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最終話

 すっかり暑さが増してきたある休日、レクシアは寮の自室でそわそわと迎えを待っていた。レクシアが待つのは、ラフロスト侯爵家の馬車だ。レクシアはこれから、ラフロスト侯爵家の屋敷に向かうことになっている。


 約束していた時間になり、レクシアはルダに見送られて寮の自室を出た。寮の門の前まで行けば、愛しい人がそこにいる。レクシアはイグザの姿を見つけると、自然と微笑んでしまう。


「おはよう、イグザ」

「おはよう。レクシアは今日も素敵だね」


 その一言がレクシアはこんなにも嬉しい。


 レクシアとイグザを乗せた馬車は寮を出発した後、貴族の屋敷街を抜けて行く。大抵の貴族は王都のここに屋敷を持つのが普通だ。しかし持っていても使わないからという合理的な理由で、キッカラン辺境伯家は王都に屋敷を持っていない。


 馬車の外をもの珍しそうに見るレクシアに、イグザが話しかけた。


「もう少しで夏の長期休暇だね。レクシアはどうするつもりなのかな?」

「どうしようかまだ迷ってる。去年は暑くて辛かったから、今年はキッカラン領に帰ろうとずっと思ってた。けどファリン様たちとの約束があるし、それに、それに……領地に帰るとイグザに会えなくなる」


 レクシアの言葉が嬉しかったようで、イグザはにやにやが抑えきれていない。


「イグザはどうするつもり?」


 イグザが王都に残るのなら、キッカラン領には帰らずこのまま王都で過ごそうかと、レクシアは考えていた。


「レクシアと一緒にキッカラン領にお邪魔するのもいいかもね。実はキッカラン辺境伯に、貴様一度屋敷に来いと言われたんだよ」


 レクシアが怪訝な顔になる。レクシアの知らないうちに、イグザとラボルブの間でそんな話が行われていたことが驚きであり、どう考えても呼び出しだ。間違っても歓迎ではない。


「罠じゃないの?」

「罠ならこちらから罠にかけ返すだけだよ。それに相手の本拠地なら、相手の弱みを探しやすいよね」


 忘れたころに腹黒さを出してこないで欲しいとレクシアは切に思う。


 イグザと話している間に、ラフロスト侯爵家の屋敷に到着した。レクシアがここに来るのは二回目だ。前回は婚約を結ぶ顔合わせのために、両親と共にここを訪れた。イグザにエスコートされて馬車を降り、レクシアは思わず呟いた。


「なんか緊張してきた」

「両親も弟たちも領地にいるから、気を楽にしてね」


 そういうことは早めに言って欲しかった。昨日なかなか寝付けなかったレクシアが、バカらしいではないか。


「もしかして居ない時を狙った?」

「なんのことかな?」


 笑顔で惚けるイグザがキラキラでまぶしくて、レクシアはつい目を逸らした。そのまま屋敷の中に入った途端、使用人たちの目があるにもかかわらず、イグザはレクシアの髪を一房とった。


「今日はレクシアを独り占めしたいよ」


 今日のレクシアはいつもの細い三つ編みではなく、夜蝶祭でイグザにもらった蝶をモチーフにした髪飾りを着けている。心臓がものすごい速さで動き、レクシアは逃げるようにイグザから距離を取った。


「割と普段から独り占めしている気が……?」


 王立学園では隙あらば、イグザはレクシアの元にやってくる。レクシアは嬉しいは嬉しいのだが、目に見えて愛されている感が恥ずかしくてたまらない。イグザはそんなレクシアの反応まで、楽しんでいるようだった。


「ロギア・リオー伯爵令息がフィエ・エントラ子爵令嬢を独り占めしたくなる気持ちも今なら分かるよ」

「それはわたしも思う」


 イグザと出会って初めて知ったこの愛しさは、レクシアにとって宝物だ。


 イグザがレクシアを案内した先は、応接室だった。侍女が手際よくお茶の準備をすませて退室し、部屋の中はレクシアとイグザの二人きりだ。レクシアは正面に座るイグザをしげしげと見つめた。


