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03 上の話

一面白で統一された施設内を気怠そうに歩く男の姿がある。

伸ばしているというよりは、伸びたまま放置しているような癖のある黒髪を無造作に一つに束ね、無精髭の生えた不健康そうな顔で大きな欠伸をした。目的の場所があるのか、ふらふらとした足取りではあるがどこかへ寄るわけでもなく、真っ直ぐ奥へ奥へと向かっている。



「研究室5」と書かれた札が伸びる部屋へ、ノックもなしに扉を開ける。

大量の紙の山が出来上がっている机の真ん中に、白衣を着た女性が頬杖をつき頭を抱えていた。

「おーなんだでかいため息。疲れてんなあ」

かろうじてスペースが残されている場所へ手に持っていたカップを置く。

女は声をかけた男を一瞥することもなく、湯気が立っているカップを手に取った。

ぼんやりとしていた思考がコーヒーの香りで覚醒しはじめる。

「またここに泊まってたでしょ。朝から食ってもないね?バランスよく食わないと脳が働きませんよ、お嬢さん」

ふざけた調子の男は草臥れた白衣のポケットからサンドイッチを取り出し女へ差し出す。

女は目の前に差し出された食べ物を反射的に受け取ってはっとする。

やっと目が覚めたようだった。


女はバツが悪そうに、男に礼をするとここにきて初めて目を合わせた。

「‥もう前線へ送るメンバーがいないわ」

ぼさぼさに乱れきっている髪の毛をかき上げ、俯きがちにため息をつく。

淡い栗色の髪が光にあたってさらに薄く、角度によっては金色にも見えるようだった。

「向こうは戦争に慣れているのよ、‥ほんと胸糞悪いったら」

そう言って、サンドイッチが包まれているビニールを乱暴に開き齧り付いた。

「まあそうだろうねえ」

男は女が食べ始めるのを見届けてから口を開き、自分の分のサンドイッチを食べ始める。

女の隣の机の主は長いこと不在だったが、椅子の上にも資料が積まれていたため、仕方なしに机の端に腰をかけた。

「元の世界じゃただの名もなき一般人だけど、ここにくれば英雄になれるときた。

そりゃ持てる知識をフル活用してしたいでしょうよ、英雄ごっこが」

軽い調子で答える男をジロリと睨む。

男はお構いなしにパンを頬張りながら話し続けた。

「いくら異能があっても、戦争慣れしてない、人の生き死にの実感がいまいち飲み込めてないわかーい子と、戦いたくてうずうずしている連中じゃあ。‥ね。

異能があっても人を殺すために使いこなすなんてよっぽどだ」

分かってはいるが、改めて真実を突きつけられるとどうしてもいい気持ちはしない。

「なによ、シンラはどっちの味方なの」

「ははっ痛いところつくねルイちゃん。俺は現実の話をしているだけだぜ?」

「ちゃん付やめてよ。気持ち悪い」

むすっとしたルイは先ほどよりもぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し叩きつけるように机に置いた。

「‥まったく。本当に深刻なのよ。こっちは戦略について口を出せないんだから‥ただ異能者が戦える状態か検査するだけだもの」

また視線が俯きがちになる。

「いつまでも続けられることじゃないわ。こんなこと」

吐き捨てるように言ったルイの瞳は揺れていた。

この争いの終着点はどこにあるのだろうか。


食事が済むとシンラは大きな伸びをして、行く手を阻むようにあちこちに積まれている資料をなんとか避けながら窓際に向かう。

カーテンを開け、窓を全開にして埃っぽい室内の空気をいれかえる。

「いや〜いい天気だなあ」

窓の向こうには、色とりどりの花が咲き乱れる研究所自慢の庭園がある。

隅々まで手入れが行き届いているそこは、いつからか「楽園」と呼ばれていた。

三方を塀で囲われている中庭が、差し込む光とも相まって、現実離れした酷く歪な空間のように見える。

こうやって無機質な塀の中には、心休まる憩いの場がいくつも点在していた。

ルイはこの施設内もよく造られている偽物だと、感動している。

冷めた目で「楽園」を一瞥して机の資料の山に視線を移した。

上の人間は、さも働く人間を少しでも思いやっていますよ、というような現場の人間にとって心底どうでもいいパフォーマンスを忘れない。

気休め程度(本当に庭園は気休めだ)にしかないその温情に、ありがたすぎて反吐が出そうだった。

「散歩しない?」

「しないわ」

「あらら‥おじさんまた振られちゃったか」

ルイに向き直ったシンラは笑いながら答えた。

陽の光を浴びて真っ黒だった目が深い緑にも見える。

不思議な男だった。

心身がまいっているとき、ふらっと現れては何をするわけでもなく、ただいつも通りのやりとりをして去っていく。

光の下で濃い緑にも見えるような、吸い込まれそうな真っ黒な瞳も笑っているようで笑ってはいない。

こちらを見ているようで見ていない。

彼が去ったあと、確かに心が軽くなるのに。

常にふらふらしている掴みどころのない性格と相まって、これ以上踏み込むこともできず、ルイはシンラと一線を引いていたのだった。


ー本当に信用していい人間が誰なのか、未だ見極められずにいる。


「私このあとミーティングあるの」

「おっじゃあその前に、せめてその「徹夜続きですよ〜」って見た目、なんとかしないとな」

「サイテー」

へらへら笑って先ほどと同じように資料の山を避けながら研究室を後にする。

「夜またくるわ」

ーは?

シンラは返事を待たずに研究室のドアを閉め、口笛を吹きながら去っていったのだった。

呑気な男に若干の苛立ちを感じながら、その実自分を心配してくれていたのだと思い直し苦笑した。

「‥今日はもう仕事出来ないわね」

ルイは資料の山にぶつかり崩れることも構わず、研究室に備え付けられているシャワールームに向かっていった。

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