ep.23 二人の世界
見渡すかぎり、空と水だけがあった。遥か水平線まで、澄んだ青が果てしなく広がっている。
頭上には、雲はおろか生き物の一つさえも見当たらない。何にも阻まれず、ただ抜けるような蒼穹が続いていた。
柔らかな風が、水面に小さな波を描いては、細かく砕いていく。全方を囲む水平線は、少しも途切れることがない。
穏やかな波音だけが響く静かな世界に、少しの前触れもなく、その光は現れた。
空に赤い点を落としたような光は、次第に強く大きくなる。そしてそこから滲み出た人影は、素直に重力に従って落下して、四方に派手な水飛沫を散らした。
やがて水面から、黒い髪が現れる。次いで、男の腕に引き上げられるようにして、白い頭が水面を割った。
女の意識はなかったが、着水の衝撃で気をやっただけだと男は判断する。さして水を飲んでないことを確認し、自らに寄り掛からせるようにして、大小二つの身体が水面に浮かんだ。
男が嘆息する。
ここが海であるとすれば、男の知る限り、かつて住んでいた国とその周囲にそのようなものはなかった筈だ。或いは汽水の湖か何かかもしれないが、どちらにしても、さっぱり見当違いの場所に落とされたか、地形が変わるほどの長い年月が経ったか、最悪のところ全く見知らぬ世界である可能性すらある。
やってくれたな、と青空に向かって呟くと、そこから人を小馬鹿にしたような笑い声が返った気がした。
ふと、胸の上で細い身体が身じろぐ。僅かに開いた瞼の奥から、赤い瞳がのぞき、やがて訝しげに細められた。
まずは陸地があることを祈れと、男がそれだけを告げると、女はため息を吐いてから渋々頷く。
半分乗り上げていた硬い身体から、ごろりと転がるようにして、女が水中へと身を落とした。すぐに浮かんできた身体が、白い髪を広げながら、水面に仰向けに浮かぶ。
隣に同じように浮かぶ男に、ぴったりと寄り添うようにして、二つの身体はただ静かに、透明な青の世界を揺蕩った。
◆ 後書き ◆
本話をもちまして、当作品は完結となります。
最後までお付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございました。
日々、読んでくださる方がいることに支えられてきました。
この物語が、どこか一行でも、誰かの心に残るものになれていたなら、書き手としてこの上なく幸いです。
なお、女性向け別サイト「ムーンライトノベルズ」でも、同名義(宵乃凪)で活動しております。
もしご興味がありましたら、そちらも覗いていただけると嬉しいです。
次は、「天真爛漫な人魚と、生真面目な空の民との異種族間恋愛」をテーマにしたお話を書きたいと考えています。
また、どこかの物語でお会いできますように。
宵乃凪