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ep.2 理想 (1)

 昔々あるところに、一人の女がおりました。


 燃えるような赤い髪と、真紅の瞳を持った彼女には、溢れんばかりの魔力がありました。

 人々は彼女を畏れ、また彼女も人間を嫌い、彼女の住む深い森は『魔女の庭』と呼ばれて誰も近付きませんでした。


 ある時、魔女の庭に一人の男が迷い込みました。

 大きな剣を携えた彼は、この国一番の騎士でしたが、戦によって深い傷を負っていました。

 まさに死に瀕した彼を、魔女は気紛れで助けてみました。

 動けるようになった男は彼女に感謝して、そのまま暫くの間、魔女の森で過ごすことにしました。


 二人の間に愛が生まれるまでには、さほど掛かりませんでした。

 高潔で純粋な騎士の魂が、冷たく凍りついた魔女の心を溶かしたのです。

 しかし、やがて騎士は、戦火に飲まれた自分の国のことが心配になってきました。

 必ず戻ることを約束し、男は女のそばを去りました。


 森で待つ女のもとへと帰ってきたのは、大きな剣と、彼が国の人間に裏切られ、戦争の罪を被せられた上で処刑されたという報せだけでした。

 それを伝えた彼の部下が森を去ってから、魔女は独り、慟哭しました。

 涙を流したのは、実に数千年ぶりのことでした。


 やがて静かに顔を上げた魔女が、何かを短く呟くと、国は一瞬で真っ赤な光に覆われました。

 身を灼くような光の中で、これまでに深い罪を犯した者の姿が、軒並み悍ましい獣へと変貌していきました。

 国の人間の半分を獣に変えた魔女は、森の奥深くへと消えて行きました。


 以来、彼女は『終末の魔女』と呼ばれるようになりました。



◆ ◆ ◆



 この国で一番の城下町は、今日も賑わっていた。天頂へと昇りかけた日の下で、大勢の老若男女が行き交っている。


 馴染みの酒場の女店主へ、今朝採れたばかりの野菜を手渡していた露店の男は、視界の端で揺れた茶色の毛並みにキッと目を吊り上げた。


「てめぇ……っ、うちの商品盗む気か⁈」


 男の大きな濁声に、道行く者たちが次第に足を止める。見ると、みすぼらしい格好をした少年が、小さなパンを握りしめていた。


「ち、ちがう! これは……ちゃんとお金を払って買ったんだ!」


 少年は周囲の冷たい視線にじりじりと後退りながらそう叫んだ。大きく被りを振ったことで、彼の頭の上では毛の生えた三角の耳が揺れる。


 この場を走り去ろうとした少年の服の首元を、露店の男が素早く掴んだ。そのまま強く引き寄せて、反対の腕が大きく振りかぶられる。


「っ……!」


 恐怖に目を見開いた少年が、逃げようと身を捩った。自分の身を掴んでいる腕を反対に引っ張り返し、地面に男を薙ぎ倒す。様子を伺っていた群衆の間から、女の声で悲鳴が上がった。


「あ……ち、ちがう……僕は……ただ……」


 少年が自分のやったことに気がつき、顔を青褪めさせる。獣人である彼が、人間に傷を負わせたとあれば、重罪は免れなかった。


 自分を蔑み、恐れる視線から逃れるように、また少年の足が後ずさる。


 ふと、人集りの後ろの方から、緊迫したような空気が漂い始めた。やがて群衆はものも言わずに、海を割るように道を開ける。


 人々の間から現れたのは、黒い衣と銀の鎧を纏った集団だった。


「黒の騎士だ……」


 そのような囁き声が周囲から漏れ聞こえる。


 先頭に立つ女が白い長髪を揺らして振り返ると、辺りはシンと水を打ったように静かになった。


 恐らく二十は過ぎているだろうが、若い女だった。人間の女にしては背が高く、凛と伸びた背筋は、後方に並び立つ屈強な男たちに威圧感で引けを取らない。


「顛末を正しく目撃していた者はありますか」


 周囲を見渡しながら、女がそう言った。静かだが、よく響く声だった。


 誰からも返答がないことを確認してから、女が地面に転がる男と、その近くに立つ少年のもとへと歩み寄る。


「この場での聴取か、城へと足労頂くか。どうされますか」


 女の赤い瞳が己の顔を真っ直ぐ見据えたところで、男は身を震わせて立ち上がった。


「こ、こいつが、うちの商品を盗んだんだ! それで、捕まえようとしたら抵抗して暴れやがった!」


「ち、違う! 盗んでなんかない!」


 男の言い分に、少年は弾かれたように言い返した。その小さな手に握られたものを一瞥し、露店の方へと視線を動かして、騎士の女は小さなため息を吐く。


「彼が手にしている商品は、貴方の店で扱われているものとは異なるようですが」


 それに続けて、女が少年にパンをよく見せるように言った。彼の手のひらの上にあるものは、確かに露店に並べられた小麦色の山とは形状が違うようであった。


 露店の男は数度目を瞬かせて、それから顔を赤くして被りを振る。


「だ、だが……こいつが俺を殺そうとしたことには違いない!」


 真っ直ぐに指を差された少年は、僅かに頬を赤く染めて男に一歩踏み寄った。


「こ、殺そうとなんかしてない!」


「どうだかな! お前ら獣人は、隙あれば俺たちに牙を剥こうとする!」


「それは……お前たちが僕らを……!」


「やめなさい」


 女の静かな一声で、激しく言い合っていた男と少年が同時に口を噤む。


 再び辺りのざわめき声が消えたことを確認してから、女は背後に並び立つ隊士たちへと振り返った。


「捕縛用の縄は」


「こちらに」


 隊士の一人から縄を受け取った女が、少年の両手を手早く縛り上げる。少年の顔には絶望の色が浮かんでいた。


「城で話を聞かせてもらいます。それから……テオ。そこの男の捕縛と聴取は貴方に任せます。たった今、露店から宝石を盗みました」


 女の細い指の示す先で、小柄な男が肩を跳ねさせた。彼はこの辺りの常習であり、死角であった筈なのになぜ分かった、と慌ててその場を逃げ出そうとする。


 数歩を走った盗人は、テオ、と呼ばれた騎士の男によって、瞬く間に地面へと取り押さえられた。


「ルイーゼ小隊長、俺もそちらに……」


「貴方に、任せます」


「……はい」


 ルイーゼに指示を繰り返されて、テオは微かな悔しさを滲ませながら頷く。茶色の髪から覗く三角の耳は、心なしか項垂れているようだった。


 捕縛した少年の肩を押すようにして、ルイーゼが再び群衆を割って進み、その背後に数人の隊士たちが続く。強く照りつける日の中で、黒い衣の集団は異様さを滲ませていた。


 彼らの影がすっかり無くなり、盗人を縛り上げたテオも同様に城の方へと姿を消してから、それからようやく城下町はいつもの賑わいを取り戻した。

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