45話
朝の通学路を一歩踏み出す度に、レクシアの三つ編みが揺れる。以前まではただ髪紐で結ぶだけだった三つ編みには、リボンが編み込まれていた。夜蝶祭でイグザにもらった、あのリボンだ。
「学園の特別講師として、来週父が来る」
「随分急展開だね?」
「わたしも昨日思った」
レクシアとイグザは再び朝から一緒に通学している。一緒の通学がたった数日振りでも、レクシアは嬉しくて仕方なかった。イグザを好きだと自覚した今のレクシアには、この幸せさがよく分かる。
昨日の帰り道に話し合いが行われ、今のレクシアとイグザの関係は恋人同士ということになった。イグザが婚約は絶対するから婚約者(仮)と言い張り、レクシアはまだ婚約者ではないとそれに反論し、それなら恋人だとレクシアはイグザに押し切られた形だ。
「ねえ、これ意味ある?」
自身の手を見ながら、レクシアはイグザに問いかけた。
「僕とレクシアの仲の良さを周りに見せつけるためだよ。本当は手をつなぎたいんだよ? でもレクシアが駄目って言うからね」
そうだった。お互いの妥協点がここだったことを、レクシアは思い出した。
今レクシアは右手でハンカチの端を持っており、そのハンカチの反対側をイグザが左手で持っている。ハンカチを経由して、手をつないでいるような状況だ。
あの二人は何をやっているのかと、通りかかった人々の好奇の視線がレクシア達に刺さりまくっている。普通に手をつないで刺さる視線とどちらがましだったのか、レクシアには分からない。
レクシアが好奇の視線に耐えつつ校舎入口までたどり着くと、フィエがひょっこり視界に現れた。
「レクシアだ! おはよう!」
「フィエ、おはよう」
レクシアはハンカチを掴んでいた手を離した。さすがに掴んだままでいるわけにはいかない。イグザが非常に残念そうだが、レクシアは知らないふりをした。
「レクシアのことなんか全然心配してなかったんだからね。本当に、本当なんだからね」
「うん、心配かけてごめん。仲直りしたからもう大丈夫」
フィエがレクシアとイグザを見比べた。
「やっぱり二人はそういう関係?」
「そうだよ。レクシアは僕の恋人だね」
「レクシア、ほんとに?」
昨日のことがあったので、フィエはイグザを信用できなかったようだ。フィエが自分のことを気にかけてくれていることが、レクシアは嬉しかった。
「うん、本当に」
心からの笑顔のレクシアを見て、フィエは納得したようだった。
「レクシアが幸せなら、フィエも嬉しいとかそんなことないんだからね。チョコミントの君だろうとなんだろうと、今度レクシアを不幸にしたら絶対許さないんだからね!」
「フィエ、待て」
フィエがイグザに指を指して言い逃げし、ロギアはフィエを追いかけて行った。レクシアとフィエが朝の挨拶していた時から、実はこの場にいたロギアだった。
残されたレクシアとイグザは、互いに顔を見合わせた。
「フィエ・エントラ子爵令嬢にも釘を刺されちゃったね。二度とレクシアを悲しませないと約束するよ」
レクシアにイグザの甘い微笑が向けられる。顔が熱くなったレクシアは、思わず明後日の方向を見た。レクシアと視線が合いそうになった女子学生が、慌てて視線を逸らす。
「あれ?」
強烈な違和感がレクシアを襲った。
「どうかした?」
「何でもない」
今までイグザといるレクシアに刺さる視線は、恨みつらみがこもったものばかりだった。それが今日は暖かく見守られているような? いやそんなわけはない。レクシアの思い違いだろう。
「そうだ。昼休みにファリン様たちのところに行こう。心配させたし報告はしないといけない」
「そうだよね。避けては通れないよね」
イグザは心底嫌そうだった。何か言われるのが、目に見えているからだろう。
かくして訪れた昼休み。
「昨日はご迷惑をお掛けしました。あとありがとうございました」
昼休みで一緒に居たエルキューザとファリンの元に、レクシアとイグザは揃って謝りに来ていた。謝罪と感謝の言葉と共に、レクシアは深々と頭を下げた。レクシアに合わせて、イグザも頭を下げた。
仲直りのきっかけをくれたエルキューザとファリンに、レクシアは感謝してもしきれない。
「気にしなくていいから、早く頭を上げて。それでどういうことだったのか、全貌は聞かせてもらえるのかしら?」
「俺もすごく気になるぞ」
ファリンもエルキューザも興味津々で、好奇心を抑えられていない。ただ、あんな迷惑をかけておいて、言わないわけにはいかないだろう。レクシアが口を開きかけて。
「レクシア、いいよ。僕が話すよ」
イグザが制止した。イグザの奇想天外な思考をレクシアが話すのは、若干荷が重いと思っていたので助かった。イグザが語る内容を聞いて、レクシアは改めて自分達は何をやっていたのかという思いに駆られる。
「お前は馬鹿なのか? 俺でも行動がおかしいと分かるぞ」
イグザの話を聞き終わったエルキューザの第一声がそれだった。
