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ep.19 魔女の箱庭 (1)

 ルイーゼが隣国へと辿り着いた時、そこではちょうど流行り病が蔓延していた。


 門を潜る前から鼻に届く酷い死臭は、城下町へと足を踏み入れると尚一層その濃さを増した。所々が剥がれた歪な石畳の上には、ボロ布を纏っただけの身体がごろごろと転がっている。


 微かに漏れ聞こえてくる呻き声のような音から、それらのうちのいくつかはまだ息があるようだったが、この底冷えする寒さの中では長くはもたないだろう。



 ルイーゼは外套で鼻先までを覆うと、無言のまま足を進める。


 城の方へと三分の一程進んだところで、大きな物音と共に、ルイーゼの目の前に複数の身体が転がり出てきた。


 獣の耳を纏った少年たちは、皆一様に腹を抑えて苦しそうな声を漏らし、うち一人が血の混じった吐瀉物を吐き出した。


 次いで、彼らを殴ったのであろう体格の良い人間の男が、掘建て小屋のような建物からのそりと姿を現す。男の顔はすっかり赤らんでおり、恐らくは深く酒を飲んでいるのであろうことが伺えた。


 男が、もはや解読すら出来ない奇声のような怒号を上げながら、獣人たちに向かって足を振り上げる。

 深酒により平衡感覚を失った身体はそのまま仰向けに倒れ、更に受け身すら取らなかったことで強く頭を打ちつけたらしい。男は鈍い動きで身を曲げて悶絶する。


 それを見るや咆哮を上げながら飛び上がった獣人の少年は、まるで獣か何かのように男の身体へと飛び付き、直後に辺りには鮮血が飛び散った。



 ルイーゼは静かに嘆息する。


 かつて王国で耳にした報告から、この国において病による人口の大幅な減少があったことは知っていた。


 それにより民の間には鬱憤が溜まり、それは王国への無意味な侵攻という形でも現れ出ていたが、市井においては今し方目にしたような噴出の仕方をしているようだった。


「どこの国も、どの時代も、生物の根底は変わらない。強者が奪い、弱者が死ぬ。それであれば……私が、唯一の強者であればいい」


 酷く痛む額を抑えて少し顔を顰めると、ルイーゼはそう呟く。


 先程まで殺し合っていた人間と獣人は、結局どちらも力尽きたらしい。

 虚空を恨みがましげに睨む濁った瞳を見下ろして、ルイーゼはそっと彼らの肩へと触れた。





 宮殿は、混乱に包まれていた。


 この国を守護するはずの帝国軍は、やはり病により相当数を減らし、また市井で頻発する暴動や、宮殿内の紛争によって疲弊し切っていた。


 すっかり精細を欠いた軍兵の剣先が、宮殿へと攻め込んできた賊の手にしたナイフに弾かれる。

 そのままあわや喉元を切り裂かれるというところで、軍兵は何とか身を引き、代わりに隣の兵が賊の頭を剣で貫いた。


 安堵の息を吐きかけた兵たちの視線の先で、虚な瞳がぎょろりと動いた。自らの額に突き刺さる剣を気にした様子もなく、死臭を放つ腕が振り上げられる。


 軍兵たちは悲鳴を上げ、動く屍体の頭に刺した剣をそのままに、脱兎の如くその場を逃げ出した。



 ルイーゼは時折屍兵に指示を与えながら、悠然と宮殿内を闊歩する。


 不死の軍団は、斬られても突かれてもこれ以上死ぬことはなく、そして新たな屍体が生まれる度にルイーゼの手駒は数を増した。


 攻め込んだ時よりも随分と静かになった宮殿で、ルイーゼの足が豪奢な扉の前で止まる。


 ゆっくりとそれを押し開けてやると、他に誰も居らぬ謁見室で、酷く疲れ切った様子の男が玉座にもたれ掛かるようにして座っていた。



 ルイーゼは入り口で優雅に一礼してから、男のもとへと歩み寄る。やはり血に汚れた素足の下で、柔らかな絨毯が形を変えた。


「ご機嫌よう、皇帝陛下。唐突な訪問をどうぞお許しくださいませ。何せ不老の身、人間の暦は、私には刹那の瞬きに過ぎません」


 ルイーゼの赤い唇が、そう歌うように告げた。

 皇帝と呼ばれた男は、齢は四十前かそこらの筈であったが、少しも覇気の無い様相から枯れかけた老人を思わせた。


「魔女か。何用だ。この国は既に死にかけておる。主が望むものなど、ありはせん」


 少し長い沈黙の後で、皇帝は無感動な声でそう言い放った。


 ルイーゼは気を害した様子もなく、薄く微笑み、その足が玉座への階段を登っていく。

 皇帝へと手を差し伸ばすと、ルイーゼの細い手のひらに、男の少し乾燥した手が触れた。


 載せられた手を軽く握り、ルイーゼは更に深く口角を上げる。


「お妃様は、流行り病で?」


 静かな問いに、皇帝は肩を震わせ、やがて無言で頷いた。ルイーゼはふわりとその肩に両腕を回し、男の耳元へと唇を寄せる。


「私の力は、存分にご覧になられたでしょう? 皇帝陛下がそれをお望みであれば、叶えて差し上げましょうか」


「……死の魔女よ、代わりに、余に何を望む」


「何も望みません。ただ私は、この国を理想郷にしたいのです」


 ルイーゼは瞼を下ろしてそう囁いた。光の入らなくなった視界に、艶やかな黒髪と力強い瞳が浮かんだ気がして、喉奥から溢れかけた笑いを飲み込む。


 皇帝の首が静かにもう一度縦に振られたことを感じ取り、ルイーゼは目を閉じたまま満足げに微笑んだ。

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