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ep.6 魔女の誕生

 ゆらゆらと身体が揺れる。まるで水中にあるかのような揺蕩う感覚に、ルイーゼは薄らと目を開けた。


 周囲には、果てしない透明な空間が続いている。足は地面を踏んでいないが、落下しているような様子はない。


 自らの両手足が付いており、問題なく動くことを確認してから、ルイーゼは声を発した。


「ここは、どこですか」


 完全に焼けついていたはずの喉からは、いつもと変わらぬ声が出た。視覚から伺えるように途方もなく広い空間であるのか、呟きは少しも反響されることなく、果てへと飲み込まれて消える。


「私は、焼け死んだはずでは」


「ああ、死んだよ。それはもう無惨に。死体を見るか?」


 再度発した問いに、答える声があった。

 ルイーゼが振り返ると、そこには赤い髪の女が逆さまの姿勢で浮かんでいる。


 見知らぬ女だった。髪だけでなく、ひらひらとした大仰な衣も、薄い唇に引かれた朱も、こちらを小馬鹿にしたように見てくる瞳も、何もかもが赤い。


 ルイーゼは何も言わぬまま、じっと彼女を見据える。女はやれやれと大袈裟に肩を竦めると、長い髪をばさりと揺らして宙返り、ルイーゼの眼前に相対するように浮かんだ。


「驚きの感想の一つもないのか?」


「何に対してですか?」


「何もかもだよ! お前は誰だとか、ここは何だとか、やっぱり死んだのかとか、いくらでもあるだろう!」


 赤い女が少し苛ついたように捲し立てる。白い鼻が自分のものに触れそうになり、ルイーゼは小さなため息を吐いて身を引いた。


「あの時、臓器が修復不可能な損傷を受けたことは知覚しました。それなのに目が覚めたということは、死後の世界か何かでしょう。貴女が何者かは知りませんが、興味もありません」


「お前……滅茶苦茶可愛くないな……」


 すっかり呆れ切ったように女は言い、いいから正体を聞いてみろと続けた。

 ルイーゼは眉を寄せ、また一つ嘆息する。


「それで、貴女は?」


 渋々といった様子で、興味なさげに聞かれた問いに、女は待ってましたと言わんばかりにその場でくるりと身を翻らせた。


「私は、魔女だ。終末の魔女、と言えば理解するだろう?」


「ああ、伝承の……」


 そうか、と頷いて、ルイーゼはまだ何かあるかという顔で魔女を見る。


 てっきりまた彼女は腹でも立てるか呆れるかと思ったが、そのどちらでもなく、魔女はにんまりとした笑みを浮かべた。


「……なんですか」


 ルイーゼが不審に一層眉を寄せる。


 揺蕩う空間を自由に泳ぐ魔女は、ふわりとルイーゼの耳元へと唇を近づけた。


「『クラウス様』がそんなに大事か?」


 瞬間、ルイーゼの手が魔女の胸ぐらを掴む。そのまま引き寄せようと力を込めると、まるで煙のように魔女の身体は霧散した。


 間もなく少し離れたところに再び姿を現した魔女は、酷く面白そうに顔を歪めている。


「やっぱり、これがお前の虎の尾だな、ルイーゼ。あの屋敷でのお前は実に面白かった。『冷徹な死神騎士』が人目も憚らずにわんわん泣き喚いて、『クラウス様、クラウス様』と……おっと」


 けらけらと笑っていた魔女は、自身の鼻先を掠めた剣先に思わず身を引いた。


 この場の理も理解しないはずのルイーゼが、透明な空間にしっかりと両足で立ち、抜き去った剣をこちらに向けている。その瞳に浮かぶ強い感情に、魔女は、ああ、と頷いた。


「それだよそれ。つまらない騎士様かと思えば、その狂気的な執着。こちとら永劫をこの何もない空間で生きさせられているからな、面白いものを見つけたくて必死なんだ」


 魔女の身体がまた翻り、霧散する。

 するりと背後から纏わりつくように白い両腕が回され、ルイーゼは舌打ちした。


「それで……何が言いたいのです」


「ふふ。お前、『クラウス様』のために、どこまでできる?」


 耳に触れた唇から発された問いに、ルイーゼは剣を下ろしながら答える。


「愚問ですね。『何でも』ですよ。殺せと言うなら殺しますし、死ねと言うのであれば死にます。私の爪の一片に至るまで、全てはクラウス様の為だけに存在した。……目をかけて頂いたにも関わらず、何の役にも立たず、みすみす死なせただけでしたが。よって、既にこの時間に意味はありません」


