表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/60

ep.8 試行の弐 -魔装具開発- (1)

 浮遊していた身体が、すとんと地面に降り立つような感覚。意識が完全にこの時代に馴染んだことを確認してから、ルイーゼはゆっくりと瞼を持ち上げた。


 少し眩しい視界に映ったのは、よく見慣れた、城内の自分の執務室だった。片腕ずつ順に持ち上げて、四肢の状態を確かめる。目の前の執務机に広げられた書類と、壁に掛けられた暦から、想定通りの過去に戻れたことを確信し、小さく安堵の息を吐いた。


(時期は完璧、手帳は……問題無し。ロズの言い分に嘘はなかったようですね)


 懐から取り出した手帳の中身を軽く確認し、そこに今回の施行について書き加える。予定や目的といった簡単な記述を終えたところで、ルイーゼはそれをぱたんと閉じて胸元へとしまった。椅子から立ち上がりかけて、執務机の上の一枚に目を留める。


「……」


 ルイーゼは無言で、その最下部に承諾のサインをした。このたび新しく、彼女が率いる王国近衛騎士団第十六小隊に入隊が決まったのは、やはり他の隊士たちと同じく獣人の青年であった。


(テオ……ようこそ、クラウス殿下をお守りする牙へ)


 記されている名前の上に軽く指先を滑らせて、ルイーゼは執務室を後にする。


 廊下に控えてあった隊士に幾つかの書面を手渡し、また研究で少しばかり空ける、といった旨を伝えてから、彼女の足は城下町の方へと向かった。





 小さな一軒家は、町の片隅に、まるで周囲の目から隠れるようにして建てられていた。


 仮にも子爵の爵位を持つ家主は、己の屋敷にほとんど帰ることもせず、専らここに巣食っているのだという。

 せめて研究所を城内に設けるとクラウスは彼に何度か提案したが、馬鹿な人間と会話をするなど脳が腐る、といういつもの悪態と共に毎回一蹴されていた。


 ルイーゼは家の玄関に立つと、その扉を軽く叩く。例の如く返事は無かったが、人の気配は感じていたので、躊躇いなくドアノブを捻った。


「ご無沙汰しております、師」


 家の地下に設けられた研究所まで迷いなく辿り着いてから、ルイーゼはそう言って軽く頭を下げた。


 齧り付くように机に向かっていた白髪がゆっくりと振り返る。


「馬鹿弟子か。お前の中では三日前を沙汰が無いと言うのか。何か企んでいるのであれば勿体ぶるな。儂は無駄な時間が嫌いだと何度言わせる」


 老人はそう一息で早口に言った。少しくたびれた装いでありながら、肩越しに向けられている鋭い眼光には老いの色はなかった。


 ルイーゼが思わず小さな笑い声を漏らしてから、ふと声を出して笑うなどいつ振りかと考えかけ、それを掻き消すように被りを振った。この老人が無駄を厭うということは、嫌という程によく知っている。


 先の短い一言から何かしらを察するとはさすがだと、そのようなことを言いながら、ルイーゼは足早に彼へと歩み寄った。じっとこちらを見る男へと、胸元から取り出した手帳を差し出した。


「半年後に、クラウス殿下が殺されます。詳細はここに」


 老人は僅かに眉を上げると、無言のまま手渡された手帳を開き、手早く中身を確認した。


 やがて読み終えたそれをルイーゼへと返しながら、呆れたようなため息を吐いた。


「だから手段を選んでいるような場合ではないと言ったのだ」


「この研究は、明日、正式に凍結されます。やはり殿下は、被験者の身体的苦痛を伴う実験をお許しになりませんでした。その必要性を幾度訴えようとも、結局一度も首を縦に振ることはありませんでした」


 まるで過去のことのように告げるルイーゼに、男は軽く頭を掻く。


「それで、お前は半年先からここへ、凍結前の魔装具を完成させに戻って来たとそういう訳だな、ルイーゼ」


「その通りです。お話が早くて助かります、グンター博士」


 そう答えて、ルイーゼは老人に向かい恭しく一礼した。



 ルイーゼが魔装具技師であるグンターと知り合ったのは、彼女がクラウスのもとへと身を寄せてから半年程が経った頃だった。


 かれこれ十年以上も前のことながら、ルイーゼには彼の異質さに驚いた時の心境が、昨日のことのように思い出せる。彼の前に初めて姿を見せ、クラウスによって簡単に出自を紹介された時ですら、グンターは嫌悪の一つも見せることなく、ただ彼女を助手か小間使いか何かのように扱った。


