6話
人気が無い裏庭の隅にひっそりと置かれたベンチに、レクシアとファリンは並んで腰かけた。やはり周囲に人影はないので、気兼ねなく話すことができそうだ。
話の口火を切ったのは、ファリンからだった。
「私に言いたいことがあるのではありませんこと?」
いや特にない。レクシアはファリンが話しかけて欲しそうだったから、話しかけたまでだ。言いたいことがあるのは、ファリンの方ではとレクシアは思う。
「あります、でしょう?」
ファリンの圧が強い。無表情で凄まれると、若干怖い。どうしても何か言ってほしいなら……あ、そうだと、レクシアは閃いた。
「ではファリン・スレノーラ公爵令嬢、禁呪魔法の罪滅ぼしにわたしと友人になってください。そして、わたしが休んでいた間のノートを貸してください!」
言ってからレクシアは気付く。間違えた。完全に間違えた。
レクシアは別にファリンと友人になりたかったわけではなかった。どちらかというと、本題はノートの方だった。誰か友人から借りられたらなとレクシアが以前考えていた結果、友人の話が先に出てしまった。
間違えて言ってしまった友人の件は、ファリンに拒否されるだろうし、ぶっちゃけどうでもいいのだ。ノートが借りられれば! ノートさえ! ノートだけは!! と譲れないレクシアである。
そんなレクシアの思いをファリンは知るはずがない。ファリンはレクシアの発言が想定外すぎたらしく、すぐさま目を瞬かせた。
「私なんかと友人になってくださるの? 私なんかと? 本当に?」
食いつき方がおかしくないかと、今度はレクシアが目を瞬かせる番だ。
「初めての女性の友人ですわ~」
ファリンの目にじわじわと涙が溜まる。レクシアは焦った。
「え~!? ちょっとファリン・スレノーラ公爵令嬢!?」
「え~ん!! うわ~ん!!」
泣きじゃくるファリンに、レクシアはわたわたするしかない。とりあえず引き続き人目が無いか周囲の確認と、急いで魔力を練り上げた。レクシアの足元に魔法陣が浮かび、魔法が発動する。
レクシアが使った魔法は、遮音魔法だった。周囲にファリンの泣き声が聞こえないようにするためだ。実家だとうるさくてゆっくり本が読めなかったので、レクシアは遮音魔法を必死になって覚えた。魔法が苦手なレクシアだったが、これに関しては頑張った。
とにかくファリンの名誉のためにも、この醜態をさらすわけにはいかない。レクシアがスレノーラ公爵に顔向けできなくなる。
「落ち着いてください。友人ぐらいなんですか。貴方が望むならわたしはいくらだって、貴方の友人になります」
レクシアは号泣するような大したことでないと、ファリンに伝えたかったのだが、ファリンの状況は悪化した。
「酷い目にあったのは私の所為だというのに、こんなダメダメな私の友人になってくださるなんて、貴方様は天使か何かですの!」
ファリンに肩を掴まれて、レクシアは前後に揺すぶられる。
「責められると思っていましたのに。非難の一つや二つ、十個や二十個言われるかと思っていましたのに! 何の非難も無しだなんて、肩透かしにも程がありますわ! そのような心優しい貴方を、私は、私は、何て目にあわせてしまいましたの~~~!」
さらに前後に揺すぶられて、レクシアは若干気持ち悪くなった。昼食直後にこれはまずいと、レクシアはファリンの腕をがしっと掴んだ。
「一旦ストップです! はい、落ち着いて。はい、深呼吸、吸って吐いて」
「すー、はー、すー、ごほっ」
「え~」
深呼吸でむせるファリンは、レクシアが思っていたのと何か違う。
「言いたいことはたった今色々と出来ましたが、とりあえずあの一件はもう気にしていないと、わたしは手紙にも書いたはずです」
「そんなの私に気を使ってくれたのでしょう? 怒りのあまりに手が震えていたのですわよね!」
「あれは手に痺れが残っていて、上手く動かせなかっただけです。あの時から全く怒ってません!」
