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39話

 翌日の朝、女子寮の門の前にラフロスト侯爵家の馬車は無かった。もともと一緒に通学していたのは、イグザがレクシアを待っていたからだ。特別約束をしていたわけではない。


 寮から教室まで一人で向かうレクシアに、容赦ない陰口が浴びせられた。


「やっぱり一瞬の気の迷いね」

「弱みを握って脅してたらしいわよ? 怖いわ」

「殿下のことも力でねじ伏せて、本当に化け物」

「化け物よりも悪魔よね」


 レクシアに聞こえるように、わざと大きな声で話しているのだろう。彼女達はキッカラン家やレクシアの怖さがどうでも良くなるぐらい、イグザがレクシアの傍から離れたことが嬉しいらしい。


 今まで全く気にならなかった陰口が今はとても心に堪え、レクシアは自然と足早になっていた。


 昨日一睡もできなかったレクシアの目の下には、痛々しく酷い隈がある。化粧では隠しきれない程のものだ。教室に入ってきたレクシアの酷い隈を見たファリンは、明らかに動揺していた。


 レクシアはつい考えに沈んでいく。


 一方的に絡んできて、当て馬になると宣言して、急にレクシアの前に姿を見せなくなって。レクシアはイグザに完全に振り回されている。イグザは自分勝手だ。自分勝手すぎると、レクシアはイグザに怒っているはずだった。


 でもよくよく考えてみれば、レクシアも人のことは言えない。イグザが勘違いしていると最初から分かっていたのに、打算で放置した。打算だって自分勝手な行動だ。イグザと過ごす時間を、レクシアはいつも楽しんでいた。楽しかったから、楽しかった分、レクシアの胸は今締め付けられている。


 何もかも後の祭りだ。実際に祭りの翌日なのだから、ますます笑えない。


 レクシアが上の空なうちに、午前の授業は全て終わっていた。一度も教師に指されることが無かったのは、不幸中の幸いだ。


 昼休みになっても、レクシアの食欲は湧いてこなかった。だがろくに眠れていない上に、食事もとらないのでは午後がもたない。レクシアは気がそぞろなまま、カフェテリアに向かった。


 ここしばらくのレクシアは、いつもイグザと二人で昼食を食べていた。イグザがいなければ、今日の昼食は一人ぼっちだ。レクシアは失ってみて初めて、二人でのランチタイムを毎日楽しみにしていたことを思い知った。


 その落差からか、今のレクシアにとって一人ご飯はとても寂しいものだった。一昨日までの楽しかった時間を、レクシアは自然と思い返していた。


 最初の頃のレクシアはイグザに対して、ただ目の保養になるとしか思っていなかった。それがいつから眼福だとか、目の保養だと思わなくなった? いつのまにかレクシアは、純粋にイグザと共に過ごすことを楽しんでいた。


 イグザと一緒に居るだけで楽しくて嬉しくて、他の女性がイグザの近くにいるのはどうしても嫌で。レクシアが胸に抱いた思いは、人生初めてのものだ。幸福や妬みが複雑に混ざり合ったレクシアの感情を、無理やり一言で表すのなら、『イグザを独り占めしたい』だった。


 これはまるでフィエを愛するロギア……? ああそうか。レクシアはようやく、自分の中にある単純でない思いの正体に気付いた。


 これは恋だ。


 レクシアはイグザに恋していた。確かにイグザの顔は元からレクシア好みだった。でも今のレクシアはそれ以上に、イグザの何もかもが好きだ。狂おしいほどに愛しい。


 こんなことになるなら、歪んだ関係でも続けるべきだった? あの時あんなことを言うべきではなかった? イグザを好きになったのは間違いだった? 


 レクシアが何も言わなければ、イグザは今日も朝から傍にいてくれたかもしれない。自分の思いに気付いたレクシアは、ますます胸が苦しくなった。


 カフェテリアまで来たのはいいが、レクシアはどうしても一人で昼食を食べたくなかった。以前までは一人でも平気で食べていたのに、今日は無理だ。トレーを運ぶレクシアの足は、自然とある場所に向かっていた。


「殿下、ファリン様、今日はご一緒してもよろしいでしょうか?」


 トレーを持ったレクシアがやって来たのは、ファリンとエルキューザがいる場所だった。


「レクシアさん、やっぱりお一人なの?」

「イグザはどこにいった!?」


 何かを察していたファリンと、衝撃を受けるエルキューザ。


「昨日色々ありまして、朝から避けられてます」

「あのイグザが!? レクシアを避けるだと!?」


 驚き過ぎてエルキューザが立ち上がり、椅子が勢いよく後ろに倒れていった。


「そこまで驚くことですか?」

「俺にとってはそこまでのことだ。イグザを見かけたら何か伝えるか?」


 気を取り直してエルキューザが椅子に座り直し、レクシアは空いていた席に腰かけた。


「いいえ、いいです。何を言うべきかわたしには分かりません」


 イグザと話さないといけないのは確実だ。でもイグザにかける言葉が、レクシアには見つけられない。


 このまま何もしなければ、レクシアとイグザはすれ違ったままだろう。レクシアの気持ちはどんどん落ちていく。いつもは美味しい食事の味も今日は分からない。


 そんなレクシアを見て、エルキューザとファリンがそっと目配せして頷き合ったことに、下を向いていたレクシアは全く気付かなかった。


 翌日も朝からレクシアは一人ぼっちだった。やはりイグザの姿はどこにも見当たらない。授業の合間に隣のクラスに行けば会えるかもしれないが、レクシアは拒絶されるのが怖くて実行には移せなかった。