「何だか今でも信じられない気分」


 あのイグザが婚約者として、レクシアの目の前にいる。


「今だから白状すると、イグザが何か誤解してるのは最初から気付いてた。まさかわたしがロギアを好きだと勘違いしてるとは、全然思わなかったけど。イグザの諜報力があれば、調べればすぐに分かりそうなことなのに、わたしに言われるまで勘違いしたままなんて、次期宰相としてどうなの?」

「痛いところを突いてくるね。でも正常な思考を失ってる時なんて、そんなもんだよ? ファリン様だって、僕にとんでもないからみ方をしてきたよね」

「ファリン様のことを出されると何も言えない」


 洗脳状態に近かったとはいえ、まともな思考をしていたら、婚約者が男色だと吹き込まれても証拠無く信じたりしないだろう。


「誤解して、誤解を放置して、お互い打算しかなくて。ふふふ、冷静に考えれば考える程、変なきっかけ」


 笑顔がこぼれたレクシアにつられて、イグザも微笑みを浮かべた。


「たとえお互いの打算から始まった関係だとしても、今は打算なくレクシアのことが好きだよ。レクシアと夜蝶祭に行けて良かったよ。蝶を一緒に飛ばせて、本当に良かった」


 夜蝶祭のことを言われて、レクシアはイグザに文句を言いたかったことを思い出した。


「そうだイグザ。夜蝶祭で蝶を交換して飛ばすのは、恋人とか婚約者同士の習慣だってファリン様に聞いた。ひどい。だまし討ち」

「あはは、ばれちゃったね。お詫び代わりに、僕の書いた願いを教えておくよ。僕が書いた願いは、レクシアとずっと一緒に居られるように。婚約出来たんだから、願いの一部は叶ったよね。来年以降もこの願いを書いていくつもりだよ」


 イグザは悪びれもせずに、ついでにレクシアに愛を伝えてくる。


 あの蝶に託した願いは、レクシアも似たようなものだった。イグザの名前は書かなかったが、あの願いは間違いなくイグザとのことだった。


「わたしの願いは絶対教えない」

「察しはついてるから、別にいいよ」


 イグザといると、レクシアはドキドキしてばかりだ。イグザと一緒だと心臓がもたない。最近のレクシアの嬉しい悲鳴だ。情けない声を上げたい衝動を堪えて、レクシアは話題の方向転換を図った。


「そういえばイグザが何か裏で手を回した? 最近陰口が減ったような気がする」


 近頃のレクシアとファリンは、以前より怯えられなくなった。レクシアとしてもファリンはまあ分かるのだ。怖いぐらいの無表情が落ち着き、ファリンの表情は柔らかくなった。決して無慈悲ではなく、あのエルキューザを愛し続けて更正させるほど、愛情深い人なのだともっぱらの評判だ。


 しかしレクシアの場合は、エルキューザを決闘で伸したり、戦わずして父ラボルブを跪かせたりと、はっきり言ってアレなことしかしていない。それなのにレクシアの評判が良くなっているのは、イグザが手を回したからとしかレクシアには思えなかった。


「僕は何もしてないよ」

「本当に?」

「僕がするわけないよ。レクシアの魅力を知ってるのは、僕だけでいいからね。もう僕は当て馬になる気は無いよ。レクシアを誰にも渡したりしない」

「それならどうして?」

「単純に今までのレクシアの評判が悪すぎただけだよ。そういうときは少し見直すようなきっかけがあるだけで、評判が一気に良くなって周りに広がっていくものだよ」

「きっかけならたぶんイグザのおかげ。イグザがわたしを選んだから、わたしのことが見直された」

「それもあるかもしれないけれど、それだけでなくて、きっとレクシアが周りと壁を作らなくなったからだよ。周りと壁を作っていたせいで、レクシアの良い所も周りに伝わっていなかった。それが伝わるようになったってことじゃないかな」