「ごめんなさい~~! 手の痺れはもう大丈夫ですの?」
「はい、痺れはもうないです。後遺症もないですし、手紙で散々謝ってくれたので、わたしはもう気にしていません。何度だって言います。わたしは貴方に怒っていません」
「優しすぎますわ~~~!」
ぐずぐずのボロボロで、無慈悲な公爵令嬢の面影はどこにもない。少なくともこれが、素で飾らないファリンの姿らしい。
朝から観察してみたファリンの姿は、レクシアの記憶の中の彼女と全く一緒だった。無表情で何を考えているか分からなくて、それがいつものことで。
王太子の婚約者で次期王妃ともなれば、普通取り巻きの一人や二人はいるはずだ。でもファリンには、取り巻きの影も形もありはしない。無慈悲な公爵令嬢と呼ばれ、学園内ではいつも一人ぼっち。レクシアが思うに、ファリンはいつだって孤独だった。
人から怖がられ避けられるレクシアも、似たようなものだ。でもレクシアには幼馴染達がいた。一年の時は偶然同じクラスだったので、レクシアは寂しい思いをせずに済んだ。図書委員の人たちは寄っては来ないものの、レクシアを避けずにはいてくれている。
しばし泣きじゃくった後、ようやくファリンは落ち着きを取り戻した。
「失礼いたしました。友人という言葉に対するあまりの嬉しさと、貴方の優しすぎる言動に、取り乱してしまいましたわ」
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんなりと」
「なぜあんな場所で修羅場をかましていたんですか?」
ファリンから手紙にも、イグザからの手紙にも、そのことについて一切書かれていなかった。レクシアは真相を未だに知らないままだった。なぜ男に泥棒猫と叫ぶに至ったのか、レクシアにだって知る権利はあるはずだ。
「殿下がいつも女子学生を侍らせているのは、貴方様もご存じでしょう?」
あの微妙に評判が良くない王太子か、とレクシアは金髪碧眼の姿を思い浮かべた。
「私なんかでは敵わない人ばかりで、私なんて……」
ファリンの目が再び潤みだした。そんなことはないとすぐさま否定したかったが、レクシアは聞き役に徹した。変に否定しても恐らくは逆効果だ。
レクシアは否定する代わりに、王立学園一年生の頃の記憶を引っ張り出した。
グライズ王立学園には、貴族だけでなく多くの平民も在学している。王太子が共に過ごしていた女子学生は、レクシアの記憶が正しければ、貴族平民を問わず容姿も性格もてんでばらばらだった。ファリンが敵わない人ばかりと言うには、ぱっとしない人選というか……。王太子は誰でもいいのではないか、と思えるような人選だったはずだ。
もし仮にあの人たちにファリンが敵わないのなら、レクシアは一体何なのだろう。ゴミ? ゴミかぁ。レクシアの自虐がさく裂する。
「そんな中で、イグザ様も殿下と一緒に居ることがありますわ。男性になら私なんかでも、勝ち目があるのではないかと思いましたの」
ファリンの想像の飛躍っぷりが凄まじい。確かにイグザの見目はかなり良い。レクシアもずっと見ていていいなら、見ていたいぐらいに良い。でもエルキューザは男色ではない、はずだ。たぶん。
「男同士では普通そんな関係にならないです」
「世の中にはそういう関係性もあると、ある人に聞いたことがあったから、もしかしてと思ってしまいましたの」
「それで男性相手に、泥棒猫ですか」
こくりとファリンが頷く。ファリンに余計なこと言ったやつ出てこいと、レクシアは思った。そいつのせいでレクシアを巻き込んで、こんな大惨事が勃発した。
「イグザ・ラフロスト侯爵令息は、殿下の側近候補のはずです。女子学生を侍らせているのとは訳が違います。殿下に苦言を呈してくれていた可能性も否定できません」
だから一緒にいても、おかしいところは何もない。