「当て馬の話を出されて悲しい思いを受け止めきれずに、その場を逃げたのは男として最低だわ。そこで我慢してレクシアさんと話していれば、レクシアさんが悲しむことはなかったわよね。こじれずにハッピーエンドで終わっていたのではなくて? そもそも好きだと気付いた時点で、さっさとレクシアさんに話しておけばよかったのよ。自分のことを優先して好きな相手を悲しませるのは、男として最低だわ」
ファリンのダメ出しが痛烈だ。『男として最低』が二度も出た。
「イグザはもっと俺達に感謝するべきだ」
「ええ殿下、私もそう思いますわ」
話を聞き終わってからずっと、エルキューザとファリンは二人揃って半目だ。やはりイグザの行動は突っ込みどころ満載だったらしい。
「改めまして心よりの感謝を申し上げます。また申し訳ありませんでした」
二人の要求に応えて、畏まったイグザが素直に謝った。
「ふっ、謝ったイグザには、いいことを教えてやろう。レクシアは決して怒らせるべきではないぞ」
イグザの謝罪に気を良くしたらしく、エルキューザが余計なことを言い出した。エルキューザはキッカラン領で、何か聞いたのかもしれない。だがエルキューザはそれ以上何か言う気はないようなので、まあいいかとレクシアは思うことにした。
「殿下がわたし達のために動いてくれるとは、思ってもみませんでした」
「ファリンとやり直すきっかけをくれたのはレクシアなのだから、当然のことをしたまでだ」
「やり直すではありません」
「そうだった。始まっていなかったものを始めるのだったな」
二人にしか分からない話で、ファリンとエルキューザは自分達の世界に入ってしまった。どうしよう。レクシアがイグザの方をちらっと見ると、イグザの咳払いでファリンとエルキューザは、こちらの世界に戻って来てくれた。
「イグザとレクシアはろくに話していないようだったから、ちゃんと二人で話さないと駄目だと思ってな。話し合うことは大事だぞ。分かりあうことへの第一歩であり――」
このままだとまた長くなりそうだ。なのでレクシアは気になっていたことを、エルキューザに尋ねた。
「それよりも殿下、昨日の話を詳しく聞きたいです。イグザを捕まえるのに苦労した件です」
昨日のイグザはエルキューザとファリンによって両側を固められ、連行されてきたとしか言えない有様だった。何がどうしてそうなるに至ったのか、レクシアが気にならないはずがない。
「ああ、聞きたいのなら話そう。イグザの得意魔法の一つは隠姿魔法だ。それを使われたら、俺にはどうしようもない。俺だけの力でイグザを捕まえるのは不可能だ。だが俺にはファリンがいる」
「エル様」
ファリンが顔を微かに赤らめた。最近のエルキューザとファリンは、隙あれば惚気てくる。ファリンが私的な時はエルキューザをエル様と呼んでいるなんて、いくら友人といえどもレクシアにはいらん情報だ。
「イグザが姿を消すならば、ファリンの探知魔法の出番だ。だがファリンが広域で探知魔法を発動させている時、自由に動き回ることはできない。だからファリンが探知魔法でイグザの場所を把握、俺がイグザの確保に動く。連携プレイというやつだな」
その後エルキューザが次々と挙げていった場所から考えて、イグザとエルキューザは校舎内を縦横無尽に駆け巡ったようだ。レクシアが今思えば、連れて来られたイグザの制服は汚れていた。逃げる間にイグザは何度か滑るか、転ぶかしたのだろう。絶対に一回ではなかったはずだと、レクシアは確信をもって思う。
「最終的にファリンの張った罠に追い込み、無事確保してジエンドだ」
「わたしがゆっくりフィエ達と食事している間に、そんな大捕り物が」
レクシアの申し訳なさがどんどん増していく。
「力を合わせての共同作業が楽しかったから、レクシアさんは気になさらないで」
微笑むファリンは以前よりずっと表情豊かだ。そこから一緒の目標に向かってのうんたらかんたらと、エルキューザの長い語りが始まり、それにファリンが相槌を打つ。
ああ、空気がだだ甘い。話が無駄に長く、話半分になり始めたレクシアに、急に話が振られた。
「二人とも婚約者はいないのだし、このまま婚約ということでいいのかしら?」
普通に考えればそうなるのだろう。だがレクシア達の場合は普通ではないのだ。レクシアは歯切れ悪く返事した。
「いやそれが……そうもいかなくて……」
「あ~」
レクシアの父と会ったことがあるエルキューザは、レクシアが何を言わんとしているのか、すぐに分かったようだった。
「でも反対されても、どうにかして認めさせるつもりでいます」
レクシアなりの決意表明だ。ねえイグザと、レクシアがイグザに視線を送る。レクシアと目が合ったイグザは、にこっと笑った。
「レクシア、共同作業はやっぱり楽しいものみたいだね。僕たちも放課後一緒に考えようね!」
「ええ?」
途中から黙っていたイグザは、ファリンとエルキューザの共同作業に、謎の対抗意識を燃やしていたらしい。レクシアはだいぶ反応に困った。