ep.8 試行の弐 -魔装具開発- (2)
「――何?」
執務室へとやって来て早々に告げられた報告に、クラウスは僅かに目を見開いた。
書きかけであった書類の上にペンを置き、執務机を立つと、足早にルイーゼのもとへと歩み寄る。
正面に立ち真っ直ぐにその顔を見下ろすと、彼女の表情はいつもよりも微かな歓喜のようなものが滲んでいるようであった。
「何故、研究を再開した。一時停止させると言ったはずだ」
普段よりもはっきりと咎めるようなクラウスの声に、ルイーゼが被りを振る。
「それは、被験者の安全が担保出来ないためだと、そういう理由であったはずです。今朝、博士が新たな式を構築されたそうで、障壁であった身体への激しい苦痛と絶命のリスクが失われました。故に、私の方でも確認した上で、本日細かな数値の調整を行って参りました」
ルイーゼが差し出した書類を受け取らないまま、クラウスは強く顔を歪めた。
「そうだとして、何故私に許可を取らなかった」
「ご相談すれば、許して頂けましたか?」
即座に返された問いに、クラウスはまた目を見開いてから、やがて眉根を寄せた。
その表情を見て、ルイーゼが少し困ったように笑う。差し出していた書類を下げて、代わりに胸元から一つの塊を取り出した。
「こちらが、完成した試作品です。私自身が使用してみたところ、確かに魔力の増強の効果が感じられました。詳しいことはこの後、博士と協議の上で、報告書にまとめさせて頂きます。つきましては、研究の続行許可を――」
ルイーゼの言葉を遮るように、彼女の片腕をクラウスが掴み、強く引く。
勢いよく彼の胸へと飛び込むこととなったルイーゼは、折角形となった魔装具を落としてしまわないよう、指先に力を込めた。
「ルイーゼ、お前の身に苦痛は? 実験及び、装置の使用による身体への影響は?」
頭上から降って来た問いに、ルイーゼは彼の腕の中で首を横に振る。
「クラウス様、ご心配なさらずとも、きちんと安全を担保した上で実験に及んでいます。痛みはありませんでした。貴方の近衛の小隊長として、命を投げ打つことが望ましくないことは理解しております」
「…………そうか、ならばいい」
数秒の沈黙の後で、クラウスはそう言ってルイーゼの身体を解放した。
再度差し出された魔装具と書束を受け取り、一番上にある紙面の文字列をざっと目で追ってから、それらを執務机の上へとそっと置いた。
一度だけ装置へと指先で触れ、クラウスが振り返る。ルイーゼは真っ直ぐにこちらの目を見据えていた。
クラウスの手が伸ばされ、親指が赤い瞳の下を軽くなぞる。
「ルイーゼ、長年研究してきたこれを実現させてもらえたことに、礼を言う。今回の実験だけでなく、お前の身体には負荷を掛けた」
「礼であれば、どうぞグンター博士へ。私はただ、お手伝いをさせて頂いたに過ぎません。それに、本当に今回の調整において一切の苦痛はありません。余りに呆気なさ過ぎるほどでした」
ルイーゼはそう言ってまた苦笑いを浮かべた。
死に戻りによる魔装具の調整実験は、四度目の施行で成功した。
正直なところ、グンターの概算した二割という成功率も少し高い見積もりだと思っていたので、想定よりも少ない回数で終わったことに、ルイーゼは拍子抜けする思いだった。
唯一の不安要素であった、失敗にも関わらず死に損ねる、という事象も二度目に一回あったきりで、その際にもグンターが手早く処理してくれたため、実験中断という最悪の事態に陥ることも防げた。
(師が研究のことだけを考える合理主義者で良かった。それに、手帳のことも。あれがなければ毎回説得が面倒だった)
頬に当たるクラウスの手の平に身を寄せながら、閉じた瞼の下でルイーゼはそのようなことを考える。
ともあれ、これで必要最低限の力は得られた。クラウスの牙である隊士たちに装具させ、魔力を発現させるにはまだ時間が必要だが、この試作品だけでもルイーゼ自身の力を強めるという意味では十分な成果と言えた。
ルイーゼはゆっくりと瞼を持ち上げた。少し久しぶりに会うような気がする主君の顔には、濃い疲労の色が伺える。そういえばちょうどこの時は、テオの登用の件で宰相をはじめとした一派と一悶着があった頃だったなと思いだした。
「クラウス様」
そっと名を呼び、ルイーゼが頬の手に自らの手を重ねる。
「これで、今までよりも一層お力になることができます。貴方の理想が成されるため、どうぞ我らをお使いください」
軽く握った大きな手を頬から下ろさせると、それを離さないままでルイーゼはクラウスに向かってそう告げた。
「ああ。礼を言う、ルイーゼ。いずれ必ず」
この先の半年でも幾度も耳にしたそれに、ルイーゼは今でも十分に恵まれていると、そう言って微笑みを返した。