28話
ある日の放課後、レクシアとイグザは図書室にいた。
談話室での勉強会ではなく、レクシアの図書委員会の当番にイグザが付き合っている。誰も利用者はいない中で、二人は読書に没頭中だ。イグザは経済学の本、かたやレクシアは歴史小説を読んでいた。
レクシアとイグザしかいない図書室では、朝から降りしきる雨の音と、二人がページをめくる音、互いの息遣いだけが聞こえてくる。司書ラコットは用事のため席を外している最中だった。
穏やかな時間が過ぎていく。
当て馬だと言われたことをレクシアは最近忘れがちだ。人目のあるなしに関わらず、レクシアとイグザはよく一緒の時間を過ごしている。
「何?」
ふと視線に気付いたレクシアが、イグザに声をかけた。
「邪魔してごめんね。本に集中できなくて」
そう言うイグザは既に本を閉じていた。頭が良いイグザのことだ。本の内容がつまらないからだとか、そんな理由ではないだろう。ちょうどキリが良いところだったので、レクシアはしおりを挟んでから読んでいた本を閉じた。
雨の音だけが聞こえる。何をするでもない時間、会話が無い時間でもレクシアは苦ではなかった。
「そろそろ試験だね。また一緒に勉強会しようか?」
「してくれるなら助かる」
イグザがいてくれれば、レクシアはいつもより少し上の順位も狙えそうだ。再び会話は途切れ、ざあざあと外の雨は降り続いている。
「まだ話してもいいかな?」
「どうして聞くの?」
「ただ僕がレクシアと話したいだけだからだよ」
その時図書室の扉が開いた。図書室に入ってきた女子学生はきょろきょろと誰かを探すそぶりをし、レクシアとイグザの元に近付いてきた。彼女はイグザに用があるのだと、レクシアは思っていた。
「あ、あ、あの、レクシア・キッカラン辺境伯令嬢!」
「え、わたし?」
思いがけずに聞き返していた。レクシアが誰かに声をかけられるのはとても珍しく、動揺したレクシアは膝の上に乗せていた本を落とした。
「ひい! ごめんなさい!」
声をかけてきた女子学生は完全に怯えていた。ああやはりそうなるか。こちらの方がレクシアとしては慣れた反応だ。このまま女子学生には逃げ帰られるかと、レクシアは思っていた。でもここにはイグザもいた。
「落ち着いて。レクシアはこんなことで怒るような人ではないよ。そうだよね、レクシア?」
イグザに問いかけられて、レクシアはこくこくと頷く。
「それでわたしに何か用ですか?」
「せ、先日は植物園で助けていただき、ありがとうございました! ちゃんとお礼を言えてなかったから、ずっと言いたかったんです」
レクシアの記憶は曖昧だが言われてみれば、彼女は魔法薬学の教室で見た顔かもしれない。
「どういたしまして」
レクシアの頬は自然と緩んでいた。そんなレクシアを見て一瞬ぽかんとした後、それまで怯えていた女子学生にも笑顔が浮かんだ。
「図書委員会に入ってる友達が、怖い人じゃないから大丈夫だって言ってたんです。本当でした。勇気を出して良かったです。本当にありがとうございました」
女子学生はもう一度頭を下げてから、図書室を出て行った。
「お礼を言われるとこんなに嬉しいんだ。そっか、怖がられてるだけじゃなかったんだ」
レクシアはニヤニヤが止められない。そんなレクシアの様子を見て、イグザが目を細めた。
「良かったね、レクシア」
レクシアの好きな図書室でイグザの優しい声がする。レクシアにとってどこまでも幸せな時間だった。
それから数日後、朝からイグザと通学するレクシアは、一つ大きな欠伸をした。
「珍しいね、レクシア」
「昨日寝つきが悪かったせい」
「何かあったのかな?」
「何でもない」
心配そうなイグザに、レクシアは何があったかを伝えたくなかった。
療養生活が終わってしばらく経つが、未だにレクシアは夜が苦手なままだ。昨日は特に療養生活中のことが頭から離れなかった。痛くて苦しくて気持ち悪かったことを思い出して、昨夜のレクシアは泣き出しそうだった。
レクシアに明確に拒絶されたイグザは、話題を変えてきた。
「魔法実技の試験はどう?」
「う……無理かも……。去年はお情けだったから、今年もだいぶやばい」
「二年生だと最低二属性は必要だからね。去年よりも難しいよ」
「うん、無駄かもしれないけど練習はするつもり。訓練場で出来るように、施設課で使用許可はもらってる。ただ昼や夕方は他の人も使うから、夜間でしか使用許可が下りなかった。やるなら他の人を巻き込むなってことだと思う」
「それなら僕も特訓に付き合うよ。魔法は得意だからね」
「人気が無い訓練場で、夜間に二人きりはちょっと……」
世間体的にちょっとどころか、問題大有りだ。人目に入る図書室の談話室で、勉強会をしたり二人で過ごすのとはわけが違う。
「一人で特訓しても効果は無いと思うよ。一人で大丈夫なら、今こんな壊滅的なことになってないよね?」
イグザに腹黒気味の笑顔で言われて、レクシアは何も反論できない。
「ぐぬぬ」
結局レクシアは何も言えず、レクシアの方が折れるしかなかった。
実は夜間の魔法特訓には、もう一つ問題が存在していた。未だに夜が苦手なレクシアが、訓練場に一人で平気でいられるはずがない。おそらく魔法訓練どころではなかっただろう。イグザがいてくれるのなら、レクシアはとても心強く思えた。
「イグザ様と二人きりはまずいから、誰か他の人にもいてもらわないと。理想は先生。誰か……誰か……」
「それなら」
「あ! 心当たりが一人だけいる。ラコットさんだ!」
ラコットの本業は図書室の司書だが、まれに授業をすることもあり、いちおう学園の教師でもある。監督役を頼むことは可能だ。
「それならラコットさんに頼んでみようか。僕も一緒にお願いするから、今日の帰りに一緒に図書室に行こうね」
その日の放課後、レクシアとイグザは図書室にやってきた。
「ラコット先生、頼みがあります」
「レクシアはん、先生呼びなんてどうしはったん?」
レクシアがラコットを先生呼びするのは初めてだ。本を抱えて振り返ったラコットは、目を丸くした。
「実は――」
かくかくしかじかとレクシアが事情を説明した。
「そんならレクシアはんのために、このラコット先生が一肌脱いだるわ」
「ありがとう」
「任しとき。おもろいもんも見られそうやしなぁ」
昔も今もラコットは頼もしい。レクシアは本当に世話になってばかりだ。




