグルは、いやだった?」

「いいや、約束もしたからな。好きにするといい」

「それと、もちろん私も同行いたします。くれぐれも……」

「粗相のないように、だろう? 分かっているさ」


 アンシアがクライを一人で外に出すはずがない。

 予想通りの進言にアグルがやれやれと応えると、アンシアが不意にこちらへ歩み寄り、そっと耳打ちしてきた。


「どうやらお嬢様はアナタのことをずいぶんとお気に召されているようですが、私は違います。いいですか、アグル・バレンダ。今回、アナタが不穏な動きを見せれば即刻ねじ切りますのでそのつもりで」

「……毎度思うが、なんでそんな脅しなんだ?」

「アナタも、まだ男性のままでいたいでしょう?」

「………………」

「二人とも、馬車がきた」


 背中に冷や汗が流れるのを感じるアグルをクライが引っ張り、一行はやってきた馬車に乗ってカウレインへと出発した。



◇――――――



「どうやら、無事に出発したようですな」


 傍らで控えていた老執事の声を聞いて、古城の主ヘイグリッドはふと視線を上げた。


 日々の多くを過ごす、自身の執務室。

 壁の本棚からあふれるように積み上がった大量の書類の山が目立つ室内で、ヘイグリッドは机の背後にある窓から眼下を見る。


 視線の先では、ちょうど娘たちを乗せた馬車が出発した所だった。


「ならばいい。ロータス、例の件はどうなっている?」

「全て、滞りなく。お迎えの準備はできております」

「そうか」


 ロータスの言葉に応じながらも、ヘイグリッドの鋭い視線は窓の外に向けたまま。


 その視界に、新たな馬車が森を抜け出してきたのが見えた。


 娘たちを乗せた馬車とは別の道から現れた、一両の白い馬車。それが古城の前で停まるのを見届けてからヘイグリッドは視線を窓から室内に戻した。


「……しかし、それも全て無駄となりましたな」

「なに――」


 窓の外を眺めたままの老執事にヘイグリッドが眉を寄せるのと、


 彼の声を遮って大きな破砕音が鳴り響くのは、まさしく同時だった。


 勢いよくはじけ飛んだ窓ガラス。

 まるで薄氷が踏み抜かれたかのように破片の群れが室内に飛散するが、窓のすぐそばにいるヘイグリッドたちに振るかかることはない。


 ……自分たちに当たらぬよう、()()が魔術で仕向けたのだろう。


 嘆息を一つ漏らし、ヘイグリッドは視線をそのままに口を開く。


「……こちらにも出迎えの準備がある。せめて正面から来てほしかったな」

「ええ。ですから()()()()()前に伺いました。なにしろ突然の訪問なのです、大仰に出迎えられても面白くありませんから」


 ヘイグリッドの言葉に答えたのは、少女の声。


 ピシ、ピシと薄氷を踏みつけるような足音が続く。


 神秘さえ感じられるような静謐な声の主が、破砕された窓から()()()()()()()()執務室に入ってきたのだ。


「わたくしたちは他ならぬ同盟相手です。少しの茶目っ気は大目に見てくださいな」


 その足取りは優雅だ。裾を細い指先でつまみ、白いハイヒールで凍結させた宙を淑やかに歩いて、トンと執務室の床に降り立つ。


 魔術による所業なのは明らか。


 しかし、彼女の姿は魔術に連なる者とはあまりにもかけ離れていた。


 法衣を元にしたような純白のドレスに身を包んだ少女である。

 自然の豊饒さを体現したかのような金色の髪と青色の瞳。豊満で均整な体躯は、まるでこの世の奇跡を――あらゆる美しさを象徴しているかのようにも感じられる。


 高貴な貴族令嬢にも見えるほどの、美しい少女。

 神聖さすら備えているかのような少女ではあるが、その実はヘイグリッドと同じ魔術の世界の住人に違いはなかった。


「まさか、聖女自らお出ましになるとはな。いったいどのような用向きだろうか?」

「大したことではございません。所用で近くの町に滞在することになりましたので、一応ごあいさつを。ああ、それと――」


 なんて、クスリとしとやかに微笑んでから――


 魔術結社《聖堂教会》の聖女ラトレイナは淑やかに告げた。


「少々、腹の探り合いにまいりました」



◇――――――



 徒歩ではそれなりに時間のかかった道のりでも、馬車ではほんの一時間ほど。


 馬車に揺られたアグルたちは、カウレインの中心に到着した。


「私たちはこのまま買出しへ向かいますので。夕方にここで落ち合いましょう」


 アグルが使った駅も近い、町の中央にある大きな広場だ。


 市場の方へと買出しへ向かう従者たちを見送ってから、クライたちと共に残されたアグルは大きく背伸びをした。


 ――ああ、行きの道中だけでもう疲れた……


 理由はもちろんクライである。


 現在もキョロキョロと興味深そうに広場を見回している彼女は道中でもアグルへ様々な質問をしてきた。


 森に住む野生動物や草木について、町に入ってからもそれが終わることはなく、結局この広場に着くまでずっと彼女の相手をしていたのだ。


 ……とはいえ、久しぶりに町へ来たんだ。


 何か目的があるんだろう。

 ちょんちょんとアグルの服を引っ張ってくるクライは後回しにして、アグルはクライと同じように周囲を見回しているアンシアへ問いを投げかける。


「それで、町へ来て何かすることでもあるのか?」

「特に決めておりませんが」

「…………はあ?」


 思いもよらぬ返答にアグルは手に持った鞄を落としそうになった。


 アンシアは「当然でしょう」と言いたげに腕を組みながら唇を尖らせる。


「なにせ頭目代行から町へ出るようお達しを受けたのは昨日なのです。私もあまりこの町まで出ることはありませんし、急きょ決まったことなので下調べも十分でなく……」

「アグルの行きたい場所に、行きたい」

「…………そうきたか」


 アンシアとクライの言葉に、たまらずアグルは天を仰いだ。


 ……どこか無計画さを感じてはいたが、まさか本当に無計画だとは思わなかった。


 おそらく、最初からアグルに丸投げするつもりだったのだろう。

 アグルに不審な行動をさせないためというのもあるかもしれないが、クライは生粋のお嬢さまでアンシアもこの様子だとこの町については詳しくないようだ。


 ……それでも、せめて何か要望をくれたらよかったんだが。


 ……というか、オレが変な所に行くつもりだったらどうする気だったんだ?


「まさか、いかがわしいお店にでも行くつもりだったのですか?」

「お前……オレをいったい何だと思ってるんだ?」

「お嬢様の大切な場所にパンツを描く変態です。何か間違いがありますか?」

「ぐ……いや、オレは変態じゃ――」

「違いませんよね? 侍女たちが嘆いていたのを聞きましたよ。誘っても全然振り向いてもらえない、やはりパンツを描ける女の子が好みなのでしょうか、と。きっと、この町にアナタの沸き上がる衝動を発散できる場所があると考えるのが普通――」

「それは誤解だ! あとこの町にそんな類の店はない!」

「ならばどこへ行くつもりだったのですか?」


 ギロリとアンシアの冷ややかな眼光がアグルを睨む。

 ……まあ、隠すような行き先でもないか。


「別に、こんな田舎町だ。外様向けの娯楽なんてほとんどないからな」


 これ見よがしに肩をすくめてから、アグルは置いていた鞄を手に持ち、


「絵を描きに行くつもりだったのさ」


 画材道具の入ったそれを軽く叩いて見せた。

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