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ep.11 試行の伍 -ミュラー侯爵と近衛騎士- (2)

「ああ、ヴァイス卿! ここでは場所が悪い、さあ、こちらへ」


 不意に廊下で掛けられた潜め声に、ルイーゼは頷き、どこか忙しなさそうな線の細い男の後に続く。

 やがて一室に入ったところで、ようやく男は掴んでいたルイーゼの腕を離した。


「ヴァイス卿、探していたのだぞ、どこへ行っておったのだ」


「それは大変な失礼を致しました、ミュラー侯爵。先の戦の後処理と、他に何件か殿下より仰せつかわされた仕事がありまして。それで……もしや、また何かございましたか」


 ルイーゼの問いに、ミュラー侯爵と呼ばれた男は、差し出された手を取って何度も頷く。


「ああ、ああ、そうだ。今度は私の管轄している西の商工会から輸送の護衛を相談されたのだが、しかし、よりにもよって『魔女の森』を通るというのだ……!」


「北東の森付近には、獣被害の報告がありましたね。ミュラー侯爵の兵は、ちょうど先日城下で起こった火事の件で疲弊されているでしょう」


「その通りだ、ヴァイス卿。その上、行き先があの森ということもあり……恥ずべきことに、一部の者には私兵を辞めるとすら……まったく、長年雇ってやった恩も忘れて、何故我が兵は皆が皆してこうも――」


 ぶつぶつと兵への文句を言い始めたミュラー侯爵の手を、ルイーゼの両手がそっと包み込んだ。


「それはお困りでしょう。心中お察し致します、ミュラー侯。大変失礼ながら、先の戦にて捕虜を取り逃がした件と、侯爵の私兵による市民への暴行の件について、宰相殿に相当手を回して頂いたと聞いております」


 宰相、という単語に、男の顔が勢いよく上がる。その顔色は先程よりも随分と青褪めていた。


「ああ、そうなのだヴァイス卿。その上、国一番の商工会を失ったとあれば、いよいよ私の立場は危うい。ああ……何故こうも私の周りばかりで面倒事が続くのだ。それもこれも、ブラント侯爵が縁談に失敗したことが悪い。今回の件も、侯爵の私兵団を当てにできるならば、何の問題も無かったのだ。それだと言うのに――」


 また不満を並べ立てていたミュラー侯爵の手が、軽く握り込まれる。その感触にまた視線を目の前の女に戻すと、ルイーゼの顔には薄く冷たい笑みのようなものが浮かんでいた。


「代わりに台頭されてきたレンツ侯爵は、宰相殿の後釜を狙っておりますからね。保守派一派は、身内であり同時に敵であるとお考えでしょう。侯爵令嬢の件で最も厄介なブラント侯を糾弾した後は……他の家を潰しにかかられても、おかしくはないでしょうね」


 ゆっくりと言い聞かせるような言葉の内容に、ミュラー侯爵の顔が一層青褪める。彼は慌てて両手でルイーゼの手を握り返した。


「な、ならんならん! このようなことで家名を貶めるようなことがあれば、前当主様にも申し訳が立たん! ヴァイス卿、逃した捕虜を捕らえ直してもらった件については、改めて礼を言う。だが……」


 少し言い淀む様子の男に、ルイーゼはふわりと微笑みを浮かべた。


「承知致しました、ミュラー侯爵。お任せください、我が隊は皆、恐れ知らずです。たとえ伝承の森であろうとも、侯爵の大切な商団には、傷一つ付けさせません」


 耳の奥に響いた不快な笑い声に、ルイーゼは一瞬だけ顔を顰める。

 それにすら気が付かない様子で、ミュラー侯爵はルイーゼの両手を大きく上下に振った。


「おお、今回も礼を言うぞヴァイス卿。もはや貴公は、この国にとって無くてはならん存在だ。この恩は必ずや」


 そう言って彼は、まるで親しき友人を見送るかのように、ルイーゼを自室から送り出した。





 小隊の隊士たちに遠征の旨を伝え、クラウスにも許可をとった上で、ルイーゼは自身の支度のために彼女の部屋へと戻ってきていた。


「ミュラー、とかいったか。半年前とは打って変わった態度だな」


「ロズ、盗み聞きは構いませんが、邪魔はしないでもらいたいですね」


 そう答えながら、ルイーゼがこめかみを押さえて少し凝った首を伸ばす。


 保守派の上位貴族であるミュラー侯爵という男は、剛健で隙のないブラント侯爵と比べると、圧倒的に御しやすい人間だった。


 身に着けた魔装具に指先で触れ、ルイーゼは満足げに小さく頷く。


「カタリーナ様の時とは違い、時間は十分にありました。何度も接触し、ついでに恩を売ってやれば、保守派の侯爵であってもあの程度の操作はしてやれることが証明された。ミュラー侯爵は特に弱点の分かりやすい御仁ですが、繰り返し彼で練習させて頂ければ、老獪な宰相殿にもこの牙は届き得るやもしれませんね」


 話の途中で取り出した手帳をぱらぱらと眺めて、ルイーゼは微かに口角を上げる。


 初めのうちは、ミュラー侯爵が政敵であるクラウスの近衛騎士と部屋で二人きりになるなど考えられなかった。

 ブラント侯爵令嬢の攻略と並行して、何度か死に戻りながら彼の管轄下で頻繁に問題が起こるように仕向け、さらにその尻拭いを重ねてやることで、あの小心者の男はルイーゼを使える存在として懐に入れたようだった。


 あとは接触を繰り返し、カタリーナの時のように少しずつ思考に干渉して、今ではすっかり必要な存在だと思ってくれたようだ、とルイーゼは笑みを深める。


「加えて、ミュラー侯爵の懐柔には、思わぬ利点もありました。彼がクラウス様へ暗殺の件を漏らしてくれたお陰で、この貴重な猶予がもらえた。グンター博士との開発にとって、無くてはならない時間でした」


 ルイーゼの視線が壁に掛けられた暦へと移る。現時点で、火事が起こるはずの夜から既に一ヶ月が経過していた。


 また随分と力を使わされたが、実に有益な試行だった。そう言ってルイーゼの指先が手帳の表紙を撫でる。


「……これでクラウスが救われたとは考えないのか?」


 頭上から降ってきた声に、ルイーゼはくるりと振り返る。

 天井付近を飛んでいるロズを、ルイーゼの双眸がじっと見つめた。


「ええ、勿論です。根本的な解決には至っていませんから。数日後か数年後かは分かりませんが、敵を全て排除しないことには、結局同じ末路を辿ることになると思います」


 因果とはそういうものでしょう、とルイーゼが問う。その探るような視線から逃れるように、ロズは無言で姿を消した。

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