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ep.20 臨界 (1)

 終末の魔女の再来から、既に七年が経とうとしていた。



 かつては長き平和に抱かれていたシュヴァルツ王国は、すっかり軍国家へと様相を変えていた。


 けたたましく打ち鳴らされた鐘の音を聞き、大通りを行く民たちは皆慣れたように、屋内へと設けられた避難所へと隠れ潜む。


 此度のように、王国領土にはしばしば隣国の屍兵が侵攻し、既にシュヴァルツ王国を除く近隣諸国は、国家中枢までが魔女の毒牙に飲まれてしまっていた。



 魔女の屍兵は、年々その力を増しているようだった。


 数年前に、恐らくは生前のものであろう魔力を使う屍兵が現れ、更に先日は脳を切り落としても尚動こうとする兵を相手にすることとなった。


 その戦場に立っていたクラウスが屍兵の四肢を落として無力化した上で、付近に設置した拠点まで出向いていたグンターへと見せたところ、肉体に残る魔力の残滓が云々、といった見解を老人は述べた。


 未だにその力の解明は為されないものの、魔女の脅威が増幅していることは明らかであり、王国内では年々『終末の魔女討伐』に対する機運が高まっていた。





「クラウス殿下、南の沼地はもう捨てた方が良いでしょうな。あの辺りに住まう者たちは、既に半数が隣国へと亡命し、残った者の中には精神に異常をきたし始めたものすら現れ始めております」


 議会が始まって早々のホーエンベルク公爵の発言に、集まった貴族諸侯から深いため息のようなものが漏れ出た。


 すっと、線の細い男が挙手をする。


「恐れながら、商工会の方からも被害の報告が。魔女の森付近へ差し掛かった時、何と言いますか、頭の内をなぞられるような嫌な感覚があったと。グンター博士の報告にあった、魔女の魔力によるものでは無いかと推察されます」


「ミュラー侯爵、貴公の兵はその手の干渉に対する抵抗力が幾許か強いと聞いたが」


「はい、宰相殿。ですが此度は吐き気や眩暈、加えて……意欲の喪失のような状態に陥った兵が数名。詳しくはこの後、博士の意見を仰ぎたいと思いますが、もはや人間の兵による魔女への接触自体が危険を孕むと思った方が良いのではと、そう考える次第です」


 苦々しげな声で述べられた報告に、宰相を始めとした数人の諸侯がさらに眉を寄せた。



 ブラント侯爵が深いため息を吐き、首を横に振る。蓄えられた豊かな髭には、白いものが混じり始めていた。


「だからこうなる前に、こちらから攻勢を掛けるべきではと申し上げたのだ。獣人の兵は軍の半数、魔装具による強化があるとはいえ、戦力には歴然たる差があります。我が兵はどうやら魔女の魔力には弱い。十全に力を発揮できるうちに、討伐の命を頂きたかったものですな」


 貴族諸侯の目が同時にクラウスへと向けられる。

 クラウスはとん、と指先で机を軽く突いた。


「いや、総数についてはその次第ではない。魔女の力は、屍兵を全て同時には動かさぬと、ここ半年の戦場から得られた知見だ」


 戦場に出る兵の数と、国民の規模から類推するしかないが、王宮内に詰める屍兵自体は恐らくは現状でも対処できる範囲だとクラウスは続けた。


 ここまで沈黙していたレンツ侯爵の目が、ぎょろりと動いてクラウスを見据える。


「それでは、いよいよ打って出られるおつもりか?」


「手筈は整っている。後は、王にご決断を頂く」


 クラウスの端的な返答で、簡易的な議会は終結となった。





 広間から廊下へと出たクラウスを、数人の騎士が出迎えた。彼らの頭にはいずれも獣の耳が付いている。


 クラウスは自らの近衛へとこの後の指示を与え、素早くその場を去ろうとする隊士のうちの一人を呼び止めた。


「テオ、今朝正式に、お前への爵位授与が決まった。すまないが、今後は『テオドール』と名乗るように」


 獣人の名には似たものが多く、『テオ』という名前は軍の中だけでも数十は下らない数が存在する。


 以前から打診していた新たな名をクラウスが告げると、テオは少しばつが悪そうに身を捩らせた。


「それは……光栄ではありますが、でも本当に良いんですか? 俺よりずっと長くやってる隊士もいますし、それに今のこの状況で爵位なんて言ってる場合じゃ……」


「そう言うな、テオドール子爵」


 テオの言葉を、クラウスの背後から現れた大男が遮る。


 広間から出てきたブラント侯爵は、テオの頭の上で緊張にそよぐ耳を見ながら小さな笑い声を漏らした。


「儂と、ホーエンベルク公爵からの推薦だ。今のこの状況だからこそ、貴公らが使い捨ての兵ではなく、この国に仕える戦士なのだと、分かりやすい形で示す必要があるのだ。すまんな、主の嫌う『貴族様』は、兎角体裁や伝統を重んじるのだ」


「そ、そんなこと言わないでください! えっと、その、厚くお礼を申し上げます、ブラント侯爵閣下」


「して……カタリーナとの仲は」


「ぅえっ……と、来月の茶会に招かれて……あー、その、申し訳ございませんが、任務がありますので、御前を失礼致します!」


 はきはきとした大声でそう言って、テオは風のように廊下を駆けて行った。


 その背を見送ってから、ブラント侯爵は少し複雑そうな表情で、蓄えたひげを撫でつける。


「殿下の抱かれた理想とやらは、獣人との共存でしたな。私の妻も同じような志を持ち、そしてその意志を娘も引き継いでおるらしい。融和反対を掲げた私は、すっかり異分子扱いです。やれやれ、時代も変わってしまったものだ」


「爵位の件について、ご助力を感謝する」


 クラウスの礼に、侯爵はいいや、と首を横に振った。


「正直なところ、飲み込み切れてはおりませんがな。しかし、あの青年はなかなかどうして悪くはない。婚姻などと言い出せばどうしてやろうかと思っておりましたが、ですが不思議と今では、昔ほどの抵抗は無いようにも思うのです」


 自分も歳を取ってしまったものだと、そう言ってブラント侯爵はからからと笑った。


 ひとしきり笑った後で、不意に侯爵は真面目な表情を浮かべて、クラウスへと半歩近付く。他の者が聞き耳を立てていないことを確認してから、低く絞り出すように告げた。


「……クラウス殿下、保守派貴族の者も、今や獣人の起用に反対する者は少数です。それだけ、この国は追い詰められているともいえる。異を唱える諸侯は、私の方でも手を回す故、必ずや王を説得し、そして魔女の時代に終止符を」


 そうはっきりと言って、ブラント侯爵はクラウスへと深く頭を下げた。

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