 そうこうするうちに、あっという間に昼休みだ。


 レクシアはこれからどうしようかと考えた。ファリンとエルキューザの所に行く気は起きなかった。昨日はいらぬ心配をかけてしまった。その上今日も心配をかけてしまっては、レクシアが自分を許せなくなってしまう。なにより二人には、二人の時間を大切にしてもらいたい。


 そうだ、久しぶりにフィエとロギアと一緒に食べようと、レクシアは急に閃いた。一年生だった時、レクシアはよくフィエとロギアと一緒に昼食を食べていたが、二年生になってからはまだ一度も食べていない。


 二人きりの邪魔をすると、ロギアに睨まれそうではある。でもロギアが毎日フィエを独り占めするのはずるいし、たまにはいいだろうと、レクシアは開き直った。フィエに会えたら、レクシアはきっと元気になれる。


 自分の教室を出たレクシアが、フィエとロギアがいる教室まで行くと、簡単に二人を見つけることができた。


「フィエ、ロギア、今日のお昼一緒に食べていい?」

「レクシアがそこまでお願いするなら、邪魔だけれど仕方なく一緒に食べてあげる。久しぶりにレクシアと一緒に食べたって、フィエは全然嬉しくないんだからね」


 ツンデレな応対で、フィエが歓迎してくれた一方で。


「フィエがそう言うなら」


 フィエと二人きりになれなくて、ロギアは目に見えて不機嫌だ。レクシアは心の中でロギアに謝っておいた。


 レクシアとフィエで取り留めのないことを話しながら、幼馴染三人でカフェテリアに向かう。ロギアが何も話していないのは、不機嫌だからではない。単に元から無口なだけだ。フィエとロギアが二人だけの時はどう過ごしているのか、レクシアは常々疑問に思っていたりする。


 カフェテリアに向かう間も、レクシアの視界にイグザの姿が入ることは無かった。


 レクシアとロギアはカフェテリアで何を頼むかすぐに決まったが、フィエはメニューを見て大いに悩んでいる。その間にレクシアは、ロギアに改めて謝っておくことにした。


「邪魔してごめん」

「フィエが喜んでいるから、別にいい」

「フィエも決まったんだからね!」


 悩んでいたフィエは何を頼むか、ようやく決まったようだ。カウンターでそれぞれ頼んだものを受け取り、三人はカフェテリア中央付近の空いていた席に座った。


 元気を出そうと、レクシアが今日頼んだのはがっつりステーキだ。レクシアは一口大に切ったステーキを口に運ぶ。肉は裏切らずに美味しい。この世で本当に信じられるものは、お肉だけなのかもしれない。


「レクシアは本当にお肉が好きだよね」

「キッカラン辺境伯家では、身体を作るためだと毎日毎日肉料理ばかりが出るらしい。そのせいじゃないか?」

「そうなの? 全然知らなかったし。仲間外れで拗ねてるとかじゃないんだからね」


 先程とは違い、会話にはロギアも混ざっている。最近身近で起きた事や家族の話、こうして三人でゆっくり話せるのは久しぶりだ。楽しそうなフィエを見ているうちに、ロギアの機嫌は直ったらしい。


「それで何があったんだ?」


 ロギアに突っ込まれるほどなのかと、レクシアは苦笑いが出そうになる。レクシアは食べ終わった口元を拭くふりをして、そっと苦笑いを隠した。


「レクシアが元気か元気じゃないかなんて、フィエにはどうでもいいことだけど、レクシアが話したいなら、聞いてあげないこともないんだからね」

「何でもない。心配してくれてありがとう」

「嘘だあ。絶対チョコミントの君となんかあったし。いくらイケメンでも、レクシアを悲しませる人は大嫌いなんだからね」


 自分のためにぷんすこと怒ってくれるフィエの言葉が、レクシアはとても嬉しかった。ロギアがフィエのイケメン発言に動揺して飲み物をこぼしたが、気にしないでおく。


「フィエのおかげで元気になったからもう平気。久しぶりに一緒に昼食食べれたからかな」


 フィエとロギアのおかげで、憂鬱だったレクシアの気持ちはだいぶ持ち直していた。


 大丈夫、昨日より味が分かるし、今日はステーキが美味しく感じられた。イグザのことは、長かった夢が覚めただけだ。青春の一ページだったと笑い飛ばせる日がきっと来るはずだ。いつか時間が癒してくれる。


 レクシアが余韻のような感傷的な気分に浸っていると、カフェテリアがざわつき始めた。なんかざわついてるな程度にしか、この時のレクシアは思っていなかった。

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