序章二 - 龍姫の祝言大作戦
この神話は現在の婚礼の儀にも大きな影響を与え続けている。
花婿が龍の仮面をかぶった仲間とともに、花嫁を迎えに行く。しかし、花婿の前には花嫁の両親や友人などが立ちはだかり、彼らを説得ないしは武力で負かして、花嫁を連れ帰らなくてはならない。本気の戦闘が行われることはまれだが、一部の武官家やその婚儀を好ましく思っていない者がいた場合はその限りでない。婚儀の最後には、新郎の家に新郎新婦の親族や友人、近所の人々などが集まり宴を開く。そんな一連の形式が出来上がっている。
初夏に予定されているこの国の主の婚礼の儀も、伝統に基づき同じ形式で行う。国境端にある砦の一室では、その重要な行事の責任者を仰せつかった青年が、二人の部下を前に頭を抱えていた。
「絡柳先輩、本当に祭事や伝統に疎いんですね。城下町を歩いとれば、花嫁を迎えに行く花婿や、その帰りの夫婦行列を見ることもあるでしょうに」
三人のうち紅一点の少女が言った。年のころは十八ほど。室内の光に当たって紺色に光る長い髪は先ほどの神話に出てきた龍神を思わせる。龍の血を継ぐこの国の姫君で、名は与羽と言う。
「たいてい考え事をしているから、あまり意識して見たことがなかったんだ」
はぁ、と息をついた青年は、水月絡柳。二十代半ばにしてこの小国の大臣を任されている有能な官吏だが、庶民出身とあって伝統的な儀式や神事は苦手だった。
「それを補うために僕たちがいるので――」
三人目の少年は少女――与羽の幼馴染、辰海。長年有能な文官を輩出し続けている筆頭文官家の出身で、彼自身も上級文官の位を持っている。彼の生家は文官家の中でも特に歴史や伝統を重んじる家風なので、今回の絡柳の補佐をするにはもってこいの人材だろう。
「僕が城下町から持ってきた記録はすでにすべてご覧いただけましたよね? 婚礼の儀は奇をてらう必要がありませんから、それをなぞっていけばいいだけです。ただ、昨年の戦が財政に響いていますので、予算は少なめで――」
「けど、見た目まで質素にはできんじゃろ?」
「そのあたりの折り合いをうまくつけるのが、僕たちの腕の見せ所になりそうです」
与羽の意見に辰海は絡柳の方を見て答えた。
「質を落とさず節約できる場所を探すか、寄付や何かしらうまいことやってお金を集めるか、柊おじさんや月日大臣にお願いして予算をもらうか――」
「三つ目はよほどの理由がない限りなしだよ。絡柳先輩や僕たちの評価が落ちるから」
与羽と辰海の間だけで相談が交わされる。与羽は機転が利き、人望と行動力がある明るくはつらつとした少女。辰海は豊富な知識と見目の良さを持つ、真面目でしっかり者の少年。仲睦まじい兄妹のようにも恋人同士のようにも見える二人だが、時折妙に他人行儀になったり、冷たく突き放したり、距離感が安定していないのが、ここ最近共に仕事をしている絡柳の不安だった。どこかで軋轢が生じなければいいが……。
「もし削れるとしたら、どこを削る?」
自分よりも若い二人に任せっぱなしにはできないので、絡柳も相談に加わった。
「影響が少ないのは花嫁の待機場所ですかね。古くは神殿で待機する形式が一般的でしたが、最近は花嫁の自宅に花婿が迎えに行くことが増えています。その場合は移動距離が五分の一ほどになるので、警護や観衆の整理に費やす人員をかなり抑えることができそうです」
辰海が淀みなく答えた。
「それは許されることなのか?」
「はい。先々代の城主――舞行様の奥方は神事を司る楠家の出身ですから、神殿まで迎えに行かれましたが、先代の翔舞様は花嫁の実家を使用しました。最近の例ですと、僕たちの友人漏日天雨と蘭明も蘭明の生家である月日家に行きましたし、橙条と守島や黒沢と六鬼、赤砂と八鬼の時も――。お互いの家が近すぎるときは、城や城下町内の神社を花嫁の待機場所に使うことはありますが、神官家以外で山奥の本殿を使ったのは――」
ここ数年で行われた有名家の婚儀を挙げながら、辰海は自分の記憶を辿るように言葉を切った。