「そうですわ。あの後イグザ様とお話しして、自分が何て愚かだったのか思い知りましたわ。私とイグザ様は、幼馴染と言ってもいい仲でしたのに」
どうやらそんな当たり前のことに気付けなかったほどに、あの時のファリンは追い詰められていたらしい。聡明なはずのファリンが判断を誤った。一ヶ月をかけて禁呪魔法を構築し、凄腕の医師でも治療に骨を折るようなものを、ファリンは作り上げてしまった。
そこまで追い詰められたファリンはきっと、孤独に苦しむ年相応の少女だった。
そしてファリンは何故か、自己肯定感が異常に低い。ファリンが避けられるのは、公爵令嬢で王太子の婚約者という身分のせいもあるだろうし、常に無表情で何を考えているか分からなくて、気味が悪いのもあるのだろう。人々に距離を取られて、ますますファリンは自分のことを卑下する。
レクシアはそんなファリンを放っておけないと思った。知ってしまったからには、見て見ぬふりはできないし、したくない。孤独が嫌なものなのは、キッカラン家の娘として避けられるレクシアにもよく分かる。
「ファリン様とお呼びしてもよろしいですか?」
「ええ、呼んでもらって構いませんわ」
「では、ファリン様、改めましてわたしと友人になりましょう。あとわたしのことは、レクシアと呼んでください」
「ええ、レクシアさん」
呼び捨てでも良かったのにとレクシアは思う。
「もう午後の授業が始まります。少しじっとしていてください」
レクシアはファリンの手に触れると、治療魔法で赤く腫れた目を元通りにした。これでファリンが泣いていたことは、レクシアしか知らない。
「すごいわ。ありがとう。レクシアさんは治療魔法が使えるのね」
少しはにかんだファリンの笑顔は、同性のレクシアから見てもとても魅力的だった。
「家族がいつも怪我してばかりだったので、治療魔法は得意になりました。ファリン様の禁呪魔法には全く役立たずでしたけど」
あと攻撃魔法とかも制御がさっぱりですと続けようとして、レクシアは続けられなかった。
「私は、私はなんてことを!」
「もう大丈夫です。大丈夫ですから!」
逆戻りしそうになったファリンを何とかなだめてから、レクシアはベンチから立ち上がった。
「教室に戻りましょう」
「あのレクシアさん、友人になったのなら、明日の昼食はぜひご一緒したいわ」
「はい、喜んで」
笑いあって二人で約束した。こうしてレクシア・キッカランとファリン・スレノーラは友人となった。
教室まで戻る道中で、ファリンが今日持ってきている分のノートは今日の帰りに貸し、残りのノートは明日以降持ってくることで話はまとまった。
休んでいる間のノートのめどが立ったので、午後もなんとか頑張ろうと、レクシアは気合を入れた。そして午後の授業が始まってすぐに、レクシアの心は折れた。粉砕までいかなかったのは、不幸中の幸いと言うべきか。
午後の授業も終わり放課後、手持ちのノートをレクシアに渡してから、王妃教育を受けるためにファリンは王宮に向かっていった。レクシアは寄り道せずに寮まで帰り、すぐさまファリンのノートを写し始めた。
とてもきれいな字で書かれたファリンのノートは、手紙と全く同じ筆跡だった。代筆ではなく手紙を書いていたのはファリン自身だ。一度でも代筆だと疑ったことを、レクシアは申し訳なく思った。
今日も学園から直接王宮での王妃教育に向かうほど、ファリンは忙しい身の上だ。王宮から遅くに帰って、屋敷でレクシア宛ての手紙を書いて、家族との時間もろくに取れていなかったのではないだろうか。それこそ睡眠時間を削るほどに、無理をしていたのではないかと、今日のファリンを見れば自然とそう思えてくる。そんなことを考えながら、レクシアは夜遅くまでかけてノートを写し終えた。
ベッドに入って眠りに落ちる前にふと思う。幸いなことに後遺症は何も残らなかった。でもレクシアはほんの、ほんの少しだけ、夜が苦手なままだ。