ep.1 死に戻りの魔女
ぱちぱちと木々の弾ける音がする。屋敷は既に火に巻かれ、上質な絨毯も、廊下の鎧も、美しい壁紙も全てが炎に飲み込まれていく。
煙の充満し始めた廊下を、足早に女が進む。
ぐしゃり、と靴の中で生温い液体が音を立てた。赤黒い足跡を残しながら、女の足は迷わずに一室へと辿り着く。
口を押さえたままドアノブを握り、手のひらが焼けついたことに眉を寄せてから、それを大きく開け放った。
屋敷で最も上等な部屋の、大きな執務机の隣に、人間の身体が横たわっている。
そばへとしゃがみこんで屈強な身体を抱き起こすと、女は指先で首から腹にかけての太刀筋をなぞった。血に濡れた細い指先が、男の顔にかかった黒い前髪を払う。
その瞼は閉じられていて、濁った瞳を見ずに済んだことに、女は安堵のため息を吐いた。精悍な顔つきは、生命が失われていてもなお、厳格さや威圧感を感じさせるようであった。
ひたりと女の手のひらが男の頬に添えられる。死してさして時間が経っていないためか、背後で渦巻く炎のためか、男の肌は冷たさを感じさせなかった。
頬に当てた手の指先で、そっと男の目元をなぞる。少しだけ名残惜し気に指を離すと、目の下にはまるで朱でも引かれたようで、女はくすりと笑い声を漏らした。
男の身体を再び床に寝かせて、女は立ち上がった。
暗い窓の外に見える人影と、彼らが身に付けている衣服や兵装を脳裏に刻みつける。続いて執務机へと歩み寄り、熱くなり始めた机上から書面を手に取って、中身をざっと確認した。
山と積まれた書類に軽く一通り目を通して、机の中や周囲に置かれたものから現在の状況を把握してから、女は頷いた。
「私が不在の間に、ブラント侯爵の籠絡には成功したようですね。御令嬢の縁談が無くなったことが効きましたか。あとは……やはり問題は、宰相殿ですね。さすがに隙のない御仁で、どこから攻めたものか」
男の亡骸に歩み寄りながら、女がそう独り言を呟く。胸元から取り出した一冊の手帳にしばらくの間文字を書きつけると、やがてぱたんと閉じて、男の頭元へと膝まづいた。
女の白い手が伸びて、男の腰から剣が抜かれる。柄と剣身を両手に持つと、細い首筋に刃を当てた。
「〝次〟は、もう少し上手い試行を行います。どうかもう暫くお待ちください、クラウス様」
男の顔をじっと見つめながらそう言って、女の手が勢い良く引かれる。
首から赤い血潮を噴き出させて、ぐらりと倒れた女の身体は、男の亡骸に寄り添うように横たわった。