「一鬼悠さんが最後かもしれん。ただ、悠さんの奥さんが、城下外の人だからかも。城下町出身者同士で考えると――」
与羽もそう言ったきり考え込んでしまった。
「……少なくとも、僕が官吏になって以降は、ない……。と思います」
しばらく経ってやっと辰海がそう口を開いた。
「わかった。花嫁の待機場所は花嫁の生家、城下町南部の紫陽家にしよう。もちろん、当事者の希望を優先するが……」
「ただ、そうなると花嫁と花婿が大通りを一切通らんってことになるんよね……」
与羽が自分のほほを撫でながら問題点を挙げる。
「城主の結婚なら、やっぱり大勢の人の目に触れるようにするべきだと思う。お祭りじゃし、戦から一年経つか経たんかって時期よ? この婚礼の儀は国中に明るい未来を見せるものであるべきじゃろう? 南の通りを端まで下って、そこから大通りに入って城へ戻る。くらいの経路を取るべきじゃないかな。――と思うんですけど」
絡柳の視線が自分を向いていることに気づいて、与羽は慌てて最後に敬語を付け足した。
「なるほどな。だが、それだとほとんど警護費は削れないぞ」
神殿まで行く案と比べて、移動距離は与羽案の方が短いが、人の多い城下町内の移動が増えるので、沿道を守る武官の数はあまり減らせない。
「どこを削って、どこを残したいかは、当事者の希望を聞くのが一番なんかもしれん……」
うつむき気味に与羽が言った。
「すでに固めてある部分の承認も兼ねて、一回城下に戻るか……」
「そうですね」
絡柳が提案し、辰海もうなずく。
「ちょうど今年の予算が固まる頃だ。その確認もかねて、中州城下町に戻ってくる。その間、申し訳ないんだが、俺の代わりに砦を守っていてくれないか? 辰海。その間だけ地方官を増やしてもらえるよう頼んでおく」
「構いませんよ」
辰海はうなずいた。昨年末から就いているここでの仕事には、だいぶ慣れた。
「与羽には同行を頼みたい」
「わかりました」
与羽も神妙な顔でうなずいている。
「よし。普段の伝令と一緒に、城への帰還を請う書面も送る。乱舞が断ることはないだろう。早ければ、あさっての朝出発になるから、準備しておいてくれ」
絡柳は簡潔に指示をしながら、白紙の紙に筆を走らせる。さっそく、城主宛の文章をしたためているのだ。これが、まだ寒さの厳しい二月中頃のこと。この国の主――中州乱舞の婚礼の儀までは、あと四ヶ月。
与羽が官吏を志し、初めて行う仕事として兄の婚儀を計画しているとは、丸一年前の与羽なら想像もつかなかっただろう。
「ふふふふっ」
思わず笑みがこぼれてしまった。
「ご機嫌だな」
あっという間に書類を書き終わったらしい絡柳が、顔を上げる。
「『龍姫の恋愛成就大作戦』もいよいよ大詰めだと思って――」
「龍姫の恋愛成就大作戦」と題して、あと一歩進めずにいた兄とその恋人の背を押したのが、昨年の春。そう言えば、あの時協力してくれたのも、ここにいる絡柳と辰海だった。
「……そんなこともあったな」
絡柳も笑みを浮かべる。気の知れた人にだけ見せる彼の笑顔は、どこか攻撃的な野性味を帯びていて、男性的な美しさがある。
「そうか、俺たちが乱舞の婚儀を取り仕切るのは、あの時から決まっていたことなのかもな」
「先輩が運命を語るなんて珍しいですね」
与羽はさらに笑った。
「運命ではなく、必然だな、これは」
冷静に修正する絡柳は、すでにまじめな顔に戻っている。
「どちらにしても、私がはじめたことですから、私が最高の形で作戦を遂行しなきゃですね」
ぺしぺしと自分のほほを両手で叩いて、与羽は自分の顔に張り付いた笑みを打ち消した。口元を引き結んで、筆を手に取る。今は仕事中だ。
「集中」
そう自分を叱咤した。
絶対に良いものにしなくてはならない。何年も、何十年も、婚儀の手本と語られるくらいに。
兄の笑顔を思い浮かべて、与羽はそう強く決意した。
とりあえずの投稿はここまでです。
来年(2022年)初旬を目標に投稿を再開します!
その間、過去作の修正も行う予定ですので、そちらもお楽しみいただければ幸いです。