11枚目 古城での日常
見開いた瞳は、紅蓮の炎を映し出した。
紅蓮が世界そのものを焼きつくしていくような、炎の海。
炎が無限に広がり、周囲を思うままに蹂躙していく。
まさしく、地獄のような光景である。
……自分が、夢を見ていることはすぐに分かった。
目の前で燃え盛る炎の灼熱が全く感じないし、炎以外の物が全ておぼろげになって見えて、何があるかすらも分からない。おぼろげに揺れる何かが、これが現実ではなく記憶を再生しているにすぎない光景であると教えてくれる。
だから、こうして出てきたのだ。
目の前に、もういるはずのない――彼女が。
炎で焼けただれた顔がこちらを見る。
表情はもう分からなかった。
金属すら焼き尽くす獄炎である。すでに炎は彼女の全身に回っており、皮膚が焼け落ちて血液が蒸発するかのような姿は、もう助からないことは明白だった。
――そう。
彼女は、あの時に死んだのだ。
こうして目の前で。
消えぬ炎に焼き尽くされて。
苦悶と悲鳴を延々と吐き出し続けながら。煉獄の如き死にざまを目に焼き付けさせて。
だというのに炎に呑まれた彼女はなおもこちらへ手を伸ばしてくる。
まるで、亡霊が生者を呼び寄せるかのように――
そこまで見て、アグルは夢から目を覚ました。
◇――――――◇
かくして、アグルはパンツの絵を描くために古城へ滞在することとなった。
字面にするとずいぶんとアレであるが、とはいえ仕事の内容は各地を転々としていた頃と大して変化はない。
朝と夜にそれそれ入浴を終えたクライにパンツの絵を、アンシアの要望通りに術式を仕込んで描くだけ。
それ以外の日中などは全て自由時間だった。
なのでアグルは暇な日中は城内を気ままに散策しては気に入った情景などを絵に描いて過ごすのがほとんど。後は使用人たちの仕事を手伝ったり、彼らがカウレインへ買出しに向かう時には同行して町の方を散策したりもした。
アグルが古城に滞在するにあたってヘイグリッドから監視が付けられるようなこともなかった。
親しくなった使用人にそれとなく話を聞くと、何でも魔術の研究や魔女衆の運営でいそがしいのだとか。
そこまでして何を研究しているのかは気になるが、直々に釘を刺されたこともあり下手に踏み込むようなことをするつもりはない。
アグルはあくまでも「クライに雇われた絵描き」として、のうのうと古城に滞在する日々を送っていた。
「――このように、《創世樹》は魔術概念だけでなく歴史上の思想、文化などに色濃くその影響を及ぼしています」
午後の日差しが窓から差し込む、クライの部屋。
この時間は彼女が勉強をする時間で、今日の科目は歴史――創世樹に関する話題のようだ。
教師役のアンシアがご丁寧に黒板と机を持ち込んでクライに授業をする光景を、アグルは部屋の隅で外の風景をスケッチしながら聞き流していた。
「例えば私たちと同盟関係にある聖堂教会、彼らが主教とするアネイヤ教は列強諸国の多くで信奉され、古い学問などにおいてはその影響は――」
創世樹というのはもちろん、現実にある樹木ではない。
アンシアが言ったアネイヤ教を筆頭に、世界各国の思想などで「この世界を造り、管理する万物の根源」として登場する概念上の存在である。
この世界で起こるあらゆる現象は全て創世樹が管理していると考えられ、科学であろうと魔術であろうとその根源はこの創世樹に通ずるとされる。
もっとも、科学が台頭した現代では単なる伝承上の存在だとされることが多く、その名前を出すのはせいぜい信心深い信奉者か、アグルたちのような魔術師くらいのものだろう。
「また、アネイヤ教の他にも創世樹の影響を受けたと見られる思想は世界各地に数多く見られます。南の大陸の死生観、東洋の転生論、新大陸の原住民にもあったそうです。近隣では……そうですね、トリエンタの神話体系にも同様のモノがあったとされます」
「……トリエンタ?」
「近代までは大陸を支配したほどにしていてた国家です。しかし、機械化革命の乗り遅れたのを皮切りに、王朝が変わってからは没落……」
「いや、けっこう前に現代化してるぞ」
「……なんですって?」
思わず口を挟んだアグルに、アンシアが板書の手を止めて睨んできた。
「出まかせはやめてください。お嬢さまに嘘を教えて何を企んでいるのですか?」
「嘘じゃない。東洋の島国のまねごとだよ。植民地化しそうになった所から急速に発展したそこを参考にして、新しい王朝が内部の反対を押し切って始めたのさ。オレが現地に行ったのはもう何年も前だが、その時でも街並みは変わってたぞ」
「……で、出まかせですよ。証拠もなしに、信じられるはずが――」
「証拠? まあ、あるにはあるが……」
言いながら、アグルは椅子代わりにしていた自分の鞄を開ける。
衣類などは借りた部屋に残しているが、画材関係は全てこの中だ。
アンシアとクライが顔を見合わせてからこちらへ近づいてくると、アグルは目的の物を取り出した。
「これ……絵?」
「トリエンタの首都。その風景画だ」
小首をかしげるクライにアグルは肯定する。
取り出したのは使い古しのスケッチブックだ。
アグルがその中からクライたちに見せたのは一枚の風景画で、半円形の屋根が特徴的な建物と共にこちらで言う現代的な家屋などの建築物が目立つ。その奥には工場から立ち昇る黒い煙があった。
半円形の屋根は向こうの建築様式で、ここキャバルリーグでは見ないものだ。
興味津々と絵を見るクライのやや後ろで、アンシアは神妙な声で呟く。
「……中々に上手いですね」
「人も現実も、騙すには相応の描写力が必要なのさ。先に断っておくがオレの想像なんかじゃないぞ? 王朝が変わってからこんな大規模な再開発が行われたんだ」
「再開発……? というよりも、これは――」
「ああ。軍拡、なんて言った方が正しいだろうな」
言いながらアグルも自身の絵に目を落とす。
風景の奥に描いた黒い煙。
それを発する工場群は全て軍需産業を行っていた。
軍国主義を進める他国に対抗するため、新王朝が躍起になって軍拡を推し進めた結果なのだろう。
列強の喰い物にならないための一番簡単な方法は「そこと同等の軍事力を持つこと」である。その選択ができなければ、容赦なく他国の餌食になるだけだ。
――そうならないために、どこの国も躍起になってるわけだ。
「今の時代、どこの国でも軍拡、侵略、搾取の三拍子が流行の最先端だ。キャバルリーグなんてのはその筆頭だしな。この辺みたいな田舎はあまり変化はないようだが、海辺の方じゃ軍港や造船所とかも増えている」
「……いつか、大きな戦争が起きそうですね」
「いつかは起きるさ。こっちの世界にどこまで影響があるかは分からないがな」
流石に話が横道にずれ過ぎだった。
閑話旧題とばかりにアグルはページをめくる。
新たな絵が姿を現し、すぐにクライの瞳が興味深そうに見開かれた。
「……見たことないものが、いっぱい」
「ああ。どこもここにはない文化だからな」
文化というのはその土地、風土に合わせて生まれ、そして変化するものだ。
帝国から数千キロは離れている国なのだから全く別物の文化があるのは当然のこと。仮にこの先かの国にこちらの文化が根付いたとしても、全く同じものにはならないだろう。
パラパラとスケッチブックのページをめくりながら、アグルは所々で適当な解説を挟んでいく。
クライはそれを目を輝かせて聞き、アンシアは「自分の仕事を取られた」と面白くなさそうにしながらも、アグルの話をしっかりと聞いていた。