8話
午前中の授業が終わり、昼食はファリンと食べる約束だ。二人でカフェテリアまで行き、カウンターでそれぞれ好きなものを選んだ。ファリンは白身魚のムニエル、レクシアはポークカツレツを選び、トレーを持ってファリンのお決まりの席に向かった。
窓辺の端のテーブルはいつもファリンがいる場所なので、他の人は誰もそこに座ろうとはしない。今までファリンが一人で食べていた場所に、レクシアがお邪魔させてもらう形だ。
「ファリン様は魚料理の方が好きなんですか?」
「今日は魚料理の気分だっただけで、好き嫌いは特にないわ」
「そうなんですか。わたしは肉の方が好きなので、いつも肉料理を選んでしまいます」
食べ始めようとして、フォークとナイフを持ったレクシアの手が止まった。普通の人には近寄りがたいこの場所に、トレーを持った人影が近づいてきたからだ。
「僕も一緒にいいかな?」
人影の正体は、朝からなぜかレクシアに付き纏っていたイグザだった。レクシアとしては目の保養になるので、一緒に食べても異論はない。だが決定権はファリンにあるので、レクシアはファリンの方を見た。
「構わないわ」
無表情でイグザに返答したファリン。無表情だと怒っているように思う人もいるかもしれないが、ファリンは基本的に普段から無表情だ。だから怒っているわけではない。その証拠に周囲の空気に険悪さは微塵も無かった。あの修羅場が嘘のようだ。
「ファリン様と食べるのは久しぶりだね」
「ええ、そうね。王宮での殿下を交えての昼食会以来かしら?」
幼馴染である二人の関係は、元々悪いものではなかったらしい。レクシアがあんなひどい目にあったのだから、仲直りぐらいしてくれていないと割に合わない。自分の犠牲は決して無駄では無かったと、レクシアは思いたかった。
イグザが空いていた椅子に座り、三人でのランチタイムが始まった。傍から見れば不思議な組み合わせだろうと思いつつ、レクシアはポークカツレツを頬張った。なにはともあれ、肉は今日も美味しい。
「レクシアさんは美味しそうに食べるね」
「実際美味しいですから」
「私も食べたくなるわ。明日はポークカツレツにしようかしら」
イグザが盛り上げ役を担い、その後も話は途切れることなく続いた。イグザが同席してくれて良かったのかもしれない。もしレクシアとファリンの二人だけだったら、ここまで会話が続いていたかはいささか怪しい。
昼食の間中、レクシアはイグザの方を極力見ないようにしていた。なぜなら見惚れてしまうから。見惚れていたとしても、まじまじと見られるのは気分が良いものではないだろう。イグザの顔は整っているうえに、大変レクシア好みだった。むさ苦しいキッカランの男どもとは大違いだ。
相変わらずファリンは終始無表情だったが、最後まで会話は弾み三人で楽しいランチタイムを過ごした。
午後の授業を終えて放課後となり、王宮に向かうファリンとは廊下の途中で別れて、レクシアは図書当番をしに図書室に行こうとした。当然の如く、イグザが付いて来ている。
「暇なんですか?」
ラフロスト侯爵家の跡取りで次期宰相となれば、本来暇なはずがない。レクシアの問いかけは、疑問半分、嫌味半分だった。
「レクシアさんのために時間を作ったんだよ」
「わたしのためですか」
あの修羅場事件は表向き無かったことになっているのだから、無かったことにすればいいのに、物好きなことだ。徐々に人通りが減っていく廊下を歩き、朝とは打って変わって言葉少なな時間が過ぎていった。
図書室に向かうのなら、あの廊下を避けて通ることはできない。レクシアはあの事件以降初めて、修羅場が起こった図書室前の廊下まで来た。口の中に血の味が蘇り、思わず足が止まっていた。
「ここであんな修羅場が起こってるとは、思いもしませんでした」
「手紙でも謝りはした。でも直接謝るべきだよね。君を巻き込んでしまって悪かったと思ってるよ。この通りだ。本当にすまなかった」
深々と頭を下げるイグザに対してレクシアが思うことは、早く頭を上げて欲しいだった。こんなところを誰かに見られたら、レクシアの悪い評判がますます悪くなってしまうではないか。
「あの事件は表向き無かったことになってるんです。早急に顔を上げてもらえませんか」
「ああ、それもそうだね。僕としたことが配慮に欠けてたね」
レクシアに従ってイグザが顔を上げた。先程までと比べて、イグザの顔色がどこか悪く見えたが、レクシアは気にしないことにした。
それよりも今大事なのは、イグザの真意の方だ。今朝からレクシアに付き纏ってきたのは、二人きりになったときに謝りたかったからということらしい。それならレクシアも、イグザに伝えておくべきことがある。
「ファリン様から何があったのかは、全て聞きました。わたしはファリン様に対して怒ってはいませんし、貴方に対しても怒ってはいません」
「そう、なんだね」
レクシアの言葉を聞いてほっとしたのだろう。イグザの作り物めいた笑顔が少しだけ緩んだ。優れなかった顔色も多少はましになった。
「もしもあの禁呪魔法がわたしにも当たらなかったなら、一体どうなってたんでしょう?」
レクシアは疑問に思ったことを、何気なくイグザに聞いていた。
「あれは誰かにぶつかるまで彷徨い続けるタイプだったから、もしも誰にも当たらなかったら、僕の方に戻って来てただろうね」
「わたしは完全に身代わりでしたか」
レクシアが極々小さな声で、ぽつりと呟いた。その一言でイグザの笑顔に一瞬ひびが入ったのを、レクシアは見逃さなかった。
止まっていた足を動かして、レクシアとイグザは図書室の扉を開けた。眼前に広がるのは大量の本棚が並ぶ広大な空間だ。無数の本に囲まれたこの空間を、本好きなレクシアは愛してやまない。
「こんにちは」
入り口近くのカウンターの中にいる黒髪の女性司書に、レクシアが挨拶した。
「こんにちは。今日はイグザはんも一緒に来はったん?」
方言を交えた独特な話し方をする、グライズ王立学園図書室の司書ラコット。黒髪を三つ編みにして胸の前に流したラコットは、連れ立ってきたレクシアとイグザを見て雅に笑った。
「なぜかついて来た」
よく分からないという表情で、レクシアはイグザの方を見る。
「どうも」
きらっきらのイグザスマイルが眩しい。ラコットもレクシアと同じことを思ったようで、二人揃って目を細めてイグザを見ていた。
「もう身体はかまへんの? せやレクシアはん、休んではる間に――」
レクシアが休んでいる間の話をラコットから聞く。たとえ蚊帳の外になっていても、イグザは図書室から出て行こうとはしなかった。