47話
最近よくここに来るなぁ。治療魔法学の授業が終わってすぐ、イグザと共に訓練場前まで来たレクシアの感想だ。
訓練場の外に人影はまばらで、多くの学生がまだ訓練場の中にいるようだった。北方の辺境を治めるキッカラン辺境伯は、泣く子も黙るほどに怖い。だが武芸を極める一部にとって、ラボルブは憧れの的でもあるのだ。
レクシアは迷いなく訓練場の中に入り、ラボルブの姿を探す。ラボルブはすり鉢状になった訓練場の真ん中で、体術の授業を受け持っている教師と話していた。レクシアは相手方の都合を気にせず歩み寄り、一年数か月ぶりにラボルブに話しかけた。
「父上、久しぶり」
「おお! 会いたかったぞレクシア、後で会いに行こうと思っておったのだ」
ラボルブはレクシアの隣にいるイグザのことが、目に入っていないようだった。あるいは何かを感じて、無意識のうちに視界に入れたくなかったのか。そのイグザは魔法でラボルブ達の声を訓練場全体に拡散中だ。ここにいるすべての学生を、これから証人にするために。
「去年は一度も帰って来なかったのだから、今年は帰ってこい。寂しくて寂しくて、レクシアが帰って来ない苛立ちを、王太子殿下にぶつけてしまったではないか」
レクシア達の話が聞こえているだろう学生の間で、何やってんのという空気が漂う。学生達にこちらへ興味を抱かせる掴みとしては、悪くないはずだ。
「レクシア~、会いたかったぞ」
感極まって抱きしめようと近づいてきたラボルブを、レクシアはそっと避けた。続けてレクシアはイグザの背に隠れた。中々に恥ずかしいことをしているが、これも作戦の内だ。
「父上紹介するね、わたしの恋人のイグザ」
レクシアが唐突にぶっこんだ。訓練場一帯に恋人宣言していることになるが、背に腹は代えられない。
「僕はイグザ・ラフロストと申します。レクシアとは親密な付き合いをさせてもらってます」
イグザもラボルブを煽っていく。普段から呼び捨てではあるのだが、今イグザがラボルブ相手に、レクシアを呼び捨てにしたのはわざとだ。親密な付き合いと意味深な言葉もわざわざ選んだ。
何やらただならぬ空気が漂い始め、帰ろうとしていた学生は次々に野次馬と化していく。人間は他人の色恋沙汰がどうにも気になる生き物だ。それが学園一の人気を誇るイグザの話ならなおさらだった。
ここまでレクシアとイグザの作戦は順調に進んでいる。
「レクシア! 何を言っておるのだ!」
取り乱したラボルブが声を荒げた。ラボルブに見せつけるように、レクシアがイグザの腕を抱く。レクシアがお手本にしているのは、祭りの日のベクルールとアルミエだった。まさかこんなところで役に立つとは。
「レクシア、こんな人前で大胆なことをしたら駄目だよ。そういうのは二人きりの時にね」
「もしかして怒った?」
「可愛いレクシアに怒ることなんてないよ。その赤く染まった頬に、僕が触れたくなって困るんだ。後で責任とってくれるよね」
「イグザ」
恥ずかしさが限界突破しそうになっているが、レクシア頑張る。照れたら今までの流れが水の泡だ。苦労の甲斐あってか、レクシアとイグザのやり取りを見て、ラボルブはますます取り乱した。
「レクシア、俺は認めんぞ。いいから離れるのだ!」
「絶対に嫌」
レクシアにはどうしてもイグザから、離れるわけにはいかない理由があった。もしもレクシアが離れたら、イグザが倒れてしまう。イグザの胃痛を抑える為に、レクシアは先程から治療魔法をかけ続けていた。レクシアの足元にある魔法陣は、イグザが見えないように消してくれているので、誰にも認識されてはいない。
「だってイグザは、父上より強い」
嘘は言っていない。物理はもちろんラボルブの方が強いが、イグザは魔法ならラボルブに負けない。レクシアは何が強いかは明言していないから、嘘は言っていない。
しかしラボルブは当然武術での話だと考える。ラボルブの顔色が変わった。
「この優男が俺より強いだと?」
「望むところですよ。貴方のような筋肉馬鹿に負ける気はしませんね」
そうは言ったものの、これはもちろんイグザの本心ではない。ラボルブは筋肉馬鹿と言われるのが嫌いというのは、レクシアからの情報だ。ラボルブにとって脳筋は褒め言葉なので、ここを間違えてはいけない。
