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ep.15 灰の設計 (1)

 路地裏や屋根の上を人間の身体を抱えたまま風のように駆け、やがてルイーゼの足はクラウスの住まう屋敷へと迷うことなく辿り着く。


 叩き割った窓から室内に侵入すると、物音に使用人が駆け付ける前に、意識のないクラウスの身体をしっかりと鎖で寝台に繋いだ。


 無言のままルイーゼは廊下へと出向き、遭遇する屋敷の使用人たちを順に昏倒させていく。


 この頃ここに住まうのは、多少腕に覚えがある者を含むとはいえ人間ばかりで、十を過ぎたルイーゼは単純な腕力勝負で負けることは既になかった。


 意識を失った人間たちを、手近な布や紐を使って一人一人縛り上げていく。この先を考えると、屋敷の外に出て助けや増援を呼ばれると少し面倒だと思った。


「急がば回れ、と、本で読んだことがありましたね」


 最後の一人の身体を厨房の机の足へと縛り付けると、ルイーゼはそう言って満足げに頷いた。



 ルイーゼは再びクラウスを繋いだ部屋へと戻ってきていた。


 何処だったかと、薄ぼんやりとした記憶を辿りながら、何個目かの引き出しからようやくその黒い装丁の手帳を取り出す。

 本来の出会いであればこの後、クラウスから手渡されるはずの真っ新な手帳だった。


 固い表紙を開いて、そこに何も書かれていないことにルイーゼは小さなため息を吐く。

 共にこの時へと戻れなかった時点で、さすがに魔女の力が及ばないであろうことは想定していた。


 クラウスの机を漁って適当なペンを取り出すと、ぶつぶつと呟きながら、思い出せる範囲で魔装具についての理論や実験結果を書き連ねていく。



 手帳のページが三分の一ほど進んだところで、室内から呻き声のような音がした。


 次いで、じゃらりと鎖が擦れる音がして、ルイーゼはペン先を止めぬまま手帳から僅かに目を上げる。


 少し苦しげに歪められた黒い瞳と目が合った。


「何を、するつもりだ」


 軽く咳き込みながらクラウスがそう低い声で言った。


 ルイーゼは再び手帳へと目を落とし、文字列を書き並べながら静かに答えた。


「無論、貴方の命をお救いするのです、クラウス殿下」


「っ、私はそのようなこと、望んではいない!」


 室内に、怒号が響く。少年の声は、長年耳にしてきた男のものよりも高く、常に滲む威圧感の代わりに青々しい憤怒が込められているようだった。


 ルイーゼがふっと微かな笑い声を漏らす。


「望まれていなかろうと、それが私に課せられた責務です。私は、貴方の近衛騎士ですから」


「違う、お前は騎士ではない!」


 その返答に、ルイーゼのペン先が止まる。もう少し書き足したかったが、また相当記憶が抜け落ちたような頭からは、これ以上の有益な情報が捻り出せそうにはなかった。


 ルイーゼがため息を吐いて手帳を閉じ、胸元にしまおうとして、自分がボロ布を纏っているだけのことを思い出してまた小さな笑い声を漏らした。


 現時点ではクラウスの騎士ではなく、ただ食物の為に狩りをするだけの孤児だったが、クラウスの指摘がその意味なのかそうではないのか、もはや聞き返すこともルイーゼはしなかった。


 室内に掛けられた、恐らくは彼のものであろう外套を取り、その黒く大きな布を身に纏わせながら、ルイーゼは小首を傾げてみせる。


「それでしたら、魔女ですよ、クラウス様。私は、貴方の理想が作り出した魔女です。伝承はご存知でしょう? 魔女は、唯一人の為に、全てを滅ぼす存在です。私は、敵を、国を滅亡させてでも、いつか必ず貴方を救ってみせます」


「それは、救いなどではない……ルイーゼ……!」


 そう絞り出すように言い、クラウスは指先を寝台へと強く突き立てた。


 ルイーゼはその白い指先と深く項垂れた黒い頭を一瞥してから、割れた窓の方へと悠然と歩を進める。


「申し訳ありませんが、時間が無いのでお暇させて頂きます。そうですね、まず宰相殿を王妃様の件で支配下におきましょう。ホーエンベルク公爵は、公爵夫人のご病気を利用します。ブラント侯爵は……ああ、カタリーナ様は、まだ社交に出られるお歳ではありませんね。まあ夢見る貴族令嬢の一人や二人、どうにでもなるでしょう。近衛は、やはり獣人をお望みですか? それであれば魔装具を持たせましょう。軍の半数は、それで構成すればいい。敵を排除しきり、城内が安全になれば、殿下にはお戻り頂きます。今度こそは邪魔立てなく、理想の為の改革が進められることでしょう」


 滔々と歌うように述べていたルイーゼの足が、床に落ちた割れたガラスを踏んだ。


 足裏に刺さったそれを煩わしそうに投げ捨てると、血の付いた破片はがしゃんと本棚に当たって砕ける。



 ルイーゼが窓枠を乗り越え掛けた時、クラウスの頭がようやく上がった。


 黒い瞳が、泥で汚れ切ったルイーゼの頭を捉える。

 その髪が美しい純白であることなど、もはや想像すらできなかった。 


「ルイーゼ……なぜ、分からない……」


 絶望すら滲ませる声に、ルイーゼは首だけで振り返る。


 汚れてへばりついた前髪の間から、滲んだ赤い双眸がクラウスを睨んだ。


「分かりたくもありません。貴方の為に人であれと、そう仰ったのは殿下です。獣であれば、死ぬまで一人で生き抜けた。それを今更……それでは、クラウス殿下、また後ほど」


 前半の深い怨嗟のような声から一転し、ルイーゼは軽やかにそう言って身を滑り出させる。


 割れた窓には、彼女が残していった外套の断片だけが揺れていた。





 外套のフードを目深に被って、ルイーゼはグンターの住む屋敷を訪ねた。


 そこに勤める数少ない使用人は、ルイーゼの様相を見て物乞いか何かだと思ったのだろう、話も聞かずに追い払おうとする。


「お怒りはご尤もです。ですが、どうしても、魔力研究の第一人者であるグンター博士にお会いしたいのです。詳細はここではお話しできませんが、ある方から、ある技術の知識について預かってきました。()()()()()()()()()()()()()()()技術です」


 少し声を大きくしてルイーゼがそう宣言するように言った。


 迷惑そうな顔でルイーゼをつまみ出そうとする使用人の向こう側から、白髪混じりの頭が覗く。


 その表情を一瞥して、ルイーゼはフードの下で薄く口角を上げた。

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