ep.9 試行の参 -ホーエンベルク公爵夫人- (1)
自らの魔力を増幅させる魔装具をグンターと共に作り上げた後で、ルイーゼは主にクラウスに敵対する貴族諸侯の動きを探りながら、幾度かやり直しを繰り返していた。
最初に半年の時間を戻った時にも感じたが、やり直す期間が長い程に、戻った先で微かな頭痛や酩酊感のようなものがある。それらの事実と、自身の心身の状態から、どうやら死に戻りの力は記憶だけを過去の己に上書きすることに近い、とルイーゼは学習していた。
(やはり他の魔力と同様、万能とは言えない。戻るごとに身体や、特に脳に負担が掛かっているような気配もある。魔装具を併用することを鑑みても、無駄な繰り返しは出来るだけ避けるべきか――このことも博士に共有しておきましょう)
さらさらと無言で手帳に検証した内容を書き付けて、ルイーゼはぱたんとそれを閉じる。
これまでに一度だけ、火事の夜よりも先に進んでみたことがある。ロズは不老の呪いだと言ったが、確かにそれ以降は身体が年を取る感覚がないことも確認していた。
(しかしそれは、クラウス様をお救いできないことには意味のないことですね)
ひとまずは今出来ることを順にやろうと、無言のまま頷いてルイーゼは自室を後にした。
◇
クラウスの執務室で、彼の執務や小隊が請け負う任について話してから、ルイーゼはグンターとの研究の成果を手短に報告する。
念願であった魔装具が遂に試作であっても形を見たが、しかしそれでクラウスが改革の為に取れる手が広がるかと言われると、現状では難しそうだった。
「隊士たちを含む純粋な獣人が何らかの魔力を発現させることについては、現在博士と研究を進めておりますが、まだ完成の見通しは立ちそうにありません。また私の持つ試作品についても、元々の力を強めるのみで、例えば特性を変化させたり、新たな能力を発現させたりといったことは難しそうです。現状は、あくまで補助具のようなものとお考えください」
そう話を終えて、ルイーゼが報告書をクラウスへと手渡す。
それを受け取った大きな手に切り傷があることに気が付き、ルイーゼは素早くクラウスの手を掴むと、不要だという文言を却下してそれを治した。
確かに治癒速度は以前より随分早まったようではあるが、改革の為の革新的な技術であるかと言われると微妙なものだと、ルイーゼは少し疲れたようなため息を吐いた。
「この治癒一つとっても、ご存知のように、私の能力は相手の持つ治癒力を増幅させているだけに過ぎません。皆がクラウス様のように治癒や強化に適した力を持っていればいいのですが、相性の悪いことに、魔力を持たない我が隊ではいくら魔装具で増強しようとも無用の長物です。ご期待させたところを申し訳ございません」
少しだけ大袈裟に首を振り、頭を下げると、頭上からクラウスの苦笑したような声が降ってきた。
「そのようなことはない。グンターの心情については理解するが、お前までもがそう自分の力を卑下するな」
ぽん、と肩に手を置かれて、ルイーゼは顔を上げる。クラウスと目線を合わせて、それから研究所で苛立たしそうに頭を掻いている老人の姿を思い出して、同じく苦笑いを浮かべた。
「博士は『魔力器官を持たぬとされる獣人の脳が魔力を生み出すこと』に執心されておりましたから。未知である程に挑みたがる、芯から研究者気質のお方です。実に理知的かつ合理的で、長年研究をご一緒させて頂けて光栄に思っております」
「お前のその人を食ったような物言いは、時たま気になってはいるがな」
「クラウス様がご不快であれば直します。私は博士の弟子である前に、貴方の近衛ですから」
頬へと触れる手へと自らの手を重ねて、ルイーゼが微笑む。
「魔装具だけが理想の為の手段ではない。あまりこんを詰めるな」
「はい、理解しております」
クラウスの指示にルイーゼは表情を変えぬまま頷いた。
さて、と離した手で机上に置かれた書類を差し示す。
「この件は一旦置いておき、まずは軍予算の件を」
「ああ、先程の話通り、ホーエンベルク公爵へこの書面を」
クラウスに手渡された書束を手にしたルイーゼは、一礼してから執務室を出た。
◇
「ホーエンベルク公爵ってのは、あの最初の火事の夜に部下に言ってたやつか?」
城の入り口の方へ廊下を半分ほど進んだところで、不意に脳内で声が響いた。ロズの声だった。
「気長に待つのでは無かったのですか」
周囲に人がいないことを確認してから、ルイーゼはため息混じりに答える。
「気が変わった。かぶりつきで見た方が楽しそうだ」
「思った以上に飽きるのが早い。百回どころか十回も見れば飽きてしまいそうです」
以前に揺蕩う空間でロズに告げた内容をなぞりながらそう言って、ルイーゼは脳に負荷をかけるのをやめろと続けた。耳奥でくすくすと笑う声がする。
「脳の損傷なぁ。大した欠点じゃなかった筈だが、あの妙な道具と併用してるのが問題だな。まあそれでも、馬鹿みたいな使い方をしない限りは大丈夫だろう、多分な」
相変わらず人を馬鹿にしたような声の後で、ルイーゼの目の前に小さな光が姿を現し、それはやがて赤い豆粒のようなものとなった。
宙に浮かぶ物体を見ながら、ルイーゼは少し目を丸くして、それからくすりと笑い声を漏らした。
「その姿は……殿下がその昔、苦手だと仰った豆に、それはよく似ています」
名付けを間違ったろうか、と軽口のようなものを叩くルイーゼに、豆粒は少し苛立たしげに揺れた。
◇
城を出て、公爵の屋敷へと向かいながら、ルイーゼはロズにこれから会う相手のことを説明する。
ロズの姿はどうやら他の人間には見えないようで、たまに鼻先を掠めるように飛ばれては、ルイーゼは豆粒を叩き落としたくなるのを堪えた。
ホーエンベルク公爵は、シュヴァルツ王国の四大公爵の一人であり、同時にクラウスの数少ない理解者だった。
「――特に公爵は内政に優れ、多くの貴族諸侯の情勢や弱みを握っており、水面下で多くの派閥に影響を与えています。故に、今後を考えても、取り入っておいて損はありません」
人気のないところで、それでも極限まで潜められた声で告げられた内容に、ため息の音が返った。
「そりゃまた退屈そうな……なんでそんな遠回りなことをする。敵を見つけて滅ぼせば万事解決だろう」
「それで済めば、私も殿下も長年苦労はしていないのですよ」
王国の、特に上位貴族の派閥は実に複雑で、クラウスの改革に反対姿勢を取る保守派貴族も一枚岩ではない。そのようなことを述べてから、ルイーゼは肩を竦めた。
「本当に面倒なものです。ですが、だからこそ付け込みようがある。少しずつ切り崩していきますよ」
そこでちょうどルイーゼの足は、立派な門の前に辿り着いた。