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ep.4 暗雲 (2)

 長い廊下を進み、ルイーゼの足が近衛騎士の詰所の方へと向かう。彼女が率いる十六番小隊の屯所は、仮にも王族に仕える者にも関わらず、ほとんど城の一番端に近いところに設けられていた。


 道中ですれ違った貴族や騎士たちに嫌な顔をされながら、ルイーゼは無言で足を進める。その表情は先程執務室にいた時とは打って変わって、全く温度を感じさせなかった。


 ルイーゼの手が一室の扉を開く。中に控えていた男たちがばらばらと振り返った。


「傷の具合は」


 彼らのうちの一人にルイーゼが声を掛ける。頭と右腕に包帯を巻いた隊士は肩を竦め、少し痛そうに顔を歪めて舌打ちした。


「片耳が半分になったのと、少し握力が落ちたぐらいです。二、三日もあれば復帰できますよ」


 そうか、と頷いて、ルイーゼは隊士たちの顔を見渡す。


「殿下からの言伝を預かっています。皆、よくやってくれた。十分に身体を休めるように、とのことです」


「誰よりも休まない人間に言われたってな。説得力がないにも程がある」


 別の隊士が呆れたようにそう言い、彼らの間からは笑い声やため息などが漏れ出た。


 ルイーゼは室内を回りながら、隊士一人一人の心身の具合を確かめる。大半が何かしらの傷を負っていたようだったが、活力に溢れた獣人らしく、既に治りかけている者も多かった。


 ふと、ルイーゼの足が止まる。壁に凭れるように座り、少し項垂れているのはテオだった。


「テオ、身体の具合が優れませんか?」


 ルイーゼの問いに、テオは首を横に振る。そばにいた隊士が舌打ちした。


「ちっ……いつまで項垂れてんだ。小隊長、こいつに大した怪我はありません。放っといていいですよ」


 そうもいかない、と今度はルイーゼが首を横に振る。その場にしゃがみ込むと、いつもよりも力無く下がった肩へと手を置いた。


「戦場は、初めてでしたね。今回貴方は十分な働きをしてくれましたが……仲間や殿下に身を庇われたことが、許せませんか?」


 びくり、とテオの肩が大きく跳ねる。ゆっくりと上がった顔の中心で、眉尻が大きく下がっていた。


「ルイーゼ小隊長、俺……ごめんなさい。人間だったし、力勝負なら勝てると思って……それで……」


「油断して馬鹿やったって、そういう訳だ」


 頭に包帯を巻いた男が、テオの言葉の先を引き継ぐ。テオはがくりと肩を落とし、力無く謝罪した。


 

 数日前、大規模な戦いは既に終わった状況で、ルイーゼたちの小隊は戦況の処理に当たっていた。終戦に向けて敵味方の混乱を抑え、捕らえた捕虜の輸送や、しぶとく奇襲を仕掛けてくる残党に対処する。


 変わらず前線に立っていたクラウスのもとへと向かった敵を、テオが単身で撃退に出た。しかし、戦の終わりということで気が抜けたのか、あわや反撃に遭わんとしたところを、クラウスと別の隊士が庇うこととなった。



「――だから言ったろ、人間様には魔力がある。特に戦場に出てきてるような奴には、クラウス殿下と同じく、身体強化に秀でたのが多い。甘く見てるからそういう目に遭うんだ」


「ったく……何のために毎日のように小隊長に吹き飛ばされてんだよ。獣人だからって腕力ばっかり過信するな」


 周囲の隊士たちに口々に言われ、テオの耳はぺたりと折り畳まれている。


 彼らを少し下がらせると、ルイーゼはその場に立ち上がった。


「貴方が失態をしたとは、私も殿下も思ってはいません。しかし、もし貴方がこれ以上戦場に立ちたくないと言うのであれば、配置を考えます」


 その言葉に、テオは弾かれるようにして立ち上がり、首を大きく横に振った。


「いいえ! やれます! 俺……小隊長、お願いします! 今から俺と……手合わせしてください!」


「テオ、お前いい加減にしろよ。戦帰りの上官捕まえて何言ってんだ。これからどんだけ仕事があるか分かってんのか」


 壮年の隊士がテオの肩を掴む。それを振り払って、テオは一歩ルイーゼへと詰め寄った。


「お願いします!」


 その必死の形相に、隊士たちの何人かが舌打ちして再び彼へと手を伸ばす。


 構わない、とテオを止めようとする隊士を留め、ルイーゼはじっと獣人の青年の瞳を見つめた。


「身体に不調はありませんね?」


 普段よりも幾分静かな声でルイーゼが尋ねる。テオは大きく首を縦に振り、そして他の隊士共々詰所を出た。





「ぐ、ぅ……も、もう一本……!」


 訓練場の床に這い蹲り、頭元に立つルイーゼを何とか見上げながら、テオは苦悶の表情でそう言った。


 ルイーゼは無言で頷き、再び始めの位置へと戻る。


 テオは数度咳き込んでから、剣を支えにふらつきながら立ち上がり、彼女と対峙する位置へと立つ。


 向かい合ったルイーゼが、来い、と視線で示すことを感じ取り、再びテオの足が床を蹴った。


 負傷しているとは思えない程にテオの動きは素早い。目にも負えない速度で頭上から力任せに振り下ろされた剣を、ルイーゼは半身を引いて避けた。


 床へと埋まった剣先が、乱暴な動きで持ち上げられ、木の破片を撒き散らしながら再びルイーゼの身体へと迫る。今度はそれを自らの剣の腹で薙ぐようにして受け、軽い音を立てて弾き返すと、ルイーゼは眼前に迫った足先を僅かな動きで躱した。


