29話
そして訪れた魔法特訓の日、一旦寮に帰ったレクシアは、イグザが迎えに来るのを待っていた。ラフロスト侯爵家の馬車が寮の門を訪れ、レクシアはいつものように歩くつもりだったのだが。
「レクシア、乗って」
「あれ? 今日は馬車?」
「暗い中でレクシアを歩かせるわけにはいかないよ」
「じゃあ、お願いします」
レクシアが乗り込んだ馬車の中は、もちろんイグザと二人きりだ。昼ならまだしも、人目があまりない夜には、あまり褒められた行動ではないかもしれない。レクシアはそんな考えを頭の隅に追いやって、正面に座るイグザの方を見た。
「馬車は乗り慣れないから変な感じ」
「今まで移動はどうしてたのかな?」
「実家では自分で馬に乗ってた。王都に来るのはソラクジラ便だったし」
「実は僕馬も乗れないんだよね」
「そっか」
「反応薄いね。もっと呆れられるかと思ってたよ」
「割と予想の範囲内だったから」
他愛も無い話をしている間に、馬車は学園の正門に到着していた。
馬車を降りた二人は、夜の学園へと足を踏み入れた。普段授業を受けている校舎は真っ暗な一方で、研究棟として使われている校舎には、明かりのついた部屋がいくつもあった。明かりがついている部屋では、今も誰かが研究に没頭しているのだろう。
レクシアは初めて訪れた夜の学園にわくわくした。レクシア独りで来ても、ここまでわくわくはしなかったはずだ。傍にイグザがいてくれるから、レクシアはこう思えるのだ。
校舎の脇を通り抜け、奥まった場所にある訓練場を目指した。レクシアとイグザが訓練場に着いた時には、既にラコットが二人を入り口で待ち構えていた。
「ラコットさん、忙しい中ありがとう」
「よろしくお願いしますね」
レクシアがラコットに頭を下げ、イグザもそれに合わせて頭を下げた。
「気にしはらんでええよ。ほな中入ろか」
ラコットがカギを取り出し、訓練場の扉を開いた。訓練場といえば、レクシアとエルキューザが決闘した場所だ。その時はこうして、イグザと一緒にこの場に来ることになるなんて、レクシアは思いもしなかった。
訓練場の中に入ったラコットは、隅に設置された休憩用のベンチへと一目散に向かい腰を下ろした。
「怪我しいひんよう程々になぁ」
ひらひらと手を振ってから、ラコットは持参した本を読みだした。明かり用の光の球がふわふわとラコットの横で漂っている。監督役といえども終始見ている必要は無く、この場に居てくれるという事実が大事なのだ。
ラコットから十分距離を取って、レクシアの魔法特訓がついに始まった。
「レクシアの実力を知りたいから、とりあえず火球を出してみて」
「何が起きても驚かないでほしい」
「心の準備はできてるよ」
イグザの顔は神妙だ。そこまで神妙な表情をされると、レクシアは若干凹むのだが。
イグザには距離を取ってもらい、レクシアは一度深呼吸をしてから、自身の魔力に働きかけた。いつもに増して制御が荒い中、レクシアの頭で急にあの夜が蘇った。ファリンの禁呪魔法を受けた翌日のあの夜だ。そのまま魔力の制御は一気に乱れて、レクシアの手に負えなくなり……。
ドーン!! 大爆発だった。
いつもニコニコしているイグザが、顎が外れそうなほどに呆気にとられている。レクシアが見たことない表情だ。いや、それはどうでも良くて。
「危ない!」
イグザがいる方に爆発で飛んだ石が向かっていた。レクシアが叫ぶと同時に、イグザは飛んでくる石に気付き避けようとした。ところが、イグザは誰からどう見ても足をひねり、飛んできた石がイグザに直撃した。
呆然とするレクシアを、痛みが現実に引き戻した。レクシアは先程の爆発で肋骨を二本ほどと、上腕骨をやってしまったようだ。すぐに自分の治療魔法を使って、骨折を無かったことにする。すぐに治せるなら、それはレクシアにとって無傷と同じだ。
レクシアはイグザの元まで急いで駆け寄り、地面に倒れたイグザを上から覗き込んだ。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
その言葉はきっと嘘だ。薄暗いなかでもイグザの顔色が悪いのは明白で、石が当たった額からは絶賛出血中だった。
「あの時よくファリン様の魔法避けれたね」
「あれは自分でもよく避けれたと思うよね」
起き上がろうとしたイグザは、痛みで顔をしかめた。
「これはたぶん折れてるね。今治すから」
どうやらイグザはさっきので、足の骨を折ったらしい。飛んでくる石を避けようとして、足をひねって骨折し、おまけに石は避け損ねる。何も言うまい。元はといえば、爆発を起こしたレクシアが悪い。
「ううん、わたしが治す。わざわざわたしの特訓に付き合ってもらってるんだから。それでえっと、手を握ってもいい? 独学の方のわたしの治療魔法は触れないと駄目で」
レクシアが言い終わる前に、イグザがレクシアの手を握った。そのままレクシアが手を握り返して、地面に魔法陣が現れる。レクシアによる治療は何事も無く終わった。
レクシアは治療し終わって、離すイグザの手が名残惜しかった。それでもレクシアが手を離そうとしたものの、イグザの方が手を離そうとしてくれない。寝転んだままのイグザは何故か涙目だった。
「まだ痛いんだよね」
「どこが?」
怪我の治療は完了したはずだ。未だに痛みがあるのはどういうことだと焦るレクシアに、イグザから予想外の返事が返ってきた。
「胃が」
「胃? なんで胃?」
レクシアの理解は追いついていない。レクシアの頭の中は、今疑問符で埋め尽くされている。
「説明するとね、僕は昔からストレスが胃痛に直結なんだよ」
「まさか時々顔色が悪くなってた原因って、胃痛?」
レクシアが今まで意識していなかっただけで、イグザは胃の辺りをよく押さえていた気がしなくもない。
「そうだね。今は魔法が爆発して、レクシアが大怪我するかと思ったら、だいぶ胃に」
地面に寝たまま話し続けるわけにもいかず、レクシアとイグザは訓練場の端にあるベンチの方へと移動した。