ep.3 現実 (3)
「申し訳ありません。貴方には嫌な役回りを任せました」
あと少しで地上へ続く階段を登り切るというところで、ルイーゼは背後に続く隊士へと振り返らないまま声を掛けた。
隊士は深いため息を吐き、それから小さく舌打ちする。
「構いません。ほとんど俺の本音です。それよりも、小隊長。最後のあれはやり過ぎだ」
「あれというのは」
「分かってて言ってるでしょう。自分の弱みになるような獣人の孤児を、あいつらが殺しもせずに野放しにしていると、本当にそうお思いで?」
そこでルイーゼの足が階段の一番上へと到達する。重たい扉を開く前に、狭い空間でルイーゼはくるりと背後を振り返った。
「残り僅かな命です。それに、少しでも希望を抱いて死んだ方が、死後の魂が良いところへと向かえるような気がしませんか?」
いつも通り飄々とした物言いからは、それが冗談であるのかどうなのか判断出来そうになかった。
隊士は少し苛立ったようにルイーゼから視線を逸らす。
「そういう人間くさい考え方は好みません。伝承だの信仰だの、明日の飯に困ったことのない人間様は、すぐにそんな暇なことを考える」
「それでクラウス殿下のような、志を掲げる者が現れるというのであれば、暇というのも捨てたものではないでしょう」
ルイーゼはさほど表情を変えないまま、態とらしく肩を竦める。
数秒の沈黙の後で、再び隊士の視線がルイーゼの目を捉えた。
「……あんたはいつもクラウス殿下が甘い甘いって言いますがね、俺に言わせるとあんたも同類だ。そうやって獣人の肩ばっかり持ってると、今に痛い目に遭いますよ。『冷徹な死神騎士』を演じたいなら、いちいち罪人や俺たちにまで心を砕いてるんじゃねぇ」
苦々し気な表情で告げられた内容に、ルイーゼは微かに目を丸くする。この隊士は最も付き合いの長い者のうちの一人だったが、そう思われているようであれば小隊長として未熟だと、浮かびかけた苦笑いを飲み込んだ。
「忠言をどうもありがとう。ですが、そのようなつもりはありませんよ。私はただ近衛騎士として、クラウス殿下の理想に従っているだけです」
肩を竦めてそれだけを答えて、ルイーゼは振り返り、城内へと続く重たい扉を開いた。
◇
ルイーゼが城内へと姿を現すと、彼女のもとへと人影が走り寄った。
「ルイーゼ小隊長! その……例の、賊は……?」
駆け寄ってきた時の勢いとは裏腹に、テオの声にはいつものような力強さが感じられなかった。
彼の問いに対して、ルイーゼではなく彼女と共に出てきた隊士が嘆息混じりに答える。
「はあ……王族殺害未遂で、しかも獣人だぞ。取り調べなんかする間もなく極刑に決まってるだろ」
隊士の返答に、テオの耳が力無く項垂れる。
「そんな……なんで……どうしてよりによってクラウス殿下を……」
「唆されたんだよ。殿下が邪魔で仕方がない誰かしらにな。今年に入って何件目だと思ってんだ。いい加減に慣れろよ」
はっきりとした苛立ちを滲ませた声に、テオは少し俯かせていた顔を上げた。
「だって……殿下は、クラウス殿下だけが、本当に俺たちのことを考えてくれてる。殿下の改革が成れば、そうすれば俺たちだって、もっと認められるようになる。そうですよね⁈ ルイーゼ小隊長!」
そう最後は叫ぶように言って、テオがルイーゼへと詰め寄る。彼を止めようとする隊士の肩に手を置き、ルイーゼは眼前に迫ったテオの目を真っ直ぐに見返した。
「殿下の理想に、疑問がお有りですか?」
「いいえ……いいえ! 俺は誰よりも殿下のことを信じています! でも、だから……小隊長、俺、悔しいです……! 殿下が救おうとされている獣人すら、殿下のことを信じきれない。それは、俺たちの力が、足りないからだ……!」
「勝手に一括りにしてんなよ、新人が。俺だってよく知らねぇが、改革ってのは一朝一夕にはならねぇんだよ。お前は俺らの中でも群を抜いて馬鹿なんだから、難しいこと考えるのは聡明な殿下や小隊長殿に任せとけ」
強い舌打ちと共に、隊士がテオの首元を掴んでルイーゼから引き剥がす。
そっと伸ばされたルイーゼの手が、テオの肩へと触れた。
「テオ、貴方の忠義と高潔さは評価します。貴方は若いが、剣の腕もいい。騎士として不遇の目に合わせていること、歯痒い思いをさせていることは、この場で詫びさせて頂きます。しかし……クラウス殿下を『誰よりも』信じているというのは、少し聞き捨てならないですね」
ほんの僅かに低くなった声に、テオの身体が小さく震え上がった。適当に謝っとけ、と耳元で隊士に囁かれ、彼は慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません、ルイーゼ小隊長。その、俺は、ルイーゼ小隊長のことも心から尊敬していて、それで、えっと……今日の執務が終わった後で、また手合わせをお願いできないでしょうか! 俺、もっと強くなって、それで、もっと殿下のお力になりたいです!」
上がった顔に爛々と輝く瞳に、そばに立つ隊士がため息を吐く。つい昨日、文字通り血を吐くまで叩きのめされていたというのに、この若い新入りは少しも懲りていないようだった。
ルイーゼは承知した、と頷き、彼らを連れて自らの執務室の方へと歩を進めた。