 確かにイグザといるようになってから、レクシアは周囲と関わるようになった。植物園で人助けをしたり、エルキューザに決闘をふっかけたり、ひったくり犯を捕まえたり、色々とあった。


「でもレクシアが強いと明らかになったのは、良くなかったかな。一部の男子学生達が、レクシアとの手合わせを熱望していて、それを抑え込むのが大変で大変で、そろそろ限界がきそうなんだよね」

「え!? そうなの? 全然知らなかった」

「知られないようにしてたからね。ということで、レクシア、絶対に手合せは受けたらだめだよ?」

「分かった」


 どうやらイグザでも手に負えなくなってきたので、レクシアに教えて手合せを阻止することにしたらしい。


「僕ができないことを、他の男がレクシアとやるなんて絶対に許せないよ」

「それなら一回やってみる?」

「情けない姿しか見せられないだろうから、遠慮しておくね」

「どんな姿を見ても、わたしはイグザにがっかりしたりしない」


 イグザの目が細められた。何かを考え込むような時間が流れていく。イグザにじっと見つめられて、レクシアはだんだん嫌な予感がしてきた。


「ねえレクシア、そろそろ僕もレクシアの気持ちが聞きたいよ?」


 急に何を言ってるんだイグザはと、レクシアは今までの行動を思い返した。思い返せばレクシアは、確かに言っていない。


 イグザはじっとレクシアを見つめ続けてくる。イグザが求めているのはきっとあれだ。レクシアは腹を括るしかなかった。


「……うぅ……えっと……イグザのことは…………たぶん……好き……?」


 絞り出したレクシアの返事はたぶんがつく上に、疑問形だった。たぶんではないことぐらい、レクシアも分かっている。でも断言することは、レクシアには無理だった。


 なんとも要領を得ないレクシアの告白でも、イグザは何故か上機嫌だ。


「レクシア、そっちに行ってもいいかな?」


 レクシアが返事する前に、イグザは向かい側のソファからレクシアの隣に移動した。レクシアに拒否権は無いらしい。


「たぶんでもいいよ。レクシアに好きと言ってもらえるだけで僕は嬉しいからね」


 イグザが人を畏怖させる真紅の髪に触れた。イグザは一房とったレクシアの髪に口づけをした。髪に神経が通っていたかのように、レクシアの鼓動が早くなる。


 間近なイグザを直視できなくて、レクシアは現実逃避に走った。


「チョコミントアイス食べたい」

「今度またあのお店に行こうか。次は婚約者としてデートしよう」

「しばらくお預けか」


 こんな風にいつまでも逃げてばかりでは駄目だ。ちゃんとイグザが分かるように、レクシアだってこの思いをイグザに伝えたい。レクシアは覚悟を決めた。


「じゃあ今は貴方で我慢する」


 レクシアはおずおずとイグザに近づいた。そしてレクシアの唇がそっと、イグザの頬に触れた。


「なんてね」


 付け足した一言は、レクシアなりの照れ隠しだ。


 レクシアは言葉で示せないなら、行動で示せないかと考えた。行動で示すにしても、頬が限界だったわけだが。行動で示しても、恥ずかしさは全く変わらなかったわけだが。


 頬を赤らめて下を向くレクシアを見て、イグザが言葉を失った。レクシアはその沈黙に耐えられず顔を上げた。


「お願い、黙ってないで何か言って」

「行動で示せば恥ずかしさがマシかと思ったんだよね? レクシアがかわいすぎるよ。あからさまな照れ隠しに、好きにたぶんをつけたり疑問形にするところも」


 藪を突いたら蛇が出た。


「全部ばれてる!? 待ってやめて。分かっていても、堂々とわたしの前で言わないで。恥ずかしすぎる」


 レクシアは顔を覆って悶えた。


「恥ずかしがるレクシアが堪らない。もっとよく見せてよ」

「だからそんなに見ないで」


 ぐいぐいくるイグザとたじたじなレクシアの二人だけの時間は、甘くゆったり流れて行く。


 今年の夏は去年よりもずっと熱くなりそうだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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