ep.10 試行の肆 -ブラント侯爵令嬢- (4)
もう幾度目かになる炎の夜。
先日の戦によってテオを庇うはずであった隊士は、今回はそのようにはならなかった。代わりに自分が負うことになった腕の深い傷と、それを見つけたクラウスから受けた叱責をルイーゼは思い出す。
燃え盛る屋敷の中を足早に進む。先ほど敵の手の者を表で何人か捕らえてみたが、魔装具を用いても有益な情報を聞き出すことはできなかった。
牢獄での尋問や、もしくはカタリーナの時のようにじっくりと時間を掛けなければ難しいのか、もしくは王族暗殺などという異常な状況下で、彼らが普通ではなかったためだろうかとルイーゼは考察する。
それであれば用はないと斬り捨てた男たちの血が、靴の中でぐしゃりと嫌な音を立てた。
あの紅紫の衣は恐らくレンツ侯爵の私兵であり、少なくともここに至るまで、ブラント侯爵の群青は目にしていない。婚姻の破談以降、保守派の中でかの家の立場はみるみる低くなっていった。最初の夜に彼に指示を出した者が、今回は没落しかけたあの家を頼らなかったのだろうと思われた。
ルイーゼの足が、クラウスの部屋の扉まで辿り着く。その前には獣人の死骸が転がっている。
苦悶の表情だが見たことのある顔は、確かに彼女の隊の者の一人だった。テオよりも少し歴が長いだけのこの隊士も、きっと何者かに、何かしらを吹き込まれたのだろう。
焼け始めた扉を開け、既に生命の失われたクラウスの頬をなぞる。
身体に残された刀疵からして、テオの時よりも少し苦しんだだろうかと思った。やはり抜かれぬままの剣を見て、ルイーゼが顔を顰める。
次いで窓から敵の構成を確認し、執務机に少し手を焼かれながら、確かにブラント侯爵を籠絡した記録を確かめる。
ここのところ彼女は研究のために城を空けることが何度かあったが、その間にクラウスが手を回したのだろう。長年を政局闘争に費やした彼に取って、没落しかけた一つの家を取り込むことはさほどの困難ではなかったらしい。
必要な事柄を素早く手帳に書き付けて、ルイーゼはクラウスの剣を取り、躊躇いなく自らの首筋に当てた。
「〝次〟は、もう少し上手い試行を行います。どうかもう暫くお待ちください、クラウス様」
そう言ってルイーゼは首を掻き切り、あの揺蕩う空間へと戻った。
◇
透明な空間でルイーゼは目を覚ます。すぐに視界に入った赤く長い髪は、海藻か水草か何かのように揺れて、やがて眼前にロズの顔が迫った。
「それで、次は?」
「ブラント侯爵の籠絡方法は分かったので、それと並行して別の貴族に干渉します」
胸元から取り出した手帳を見ながら、ルイーゼが淡々と答える。
「下手人にされなくとも、テオは死んでたな」
「ちょうど非番と当たる夜ですからね。あの屋敷にはよく訪れていたと聞いています」
文字列から目を上げることなくルイーゼは答え、少し考えてから、ぱたんと手帳を閉じた。
「これで、隊士を利用している者がいることは確定ですね。吹き込まれたという内容にも、ある程度の予測はつきます」
「それもどうにかするか?」
「どうでしょうか。下準備に時間がかかりそうなのと、やはり下手人を止めることは本質ではなさそうです」
空中をとんとんと指先で叩きながら、次に戻るタイミングと、試行の中でやるべきことを組み立てている様子のルイーゼに、ロズはすっかり呆れたような表情を浮かべた。
「お前……だんだん楽しんできてないか? ちっとも苦しんでいるように見えない」
ロズの苦言に、ルイーゼがようやく彼女を振り返る。その口角は僅かに歪むように上がっていた。
「言ったでしょう、これは必ず成功するまでの試行錯誤です」
それであれば苦しむ道理などないというルイーゼに、ロズは気持ち悪そうに顔を歪め、べ、と赤い舌を出した。