 広い机上に改めて手帳を広げ、その隣に置いた紙に黙々と無数の数式を書き並べていく老人に、ルイーゼは無言でカップを差し出す。少ない湯と過剰な茶葉で、目が覚める程に渋く抽出された茶は、この男がいつも当たり前のように飲んでいるものだった。すっかりその淹れ方に慣れてしまったことで、一度クラウスにも同様のものを出してしまったことがあり、その時のことを思い出してルイーゼは小さな笑い声を漏らす。


「遊んでいる暇があれば先に装置の調整をしておけ。幾らでもやり直せるとはいえ、お前が死ぬ前に凍結されては面倒だ」


 顔を上げないままに言われた内容に、ルイーゼは短く返事をして、手のひらに乗る程度の大きさの機械を持ち上げた。


 当時は、クラウスの理想でもある人間と獣人との共存、その為の手段の一つとして、両者を隔てる大きな障壁ともいえる魔力に関する研究がグンターを中心に行われていた。獣人も魔力を有することができるようになれば不当な扱いは無くなるのではないかと、今よりも随分と肉体も思想も若かったクラウスは考えたのだった。


 部分的に獣人の血を引くルイーゼも交え、連日の煮詰まるような研究の末にグンターによって考案されたのが、この魔装具だった。魔力を生み出すとされる脳に直接作用することで、獣人がその力を扱えるようになるという前代未聞の代物は、被験者の犠牲が避けられないということで研究を一時停止させられていた。


 慣れた手つきで装置を調整しながら、ルイーゼが静かに嘆息する。


 この時点での三日前に彼女はここを訪れ、いつもの研究を終え去った後に、遂に基幹部分を決定する式が確立できたとグンターから密かに連絡があった。そして明日には、クラウスによって研究自体が凍結させられる。つまり、この限られた時間が魔装具を完成へと漕ぎ着けさせられる好機だった。


「それにしても、博士のご納得が早くて助かりました」


 装置から目を上げないまま、ルイーゼが背後へと声を掛ける。忙しなくペンが走る音はそのままに、小さな舌打ちの音が返った。


「お前に与太話を作って持ってくる程の暇はないだろう。それに凍結の気配は以前からあった。お前の話が仮に妄想だったとして、このままみすみす研究を死なせてなるものか」


「そう仰ると確信していましたよ、師。貴方はある意味で最も信頼できる御仁です」


 ルイーゼは調整し終えた装置を手にして頷く。


 グンターという男は兎に角研究が生き甲斐という男であり、クラウスにより凍結が言い渡された後も連日に渡って研究再開の陳述書をあげ続け、遂に獣人の罪人を用いて実験を行なっているところを捕らえられて、爵位剥奪の上で国外追放を言い渡されていた。


 ルイーゼの体感では数ヶ月前、捕縛のために研究所に立ち入った時の彼の怒号と、椅子に括り付けられた獣人の青年の死骸を思い出し、ため息を吐いたところでようやく老人は白い頭を上げた。


「終わったぞ。やはり、成功率はざっと二割というところだな。それも試作段階に過ぎん。脳や魔力へ影響を与え得ることを確認した後は、最終的に獣人が使えるようにならねば意味がない」


「最もリスクの高い脳への接続部分さえ乗り越えてしまえば、その先は研究を続けられるよう殿下を説得しますよ。仮に、再び凍結されそうであれば、戻ってそうならないように手を打ちます」


 寸前で基幹を完成させてくれていて良かった、そうでなければ暗中模索も甚だしいところだった、とルイーゼは手帳に試行の内容を書き付けながら苦笑する。


 必要なことを全て書き終える前に、ルイーゼはペンを止めないまま、グンターへと念を押した。


「先程言ったように、私は死ななければ戻れません。中途半端に肉体が損壊することがあれば、お手数ですがとどめをお願いします」


 短剣は要るか、とそう問われ、グンターは無言で引き出しから一本のナイフを取り出した。その鋭利な刃先を一瞥して、そういえば彼を捕縛した時に刺されかけたものだったなとルイーゼは思い出す。


 胸元に手帳をしまったルイーゼが、室内に置かれた背のついた椅子へと向かい腰を下ろす。ケーブルが幾本もついた兜のようなものを手に取ると、躊躇いなく自らの頭に装着した。


 グンターはケーブルに繋がる装置の先に、先程ルイーゼが調整した魔装具を取り付ける。


「それでは、一度目の試行だ」


 瞼を下ろした暗い視界の向こう側で、男のいつも通り少し不機嫌そうな声が聞こえたかと思うと、内側から木端に砕けそうな程の頭の痛みにルイーゼは鈍い呻き声を漏らし、さほど間も無く意識は完全に霧散した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