ep.3 現実 (4)
現在予定されている小隊の仕事について簡単にテオへと説明をしながら、ルイーゼは城の廊下を早足で歩く。
ふと、曲がり角の先から向かってくる者の気配に気がつき、部下と共に足を止めて廊下の端へと避けた。
少し苛立ったような足音と共に姿を現したのは、ルイーゼが想像した通りの男だった。美しい絹の衣を身に纏った男は、廊下の端で己に向かって首を垂れる者たちを見て顔を歪める。
「これはこれは、クラウス殿下の猟犬たちではないか。道理で廊下の向こうまで死臭が漂っていると思ったわ」
「……角曲がるまで気づいても無かっただろ、無能が」
小声で悪態をつくテオの腕を、隣で頭を下げている隊士が軽く引いた。余計なことを言うな、という意だったが、幸運なことに人間の耳では暴言を拾えなかったようだった。
彼らのやり取りになど一瞥もくれずに、男はルイーゼの顔を上げさせると、彼女の瞳を見てまた表情を歪める。
「聞いたぞ、また殿下がお命を狙われかけたという話ではないか。主にすら死を招き寄せるとは、さすが『災厄』だな」
「城の警備に問題があったようで、既に上に報告は上げております。城内への侵入経路は、宰相殿とも親しくされているブラント侯爵の兵が担当しているはずでしたが、まだお耳に入ってはおりませんか?」
「それは初耳だな。次の諮問会では侯爵への追及があることだろう。あらかじめ準備の期間を設けさせて貰えたことに礼を言おうか、ヴァイス卿」
たっぷりと皮肉の込められた敬称に、反射的に言い返そうとしたテオの腕がまた強く引かれた。
ルイーゼは表情を変えることなく、僅かに首を傾げる。さらり、と白い長髪が黒衣の上を流れ落ちた。
「かの獣人の尋問ですが、通例通り私たちが対応しました。存分に痛めつけ、何も喋らねば処刑だと伝えたところ、それはもう饒舌に事情をお話頂けました。何でも、ある男の指示で、この凶行に走ったと」
「そうか。後腐れのない獣人を下手人として利用する。古今東西ありふれた話だな」
「はい、獣人による殺人未遂は例外なく処刑です。死人に口無し、合法で口封じができ、便利なものでしょう。仮に命じた者の特徴や、よしんば名前を告げたとて、大罪を犯した獣人の証言がまともに聞き入れられる訳もありません」
淡々と告げられる内容に、宰相はその通りだ、と頷き、次いで不快そうに片眉を上げる。
「して、話したいことはそのようなくだらぬ話か? 私はお前たちと違って忙しいのだがな」
「それはお引き止めして申し訳ございませんでした、宰相殿。ところで……宰相殿と親しくされている諸侯の中に、薬の類に詳しい者はおられませんか? 抵抗力の下がった孤児を衰弱させる毒と、それを解毒する薬に詳しい者は?」
「無礼だぞ、ヴァイス卿。私にものを問いたければ、立場と分を弁えろ」
男の声が低くなる。ルイーゼは一歩下がり、その場で深く頭を下げた。長い髪が完全に滑り落ち、細く白い首筋が露わになる。
「重ね重ね、失礼を致しました。ですが……クラウス殿下も私たちも、明日無き者を利用し、虐げることを決して許しません。今回の首謀者には、いつか必ず、報いを受けて頂く。この国に仕える騎士として、そのつもりであることを、聡明な宰相殿にもお知り置きいただければ幸いです」
「……狂犬なりに、せいぜい働くがいい。くれぐれもこの国に災いをもたらすでないぞ、災厄」
地を這うような低い声でそう言って、宰相の男はルイーゼたちが来た方角へと歩き去って行った。
その姿がすっかり見えなくなってから、肩を震わせていたテオが勢いよく顔を上げ、天井に向かって吠えるように叫んだ。
「ああーーっ! 相変わらず腹立つなあいつ! 剣も碌に使えない癖に、その喉笛――」
「テオ」
城内で危うく物騒なことを口走りかけたテオは、静かに呼ばれた己の名に慌てて口を噤む。一言詫びてから、彼はルイーゼの顔色を伺った。
「小隊長……申し訳ありませんでした」
「いいえ、むしろこの場をよく耐えてくれました。礼を言います」
「小隊長、いい加減にこいつを甘やかすのをやめてください。それよりも……今回の件、宰相が絡んでいると?」
訝しげな隊士の問いに、ルイーゼは首を横に振る。
「いえ、老獪な宰相殿が噛んでいるのであれば、多方に証拠を残すようなことはしませんよ。ただ、これで殿下も少しだけ動きやすくなったはずです」
「はあ……つまり、脅しですか」
テオの感心したような声に、そのような立派なものではなくせいぜい牽制だ、とルイーゼは答えた。
宰相についての話を終えかけたところで、テオが何かを思い出したように、あ、と声を出す。
「そういえば、災厄、って何ですか?」
「お前……そこまでいくと馬鹿を通り越してるだろ。上官に蔑称を聞く奴があるか」
もはや怒ることもなく、呆れたようなため息を吐く隊士に、テオはまた慌ててルイーゼに謝罪した。
ルイーゼはもう一度首を横に振り、ただの渾名のようなものだ、と答える。
「この国に伝わる古い伽話です。赤き髪と目を持つ『終末の魔女』が、人間の半分を獣に変え、この世に争いを生み出したと」
「それで、退治したのがこの国の初代国王ってな。貴族の年寄り連中が馬鹿みたいに崇めてる伝承だ。本当に、日がな暇そうで羨ましい限りだな」
ルイーゼの説明を引き継いで、隊士が舌打ちを漏らした。
話を聞いていたテオが大きく首を傾げる。
「それって……目の色が同じってだけですよね? 小隊長と魔女に何の関係があるんですか? 失礼ながら、小隊長も魔力の類はさほどお強くなかったと……あっ! もしかして例の魔装具ですか⁈ 研究を再開されたのであれば、俺にも――」
嬉々として捲し立てている後輩に、隊士の男は毒気を抜かれたように肩を竦めた。
「世の中皆お前みたいに単純なら、殿下の改革も一晩で終わるんだろうよ」
その呆れたような声に、ルイーゼもほんの僅かに目を細めた。