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ep.14 過去 (1)

 死に戻りの狭間の、揺蕩う空間。

 地面もないそこに降り立った瞬間に、ルイーゼは腰の剣を抜き、躊躇いなく背後へと振り切った。


 両断されたロズの身体は、赤く長い髪を散らして、その破片すらも煙のように霧散する。


 やがて少し離れたところに、赤目赤髪の女がまた現れた。


「いきなりご挨拶だな」


 不満げに掛けられた声に、ルイーゼは小さなため息を吐いて剣を納める。


「もうこの場所には戻りません。時間と手間が惜しい。二度と姿を見せないでください。次、邪魔をするようなことがあれば、まずは貴女を殺します」


 ルイーゼは淡々とそう告げると、次いで胸元から手帳を取り出す。


 グンターの研究所で死んだ時には身に付けていなかった筈だが、まだこの身に残されていて僥倖だったと思った。


 黙々とそれを読み込むルイーゼの頭上に影が差す。


 彼女が僅かほども反応しないことにロズはため息を吐いた。


「なあ……何でそこまで、クラウスを絶対視する? 騎士の忠誠ってやつか?」


「貴女に話したところで無意味です」


「最後なんだろ? なら遺言と思って置いていけよ、な?」


 手帳を最後まで読み切ったルイーゼは、ぱたんとそれを閉じると揺蕩う空間へと放った。


 恐らくはこの先、これに頼れないことは分かっていた。


 ぶつぶつと何かを呟きながら、額を指先で繰り返し叩き、必要な事柄を刻み付ける。この空間を出た先で、記憶が僅かでも残っていることを祈った。


 やがて、ふう、と少し疲れたようにルイーゼが顔を上げる。


 ふわりと目の前にロズの身体が降りて来た。

 その顔にはいつものような、人を馬鹿にしたような笑みは浮かんでいなかった。


「な? 頼む」


 ロズはまるで懇願するかのようにそう言った。


 ルイーゼはため息を吐き、無言で透明な空間をなぞる。


 少し揺らいだそこに、ぼんやりと映像のようなものが浮かんだ。


 薄暗い森で、小さな赤子が泣いていた。



 ◇



 生まれてさほど立たぬうちに、魔女の住むという深い森に捨てられたルイーゼは、そこを縄張りとする獣によって育てられた。


 人を喰うこともある獣だったが、ちょうど巣に紛れるように捨てられたのが良かったのか、それとも携えた獣の耳が仲間だと思ったのか、幸運なことに彼女は自分で餌を取れる頃までを生き延びることができた。



 ルイーゼが森で暮らし始めて五、六年が経ち、いつものように餌を取ろうと巣を出ると、辺りには聞いたことのない音が鳴り響いていた。


 硬い物が擦れ合うような音と、遠吠えとも違う大声、これは後から知ったことだが、ここらの獣被害を受けて王国の兵が討伐に来たのだった。


 かつてルイーゼの腹を満たした乳房が胴体ごと両断され、共に餌を狩りに行こうと巣を出た個体の身体が血に塗れて泥の中に落ちている。


 ルイーゼは振り返ることなく森の中を疾走し、そしてやがて一つの集団に拾われた。



 次にルイーゼが身を寄せたのは、何処の国にも定住することなく、行商をしながら各地を巡っている者たちのところだった。


 腹を減らして川縁で倒れていたルイーゼのことを、彼らのうちの一人が拾って帰り、仕事を手伝えと簡単な言葉を叩き込まれた。


 彼らの仕事は商いの他に、巡った先での盗みや強盗が主だった。


 獣人の孤児は、国によっては憐れまれ、獲物を誘き寄せるいい餌になるのだと、ルイーゼを拾った人間は言った。



 行商人たちとの生活は、生肉以外を口に出来るという点で、悪くないものだった。


 しかしそんな生活も然程長くは続かず、一年が回るより前に衛兵によって彼らは皆囚われ、処刑された。


 また単身逃れたルイーゼは、再び森へと帰って、一人静かに獣を狩って食って暮らした。



 ある日、目の前まで追い詰めた筈の獣が、次の瞬間には宙吊りにされていた。


 罠、というものを仕掛けたのだという男は、時たまこの森に獣狩りに来る人間だった。


 ちょうど獲物を追い込むための猟犬が欲しかったのだと言って、男はルイーゼを狩りの相棒として拾った。


 狩人の男と協力することで、ルイーゼは餌を取ることが楽になった。


 報酬に与えられたのは最も腐りやすい内臓の類が殆どだったが、むしろ稀少な部位を独り占めさせてもらえて良かったとルイーゼは思った。



 この日もいつものように投げ渡された内臓を食い、そして気がつくと見知らぬ場所にいた。


 檻、というらしいものの向こう側から、知らない男が言うには、自分は売られたのだということだった。



 男は、奴隷商人だった。


 他の檻にはルイーゼと同じく獣の耳を携えた老若男女が転がっていた。


 やがてルイーゼは、移動や飯の時にしばしば暴れる彼らを押さえ付ける役目を命じられた。


 時には逃げ出そうとする者の足を折り、時には新たな奴隷を檻へと放り込んだ。



「弱いものが強いものに従うことは『道理』だ。道理に反するものが殺されるのは『摂理』だ」


 商人の男は口癖のようにそう言った。


 故に、檻を脱走した自分よりも弱い獣人をルイーゼは殺した。



 ある夜、眠るルイーゼに黒い影が差した。


 覆い被さる奴隷商人は、ルイーゼの売り先が決まったのだと言った。


 その前に一度、獣人の身体がどのようなものなのか知りたかったのだと、そう言って男の手がルイーゼの纏うボロ布に掛けられた。


 布が引き剥がされるよりも早く、ルイーゼの爪が男の首筋を躊躇いなく掻き切る。


「弱い。だから、殺していい」


 そう頷いて、ルイーゼは夜の城下町へと出て行った。

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