「ほう、貴様やるようだな」
ラボルブは自信満々なイグザを、只者ではないと考えたようだ。イグザの自信を真に受けて、ラボルブの武人の魂に火が着いた。しかしイグザの自信は、もちろん全てはったりだ。
イグザの運動音痴を知るものからしたら、なかなかに滑稽なことになっているが、何も知らないラボルブは本気だった。
「貴様が俺に勝てれば、レクシアとの仲を認めようではないか」
「つまり決闘ということで?」
本当は全く余裕ないイグザが、余裕ぶってラボルブに確認した。
「ああ決闘だ」
「ここは王立学園なので、学園ルールでよろしいですね?」
「それで構わん」
「では僕が学園ルールの決闘で貴方に勝てれば、レクシアとの婚約を認める。ということでよろしいですか? キッカラン辺境伯ともあろう方が、後で発言をひっくり返すことはありませんよね?」
「男に二言は無い」
ラボルブが認めた。続けてレクシアが、近くでハラハラしていた教師に宣言を求めた。ラボルブが冷静になる前に、事態を進めなければ。
「先生、決闘の宣言をお願いします」
なんで自分が? と教師の顔に書いてある。だがここには他に、当事者しかいないのだから仕方ない。
「ラボルブ・キッカランと、イグザ・ラフロストの決闘をここに認めます」
教師の宣言は訓練場中に響き渡った。
レクシアとエルキューザの決闘がそうであったように、決闘をするなら通常十日前には申請が必要だ。だが今回は特例措置で、翌日に決闘が行われることになった。また学生と部外者の決闘となるので、準備は学園側が全て行ってくれる。
「は~」
イグザの口から深いため息が漏れた。すっかり気の抜けたイグザは、テーブル上に突っ伏している。
ラボルブに喧嘩を売り終わったレクシアとイグザは、図書室の談話室に来ていた。二人で静かに過ごせる場所は、学園内にここしかないのだ。鍵を借りる時に何があったのか話したら、ラコットには大爆笑された。
今のところはレクシア達の計画通りに進んでいる。レクシアは優しく微笑んで、イグザに声をかけた。
「後はわたしに任せて」
イグザは十分頑張ったので、次はレクシアの番だ。いつもより艶が無いチョコレート色の髪を見て、レクシアは決意を新たにした。
レクシアとイグザの婚約をかけた、イグザ・ラフロスト侯爵令息とラボルブ・キッカラン辺境伯の男の決闘は、すぐさま学園中に知れ渡ることになった。
決闘の話を聞いた大多数が思ったことがある。あの衝撃的な運動音痴が、キッカラン辺境伯相手に決闘なんかどうすんのと。
イグザの身を案じたチョコミントの会の面々は、イグザの無事を願い祈祷する派と、ラボルブがうっかり腹痛に襲われないかと祈祷する派に分かれた。魔法ではないので効果は定かではないが、彼女達は祈るしかできなかった。
学園の教師陣は立て続けの決闘騒ぎに頭を痛めていた。レクシアとエルキューザの決闘の時点で、数十年ぶりの学園内での決闘だった。そこから数ヶ月の内に再び決闘案件だ。しかもどちらにもレクシアが関係している。やはりキッカラン家は要注意だという思いを胸に、決闘の準備は粛々と進められた。
決闘の件は学園から国王へと伝えられ、国王は二度聞き返した後に天井を仰いだ。偶然報告の場に居合わせたエルキューザは、お手本のような二度見をした。エルキューザはこの時点で、イグザ達の決闘のことを初めて知ったのだ。友人なのだから相談くらいしてくれても良いではないか。水くさいではないかと、エルキューザは少し拗ねた。
ラボルブは学園滞在中、学園内の来客用宿泊施設で過ごすことになっている。部屋でじっとしていられなかったラボルブは、苛立ちと荒ぶりに身を任せて外で剣を振っていた。可愛いレクシアを嫁に出すなど言語道断。百歩譲って結婚を許すにしても、あんな優男では話にならない。どんなにイグザの腕が立とうと、ラボルブは明日負けるわけにはいかないのだ。
イグザとレクシアはわりとすんなり眠りについた。レクシアとイグザの場合は、前日の方がなかなか眠れなかった。作戦は九割方終わっている。たぶん、きっと、大丈夫。
それぞれの思いを胸に、それぞれの夜は更けて行く。