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ep.17 終末の魔女 (1)

 すっかり日の落ちた城下町の、濃紺の空の一端が、赤い色に染まる。


 街の片隅のこの区画に、死者を埋葬する為の広場が設けられている。



 かつては獣人の屍体は、罪人のものと同様に、平原や森に遺棄されていたものだった。


 しかし、故キャスリン妃が王籍に入る頃、王が獣人も罪人も全て等しく埋葬するようにと法を改正し、今では国内で死んだ者の殆どはこの地面の下で眠りにつく。



 いつも静かな墓地は、今は激しく燃え盛っていた。


 美しく整えられた草地がところどころ掘り起こされ、死者の魂を慰める為に植えられた花が無惨に焼け落ちていく。



 ひたひたと裸足で地面を歩んでいたルイーゼは、ふと視界に人影を見つける。


 墓石の陰で身を震わせている中年の男は、恐らくは身内か知人か何かの死を悼みにここへ来たのだろうとルイーゼは思った。


 そっと音も無く近付いて、丸くなった肩に背後から手を置くと、短い悲鳴が漏れ聞こえた。


「ひいぃ……!」


「大丈夫です。ここに居られると危険ですよ。さあ、共に街の方へと参りましょう」


 柔らかな声音でルイーゼが歌うように言う。


 男の震えがぴたりと治まり、やがて無言で頷くとその場に立ち上がった。



 ルイーゼが墓の出口の方へと軽やかに歩みを進めると、男は無言でその後についていく。


 虚な表情の男の後ろには、顔や肌に一切の血の気がない人間や獣人たちが続いた。



 少しも物言わぬ静かな隊列を肩越しに一度振り返り、ルイーゼは再び前を向きながら、手の中の魔装具を弄ぶように転がした。





 すぐに城へと上がってきた報告を受けて、クラウスは城内に詰めていた兵や彼の近衛を集めて急いで城下町へと降りる。


 その余りに異様な光景に、兵のうち何人かが口を押さえて数歩後ずさった。



 街は、四方に火の手が上がり始めているにも関わらず、冷たい静寂に飲まれていた。


 日中は露店がずらりと並び、多くの人間が行き交っている筈の大広場には、僅かな数の人間しか残されてはいない。


 彼らはいずれも酷く怯え切った表情で、ある者は街灯に縋りつき、ある者は地面に座り込んで、同じ一点を凝視していた。



 王国の民の視線を一身に受け、赤い外套を纏った女がこちらを背にして、夜空を舐める炎を眺めるように立っている。


 その周囲にまるで付き従うかのように蠢いている複数の身体は、片腕が腐り落ちていたり、首が落とされかけているものもある。


 木々の焼ける匂いに混じる死臭を嗅がずとも、屍体の類であることは容易に分かった。


「ひっ……ひいいいぃ……!」


 遂に耐えきれず、兵の一人が悲鳴を上げる。

 それに呼応するように、女がゆっくりと振り返った。


 恐らくは血によって赤黒く濡れた頭に、前髪の隙間から覗く真紅の瞳。

 魔女だ、という呟きが、誰かの口から漏れた。


 ルイーゼの人間の耳がそれを拾う。

 鎧姿の集団の、その先頭に立つ男の姿を認め、薄い口角が楽しそうに吊り上がった。


「ご機嫌よう、忌まわしきシュヴァルツ王国の方々。私をご存知のようで何よりです。また呪いでもかけて差し上げようと、森より出向いて参りました」


 ルイーゼがそう言って、外套を揺らしながら、腰を折って一礼する。


 兵の間から、伝承の、といったざわめきが漏れたが、クラウスの剣先が強く地面を突くと、それらはぴたりと収まった。


「火を消し止めろ。方角からいって恐らくは墓地だ。それから東西の旧商業区画、今は無人のはずだが手分けをして負傷者の捜索、及び消火に当たれ。絶対に人の住む地区まで燃え広がらせるな」


 クラウスが低い声で周囲の兵に指示を出す。


 兵たちはびくりと肩を震わせて、酷く戸惑ったようにクラウスとルイーゼの顔を交互に見た。


「で、ですが、殿下……」


「早くしろ!」


 静寂を切り裂くような鋭い怒号に、再び兵の肩が大きく跳ね上がり、そして互いに持ち回りを確認し合いながら四方へと散開していった。



 ミュラー侯爵の私兵である軍兵たちの姿がすっかり無くなってから、クラウスの背後から一つの影が蹌踉めくように躍り出る。


「なん、で……ルイーゼ、さん……ですよね……」


 テオの茶色い耳は、力無く折り畳まれていた。なんで、という呟きが再び彼の口から漏れる。


 白かった筈の髪が血に染まり、頭の上にあった筈の獣の耳が無くなっているが、目の前に立つ女は今朝まで城の地下牢に捕らわれていた獣人に間違いはなかった。


 狭い石牢では常に座っているか横になってるかで、ついぞ立っている姿を目にしたことはないが、自分よりも背が高かったのかと、そんなどうでもいいことを彼はぼんやり考えた。



「お前は、頭を冷やした結果が、これか」


 クラウスはテオの腕を引いて下がらせながら、そう言って一歩前に出る。


 ルイーゼは無言で指先を持ち上げ、そっとなぞるようにそばに立つ獣人の屍体の肩に触れた。

 冷たい肩がぴくりと揺れて、光を映さない濁った双眸がクラウスへと向けられる。


 その腐りかけた足が地面を蹴るよりも早く、既に眼前にはクラウスの剣が迫っていた。



 動く屍体と剣を交えている主に、彼に仕えるべき近衛騎士たちは、呆然と佇む。


 しかし、こちらへ向かってくる人間の肉体が武器を手にしていることを見て、皆弾かれたように剣を抜いた。


 近衛たちが屍体を相手にしている様子を一瞥してから、ルイーゼはクラウスへと少し不満げに囁いた。


「折角それらしい名乗りをしましたのに、少しぐらいは付き合ってくださっても良いではないですか」


「死者の身を弄ぶような真似は、二度とするなと言ったな」


「残念ながら、まだ記憶にありますね。ですがそれは、ここより未来の話です。ここにいる私は、貴方の騎士でも何でもない。故に、命に従う道理はありません」


「詭弁だな。一度この剣に殺されねば理解しないか」


「理解したくもないと言いました。それに、貴方には出来ませんよ。故に、唯一の魔女である私が、高潔な貴方の呪いを解いて差し上げます」


 鼻先に迫ったクラウスの剣を躱し、そのままルイーゼの身は飛び上がって、大広場の噴水の上へと静かに着地する。


 台座を砕いて叩き落とそうとするクラウスへ、ルイーゼは再び屍兵を差し向け、両手で外套の裾を持って優雅に一礼した。


「目覚めたばかりで、力が万全で無いのです。またいずれ、お伺いに参ります。それまでの日々を、この国に住まうすべての方々へ、ただ恐怖に怯える呪いを――」


 まるで伽話か何かのようにそう宣言して、ルイーゼの顔が上がる。


 彼女を中心に放たれた強い真っ赤な光は、国中を閃光のように駆け抜けた。




 やがて光がすっかり消え去った時、屍たちは再び土へと帰るのを待つだけの存在となり、彼らを従えた女の姿は消えていた。


 そして、ルイーゼ・ヴァイスという存在は、シュヴァルツ王国のすべての民の記憶から忘れ去られた。

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