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ep.10 試行の肆 -ブラント侯爵令嬢- (1)

 明るく煌びやかなホールに、美しい旋律が鳴り渡る。


 ふと目が合った身なりの良い女性に嬉しそうに微笑まれ、ルイーゼはため息を飲み込み、ふわりと笑い返してみせた。



 ルイーゼは今宵、ホーエンベルク公爵夫人の催した舞踏会へと招待されていた。


 一介の近衛騎士である自分が、城内の警備もせずに会に参列するなど非常識である。

 ルイーゼはそう言って誘いを辞退しようとしたが、一ヶ月前よりも随分とふっくらとした公爵夫人はそれを許さず、果てにはホーエンベルク公爵すらも良いではないかと、ルイーゼの小隊の代わりとして彼の私兵を警護に出した。


 夫妻とのやり取りを思い出して一瞬だけ気を逸らしていたルイーゼは、再び音楽が始まったことに意識を目の前へと引き戻す。


 王族の一端であるクラウスは、いつも通り黒を基調とした服ではあったが、重厚な鎧は外し、代わりに珍しく装飾の類を身に付けていた。


 彼の大きな手に引かれるようにして、ルイーゼはクラウスの肩口へと頬を寄せる。大きく露出した背に硬い手のひらが触れたかと思うと、誘われるがままに足を踏み出した。


「剣だけでなく踊りの方も、随分と上達したものだな」


「此度の会に向け、公爵夫人に指導し直されました」


 ルイーゼが作ったような端正な表情の中に、ほんの僅かな苦々しさを滲ませる。


 ホーエンベルク公爵夫人の容体は、悪化前に治癒術師に診せられたことで快方に向かっていた。

 最近では短時間であれば踊りすらも嗜めるようになり、そのことを公爵はいたく喜んだ。ルイーゼの魔力や魔装具のことについては変わらず伏せておくこととなったが、協力は惜しまないと告げ、その宣言通り幾つかの貴族諸侯に関する情報や弱みを流してくれた。


「ふっ、随分と物思いに耽っている。私が相手では不服か」


「滅相もありません。緊張と恐縮で、頭が白くなっておりました」


「その軽口を叩きながら足が止まらないようであれば、完全に習得したと言っていいな」


 始めたばかりの頃は何度足を踏まれたことか、とクラウスが苦笑いを浮かべる。

 ルイーゼはクラウスの顔を見ることなく、ただ重ねた手を軽く握り返した。


「あの頃は随分と世話をおかけました。正直なところ、これが何の役に立つのかと思いましたが……こうして殿下のお相手が務められるのであれば、練習した甲斐がありました」


 もしステップを誤り、クラウスに恥をかかせるようなことでもあれば、死に戻ってやろうかとも思ったが、そのような無駄な試行はせずに済んでよかったとルイーゼは思った。





 少し火照った身体を冷ますため夜風に当たろうと、ルイーゼは大広間から続く中庭に出る。薄青のドレスが微かに風に翻った。


 背後の音楽から離れるように少し歩いて、垣根の辺りで花を眺めている様子の令嬢を視界に入れる。


「失礼いたします、夜風が強くなってまいりました。お身体を冷やされませんよう」


「あなたは……」


 振り返ったのは十代後半の少女だった。背後の垣根よりも深い緑のドレスに、大きな黒紫の宝石が付いた首飾り、艶やかな金の髪は美しく結い上げられて、白く細い肩首がよく見えた。


 ルイーゼはその場で居住まいを正し、裾を引いて一礼する。


「お初にお目にかかります。クラウス・フォン・シュヴァルツ殿下のもとで近衛騎士を務めさせて頂いております、ルイーゼ・ヴァイスと申します。失礼ながら貴女様は、ブラント侯爵令嬢でいらっしゃいますね」


 名乗りを聞くや否や、少女の顔に翳りが浮かぶ。少し気まずそうな様子で、ふいと斜め下へと視線が逸らされた。


「……ごめんなさい、クラウス殿下の近衛とはあまり話をしないよう、父から言われているの」


 視線を向けないままそう言われ、ルイーゼは静かに頭を上げた。赤い双眸がほんの僅かに細められる。


「承知いたしました。こちらこそ、不躾にお声がけしてしまい、失礼いたしました。しかし……その美しい深緑のドレスは大変良くお似合いでいらっしゃいますが、肩に直接夜風が当たっているようです。宜しければ、お付きの方にストールをお持ち頂きましょうか」


 ホールの明かりの方を指し示しながらルイーゼが言うと、侯爵令嬢の肩が微かに揺れ、次いで少し戸惑ったような視線が向けられた。


「……あなたは、このドレスに、何色のストールが似合うと思う?」


 唐突なその問いかけに、ルイーゼは少しだけ考える素振りを見せてから、さらに優しく微笑む。


「そうですね、ブラント侯爵の冠する群青もお御髪にもよくお似合いかと存じますが……身に付けられている首飾りと同じく黒紫などはいかがでしょうか」


 侯爵令嬢は少し驚いたように目を見開き、それではあなたがそれを持ってきてくれ、と頼んだ。



 ブラント侯爵令嬢に仕えているのであろう侍女は、ルイーゼの申し出にありありと嫌な顔をした。宰相派である侯爵と、クラウスとの間柄が良くないことは、侯爵家の使用人に至るまでよく知っていた。


 渋る侍女に、ルイーゼは侯爵令嬢本人がそう言ったのだと説明する。それでもと言うのであれば自分で持って行かれるといい、と続けると、恐らくは叱責を嫌ったのだろう、侍女は渋々とストールを差し出した。


 深い黒紫の上等な薄布を手に、ルイーゼの足は再び中庭へと向かう。


「色当てゲームとは、また無駄なことに力を使わされたな」


 ホールの明かりが少し遠くなってから、ルイーゼの目の前に豆粒が浮かんだ。ルイーゼは声を潜めてロズへと答える。


「貴族令嬢の考えることは分かりませんが、しかし彼女と接する機会があるのはここだけです」


 少女の求める答えを見つけ出すまでに、この夜ルイーゼは六回、ドレスを赤に染めることとなった。どうやら好きな色らしい装飾品を身に着けていてくれて助かった、とルイーゼはそのようなことを考えながら足を進めた。



 変わらず垣根を眺めている様子のブラント侯爵令嬢にストールを手渡すと、彼女はそれをとても大切そうに肩へと巻いた。少し話がしたいのだという彼女にルイーゼは頷き、二人の足は中庭の更に奥の方へと向かう。


「このドレスも、ストールも、それから宝石も、お母様のものなの」


 歩き始めて然程立たないうちに、侯爵令嬢はそう言った。


「ブラント侯爵の奥方様というと、大変失礼ながら、二年前にご逝去されたと」


「ええ、だから、これがわたしに遺された最後の形見なの。残りはみんな、お父様が処分されてしまったから」


 顔を曇らせてそう答えてから、少女はふと何かを思い出したようにルイーゼを振り返った。細く柔らかな手が、ルイーゼの手を包むように握る。


「ごめんなさい、名乗るのが遅くなったわ。わたしはカタリーナ、良ければそう呼んで貰えるかしら、ルイーゼ」


「承知いたしました、カタリーナ様」


 ルイーゼはカタリーナの手を払わないまま、そう言って軽く腰を曲げた。

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