 訓練場の壁に背をつけながら、小隊の隊士たちはテオとルイーゼの戦いを見ていた。手合わせといってもその実力の違いは圧倒的で、息が上がった様子のテオとは対照的に、ルイーゼの額には汗の一つも浮かんでいない。彼女の表情はいつになく冷たく、最も古くから小隊に属している隊士の何人かがため息を吐いた。


「ぐっ……う、ぐ……げほっ……がっ……」


 再び叩きのめされたテオが、訓練場の壁際で地面に横たわっている。もう一本、と何とか立ちあがろうとして、その足がよろめき再び倒れ伏した。


「テオ、その辺りにしとけ。終いには再起不能になるぞ」


 頭上から掛けられた声に、テオは床を睨みつけたまま肩を震わせ始めた。微かに漏れ聞こえてくる嗚咽の音に、また何人かが舌打ちをする。


「テオ、貴方は決して弱くはない。ですが、特に戦場においては、もう少し感情を律する術を身につけた方がいい。頭に血の上った貴方の剣は、普段よりもずっと単調で、剣術を極めたものには軌道を読むことが余りにも容易です」


 いつの間にかテオの頭もとに立っていたルイーゼが、彼を見下ろしながら告げた。その声はいつもよりも淡々としており、感情の欠片も感じさせないものだった。


「畜生……ちく、しょう……俺も、俺にも……魔力が、あれば……そうすれば、もっと……」


「魔力の類も、決して万能ではありません。誰しも望んだ力を得られる訳ではない。人によって向き不向きや発現の強さにも大きく差があり、特に市場で暮らすような者の力は、決して戦闘向きのものではない。それでも、皆持って生まれたものを磨き、それを武器として生きています。貴方の武器は、何ですか」


 その問いに、テオの顔が弾かれたように上がる。その頬は涙に塗れ、目の端は赤く充血していた。


「俺の武器は、腕力と剣です! でもそれだって……人間であるはずの殿下や小隊長に遠く及ばない! 結局、筋力差すら魔力で埋められてしまうのなら! 俺たちの存在は、何なんですか!」


「っ、テオ! お前何言ってんのか分かってんのか!」


 上官への暴言ともいえる訴えに、他の隊士が慌てて彼を止めに入る。背後から羽交い締めにされながら立ち上がったテオは、ハッと何かに思い当たったようにルイーゼの顔を真っ直ぐに見据えた。


「あ……魔装具……小隊長が以前に研究されていた、魔装具なら! あれは獣人に魔力を持たせられるものだと聞きました! 何故研究を中断したんですか!」


 テオと他の隊士の視線を受け、ルイーゼの眉がほんの微かに寄せられた。


「……あれは、構造に欠陥がありました。あのままでは、装具者に苦痛を与え、身体を大きく損ない得る。調整の為の実験をしようにも、被験者の安全すら担保出来そうにない。故に、クラウス殿下は研究を凍結されました」


「なら、俺を使ってください! 俺、どんなに痛くったって平気です! だから……!」


「許可出来ません。貴方方も皆、ご存知でしょう。それを、殿下は望みません」


 静かな声できっぱりとルイーゼが迷いなく言い切る。テオの顔には絶望が浮かび、そしてやがて憎々しげに歪められた。


「……小隊長には……分からない……っ、人間のあんたには! 分かるはずない! 俺らには……俺らには力しか無いんだ! それで負けちまうってんなら……獣人に生きてる価値なんかないだろ‼︎」


 訓練場の壁を震わせる声でそう叫んで、テオは勢いよく飛び出して行った。


「テオ! 申し訳ございません、小隊長!」


 彼と世代の近い数人の隊士たちが、ルイーゼに一つ頭を下げてから、テオの後を追って駆けて行く。


 場内が静かになってから、壮年の隊士がため息を吐いた。


「おら、詰所に戻って各々がやれる仕事をやれ。戦場帰りだ。武器の手入れなり戦果の報告なりいくらでもやることはあるだろ」


 少し苛立たしげな声で告げると、隊士たちは皆頷き、ルイーゼに一礼してから訓練場を出て行く。彼らの最後尾についた隊士に目配せしてから、頭に包帯を巻いた壮年の男は、傷のない左手でルイーゼの背を軽く叩いた。


「小隊長、俺らも行きますよ。お話ししたいことがいくつかあります」


「……ええ、分かりました」


 ルイーゼは頷き、彼と共にすっかり静かになった訓練場を後にした。

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