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ep.5 炎の夜 (1)

 小さく燻るように燃え始めた火種は、乾燥した空気の中で瞬く間に燃え広がり、夜の闇を煌々と照らしていた。



 屋敷へと現着したルイーゼは、門のところへ横たわっている骸に少し顔を顰め、身を屈めて手を伸ばし、小さな瞼を下ろさせる。


 以前に市場で盗みの疑惑を掛けられていた少年の身には、複数の深い太刀傷があった。





 ルイーゼがその急報を聞いたのは、城内で宰相の男とその配下たちと話している最中だった。


 酷く慌てた様子で彼女のもとへとやって来た小隊の隊士は、屋敷が襲撃に遭ったようだという旨をルイーゼに伝えた。


 満身創痍の身でそれを報せた屋敷の使用人、その身体に負った傷の深さを部下から伝え聞いて、一刻を争う状況だと理解する。


「宰相殿」


「ああ、主人の危機に引き留めはすまい。間に合うことを祈ろう、ヴァイス卿」


 宰相の男は大袈裟に祈りの動作をしてから、配下の一人にルイーゼを城門まで送るように言った。




 

 既に支度を済ませ、城門に待機していた隊士たちと共に、ルイーゼはクラウスの屋敷へと向かう。


 やがて見えてきた炎の明かりに小さく舌打ちし、動揺を見せる数人の部下へと叱咤を飛ばして、彼女たちの足はようやく屋敷の門へと辿り着いた。


 ルイーゼはその場で幾つかの指示を出し、それに従い隊士たちは散開する。彼女自身は歴の長い数人の部下を連れて、足早に燃え盛る屋敷の中へと踏み入り、燻る絨毯を踏み消すようにして二階へと駆け上がった。


「クラウス殿下! 殿下、生きておられますか⁈」


 煙を吸わないよう口元を抑えながら、ルイーゼがそう叫ぶ。返事はなく、ただ炎が辺りを呑む音だけが聞こえた。


 屋敷の廊下には、門のところにあったのと同様に、獣人の亡骸が点々と転がっている。ふとそのうちの一つに、獣の片耳が歪となった男がいることに気が付き、ルイーゼは強く眉を寄せた。


 ルイーゼの背後についていた壮年の隊士が息を飲み、次いでざわりと身体の毛を逆立てる。つい先日、屋敷へと配置換えとなったこの元隊士とは、彼らは同じ頃に入隊した仲だった。


 激昂し掛けた部下へとまた叱咤を飛ばし、ルイーゼの足がようやくその一室へと辿り着く。扉の前には、茶色い髪の獣人が壁に背を付けるようにして座り込んでいた。


「テオ……」


 ルイーゼが屈んでその項垂れた顔を確かめ、首を横に振る。胸から腹にかけては無数の刺し傷のようなものがあり、既にその瞳は光を失っていた。


 この日は非番であった彼の亡骸をそっと脇へと避けて、ルイーゼが扉に手を掛ける。じゅ、と手のひらが焼け付く音がした。



 ルイーゼが大きく開け放った扉の先で、上等な部屋はやはり火に巻かれ、大きな執務机もまさに燃え始めようとしていた。


 静かに足を踏み入れ、その机のそばに倒れている身体へと歩み寄る。


 常に例外なく威圧感を示す黒の瞳が、すっかり濁り切っていることに、隊士たちが悲鳴を上げた。


「で、殿下……! 殿下!」


「そ、んな……」


 すぐさま駆け寄ろうとする男たちの前に、細い腕が伸ばされる。ルイーゼは静かに首を横に振った。


「……既に亡くなられています。この屋敷が燃え落ちるのも、時間の問題です。騎士として、やれることをやりなさい」


 そう淡々と言い、ルイーゼは足早に執務机へと歩み寄って重たい引き出しの二重底を抜いた。そこから取り出した書束を、ばさりと隊士の一人に差し出す。


「次の議会で可決されるはずであった租税の新法案、それから獣人の軍への登用に関する資料です。穏健派のホーエンベルク公爵へ。城の私の執務机に、同様にして封筒が隠してあります。取り出して、『手土産だ』と言って一緒に渡してください。中身を見ることは許されません」


 呆然とした様子の隊士の手に束を押し付けると、ルイーゼは窓の外の様子を伺う。暗い庭の裏手には、数人の人影が走り去っていくのが見えた。


「敵の手の者は既に去りました。追う必要はありません。散開させた者たちと共に、屋敷内の生き残りを探して救出、脱出後は周囲への延焼を防いでください。今宵の夜番はミュラー侯爵の兵ですので、対応には期待しない方がいい。外に被害を出せば、次は貴方方が責任を問われることになる。死ぬ気で炎を止め、その後はホーエンベルク公爵のもとへと身を寄せなさい」


 それでは散開だと続けられ、ついに隊士の一人がルイーゼへと詰め寄った。


「小隊長……あんた何言ってんだ! 殿下が、殺されたんだぞ! 分かってんのか!」


 首元を掴む太い腕に臆した風もなく、ルイーゼはじっと男の目を見返す。


 何の感情の色も映さない赤い瞳に、隊士は思わず握っていた手を離した。


「無論です。故に、出来る限り殿下のご遺志を継ごうとしています。余計な問答をしている時間はない。指示が聞けないと言うのであれば、せめてここが焼け落ちる前に逃げなさい」


 ルイーゼに詰め寄っていた隊士の肩を、書束を手にした男が掴んだ。軽く引いて退出を促し、最後に首だけでルイーゼの方を振り返る。


「小隊長……あんたも、ちゃんと抜け出せよ」


「ええ、必要な処理を終えれば」


 視線を向けずに返された返答に、隊士たちは一瞬だけ立ち止まり、そして炎の渦巻く廊下へと駆け出して行った。

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