ep.7 試行の壱 -敵状把握- (2)
「よう魔女殿、初めての『死に戻り』はどうだった……と、言ってやるつもりだったが……いくら何でも地味過ぎる」
瞼を開く前に頭上から投げかけられた声に、明らかな呆れや落胆が含まれていることを感じ取り、ルイーゼは小さく肩を竦めた。
「それはご期待にそぐわなかったようで残念です」
そう答えながら目を開けると、視界の上端から空中を泳ぐようにしてロズが姿を現す。
逆さまの状態からくるりと戻った彼女の顔には、ありありとした不満が浮かんでいた。
「高潔な騎士様らしく、まずは敵情の偵察ってか? それにしたって、もう少しやれることはあっただろう。あの場で賊を鏖にすれば、お前のクラウス様は助かったかもしれないぞ。それとも、剣の腕には自信がないか?」
「安い挑発に乗って差し上げられるほど、暇は無いのですよ。次々回以降の試行の順序を組み立てねばなりません。それに、仮にそれが出来たとて、凌げるのはあの夜だけです。隣国への内通者まであるとなれば、現状、私一人の手には負えない」
ルイーゼは淡々とそう答えながら、胸元から手帳を取り出す。そこに先ほど書きつけた文字が、魔力を帯びながらはっきりと残っていることを確認して小さく頷く。
「やはり、魔女の力を用いれば、この程度のことは許されるようですね。貴女を探る手間が省けました」
「それは良かったことで。お察しの通り、その記録は死に戻りをやり直しても消えない。だが、何でもかんでも持ち戻れると思うなよ。そんな楽勝なゲームは面白くない」
「大まかながら、理解していますよ。詳しい条件は試行を重ねながら学びます。今はこれ一つで十分です」
閉じた手帳を再び懐へとしまい、ルイーゼはロズを振り返った。
「まずは師を尋ね、武器を調達します。肉体が壊れてもやり直せるというのであれば、開発の障壁は撤廃されました。その上で、有効であろう手立てを試していくつもりですが……この辺りはやってみなければ分かりませんね。貴女の退屈を慰められるかどうかは存じ上げませんが、どうせ悠久を過ごすのでしょう?」
それであれば気長に眺めているといい、とそう言葉を締めて、ルイーゼはくるりと振り返る。
そのまま再び過去へと戻ろうとする彼女の背を飛び越すようにして、ロズは再びルイーゼの眼前に頭上から顔を覗かせた。
「のんびりやられても面白くない。一つ、大ヒントをやろうか。あの夜、お前のクラウス様を殺めた下手人についてだ」
ロズの口角が上がる。その歪んだ笑みを見て、ルイーゼはため息を吐いた。
「そのようなことは自明です。テオでしょう?」
何の感動もなく当たり前のように返された返答に、ロズは大きく目を見開く。
「……何故そう思う」
低い声でロズが問うた。ルイーゼは小さく肩を竦めて、発動させかけた魔力を霧散させた。
「クラウス様は、この国きっての剣の達人です。面と向かって殺められる者などそういない。それが、剣も抜かず、私室に招き入れるなど……御身に残されていた迷いだらけの太刀筋からしても、彼以外にありませんよ。大方、何者かに何かを吹き込まれ、唆されたのでしょう」
「ならどうして、あいつを消さない」
「言っているでしょう。下手人一人を殺めて解決する問題であれば、私は長年神経を擦り減らしてはいない。クラウス様が御自分で身に掛かる火の粉を払ってくだされば、いくらでもやりようはあるのですが……それに期待するよりは、正攻法で敵の勢力を削いでいった方が幾許か早いでしょう」
本当に甘い、と肩を竦めるルイーゼを、ロズは目を見開いたままじっと見る。
やがて、異様だな、と呟いた。
「お前……気色悪いな。そのアンバランスさも、そこまでいくとおかしい。あの男のために己が身を魔女に堕とし、永劫の呪いを躊躇いなく受け入れておいて、普通ならまず脇目もふらずに生きたあいつに会いに行くだろう。それを顔を合わすこともせずに、それなのにやっぱりあいつを救うことだけ考えている。意味が分からない」
「お顔を拝見して状況が改善するのであればそうしますよ。あの局面においては非合理であり無意味です」
「それだ。お前は何故そうまでして頑なに理性的であろうとする?」
ロズは顔を歪ませ、はっきりと嫌悪を滲ませた。
その顔を見ると、ルイーゼは薄く微笑む。彼女にとって、実に向けられ慣れた類の表情であった。
「そうするよう、クラウス様に命じられました。感情のままに他者を害するは、それこそ獣の所業だと。私は騎士としてあの国に、そしてクラウス様にお仕えできることを、心より誇りに思っています」
微笑みのまま、ルイーゼの唇が流暢に語る。
ロズはいよいよ顔を顰めて、ふいと視線を逸らした。
「その作ったような笑いも、思ってもいないことを言う口も、本当に気味が悪い。ああ気色悪い。そんなにクラウス様のことが好きか?」
片眉を上げ、ちらとロズはルイーゼの顔を伺う。
やはりそこには少しの動揺もなく、ルイーゼは大袈裟に肩を竦めた。
「好悪の類ではありませんよ。言ったでしょう、私の爪の一片に至るまで、あの方の為に存在すると。これでも、近衛騎士の立場は気に入っているのです。故に、この先も出来る限り心優しき殿下の意向に沿うつもりですよ。完全に打つ手が無くなるまでは、ですが」
胸元から取り出した手帳を軽く振りながら、ルイーゼが答える。次いで、不満げな表情を浮かべるロズの顔を見ると、小さなため息を吐いてから続けた。
「そちらこそ、『元』魔女殿にしては、貴女は実に感情豊かでいらっしゃる。いえ……私が勝手に魔女とはそういうものだと思っているだけで、実はそちらの方が自然なのでしょうか? 何せ、好いた殿方一人の為に、世界を滅ぼしかける御仁です」
伝承をなぞってルイーゼが頷くと、ロズは小さく舌打ちして興味なさげにひらひらと手を振った。
「分かった、負けだよ。お前の好きにやれよ魔女殿。精々『理性的に』頑張って、そのうち面白いものを見せてくれ」
どうせ時間は無限にあるのだから気長に待つさ、とロズは仰向けの状態でルイーゼの頭上を漂う。
ルイーゼは手帳をしまうと一礼し、揺蕩う空間から霧のように姿を消した。