 だから離せ、と言うルイーゼに魔女はくすくすと耳元で笑った。


「いいね、やっぱりお前は面白い。お前、私の退屈凌ぎになる気はないか? お前の大事な『クラウス様』を、救えるかもしれないぞ」


 断る、と即断しようとしたルイーゼは、最後の一言にそれを飲み込む。


 魔女はまた浮かび上がり、逆さまになりながら両手でルイーゼの頬を包むように撫でた。

 その手を振り払うことなく、ルイーゼは剣を鞘に納め、視線を僅かに上に向けた。


「分かりました、詳細は」


「さすが忠犬、話が早い」


 ルイーゼの頬を両手で持ったまま、魔女は逆さまの状態で彼女と真っ直ぐに視線を合わせる。鼻がつきそうな距離で、魔女はまたにんまりと笑った。


「死ぬたびに過去へと戻れる力をやる。それでお前の『クラウス様』を救えるかどうか足掻いてみせろ」


「条件は」


「無い。死んだら戻る、それだけだ。戻り先もお前が好きに決めていい。当然だが、お前が生まれてない時代は無理だぞ。うぶな『少年クラウス』を見ようと思ってもダメだってことだ」


「回数や身体機能への制限は」


「戻った先が幼なけりゃ、それだけ能力は下がるだろうよ。回数制限はなし。大盤振る舞いだ」


 そう言って魔女はくるりとその場で身体の上下を回転させる。ようやく真正面に戻った女の顔に嫌な笑みが浮かんでいることを見て、ルイーゼはため息を吐いた。


「それでは貴女に利がなさ過ぎる。私が苦しんでいる様を見て楽しみたいのでしょう? 何かしらの制約がなければ不自然です」


 淡々と告げられた内容に、魔女は少し目を丸くした。次いで、真っ赤な朱の乗った口角を大きく持ち上げる。


「察しがいいな。契約をすれば、お前は私と同じく『魔女』となる。つまり、不老で不死……死んだら戻るのに不死、ってのもおかしな話だな」


「死んだ後は必ず戻らなければならないということですね。不老というのはつまり、今の齢以上に年を取らないという意味で相違ありませんか?」


「相違ないな。仮にお前がやり直しを拒否しても、私が何度でも適当なところに戻してやる。そうだな、あの火事の夜を永遠に繰り返し続けるというのはどうだろう。面白そうじゃないか?」


「貴女のその性格上、百回も繰り返せば飽きますよ」


 ルイーゼは少し呆れたようにそう言い、胸に手を当てて一礼した。


「謹んで申し出を受けましょう、終末の魔女殿」


「いいのか? 私が嘘を言っているとも、約束を違えるとも知れないぞ」


「魔女にとって、魔力を伴う契約は絶対でしょう。それに、今更失うものなど何もありません」


 顔を上げながらルイーゼが淡々と答える。やはり可愛くない奴だ、と魔女が大袈裟に肩を竦めた。


 魔女の少し尖った指先が、とん、とルイーゼの胸を指す。


「ならば、私の新しい名前を決めろ。魔女は力を引き継がせる時、同時に『魔女』の称号を譲り渡す。これより先、お前が唯一の魔女となる」


「なるほど。それでは……『ロズ』と」


 少し考えてからそう名前を呼んだ瞬間に、魔女――改めロズの身体から光のようなものが浮き出し、ふわりとルイーゼの胸の内へと収められた。身体のうちに宿る不可解な力に、これが魔女の力かとルイーゼが得心したように頷く。


 一方、ロズは少し驚いたように目を見開き、数秒の後にふっとそれを緩めた。


「……怨念の籠もったとんでもないものを付けられるかと思ったが、存外情緒的な名を選んだな」


 魔女の返答に、ルイーゼはへえ、と少し感心したような声を漏らす。真っ赤な姿形から、同色の花の名を借り受けさせてもらったが、この傲慢な元魔女がそれを知っているとは思わなかった。


「昔、クラウス様に教えられた花の名です。力を頂くせめてものお礼に、私の大切な思い出を差し上げます」


「いいのか? お前に力を与えたとて、私の魔力がなくなる訳じゃない。滅多なことを口走ると、変な気を起こさないとも知れないぞ」


「構いませんよ。既に私は『ルイーゼ』ではなく、魔女でしょう? この身には不要なものです」


 そうきっぱりと言い切って、ルイーゼは再びロズへと頭を下げる。


「改めて、礼を言います、ロズ。これで必ず、クラウス様は救われる」


「始める前から、既に結果が決まってるみたいな物言いだな」


 ロズが言い、顔を上げたルイーゼは頷いた。


「ええ、決まっています。クラウス様が救われるまで私はやり直し続けます。幾ら可能性が低かろうとも、無限回の試行が得られるならば、それは既に確定した事項に等しい」


 ルイーゼの顔に微笑みが浮かぶ。柔らかく自然で、どこか狂気的にも見えるそれに、ロズは面白いと笑った。


「なら早速、最初の『試行』だ。どこへ戻る?」


「当然、決まっています」


 それだけを迷いなく答えて、ルイーゼの身体が霧散する。


 その思い切りの良さも、与えられたばかりの力を我が物のように使いこなすことも、実に面白いとロズは再び笑い声を漏らした。


「その歪さが誰に何をもたらすか、見ものだな」


 そう言ってロズが軽く手を振ると、透明な空間に映像のようなものが浮かんだ。

 口角を上げる彼女の視線の先では、美しい屋敷が炎に飲まれていた。

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