22話
椅子を鳴らしてレクシアが立ち上がり、手に持っていた物を勢いよくエルキューザに投げつけた。見事なコントロールでレクシアが投げつけた物は、エルキューザの胸にぶつかり床へと落ちた。
この後どうなるか分かった上で、レクシアはそれを投げていた。エルキューザが良からぬことを言い出すのを阻止するためだ。背に腹は代えられない。
「なんだこれは」
レクシアに投げつけられた白いものを拾い上げ、エルキューザは驚いた。レクシアがエルキューザに投げたものは、手袋だったからだ。手袋を投げつけ、相手がそれを拾った。つまりレクシアとエルキューザの決闘が、たった今ここに成立したことになる。
「貴様、俺に挑むとはいい度胸だな」
睨みつけてくるエルキューザに、レクシアはひるんだりしない。レクシアはもっと怖いものをたくさん知っている。国境の向こうからくる巨大な魔物、狂化した家族たち、それらの方がよっぽど怖い。
「ファリン様、宣言をお願いします」
安心させようとにっこり笑ったレクシアが、ファリンに発言を求めた。
「こ、このファリン・スレノーラが、エルキューザ・エングライゼと、レクシア・キッカランの決闘をここに認めますわ」
声を震わせながら、ファリンがなんとか宣言を終えた。その場で最も身分が高い人物による宣言は、あくまで儀礼的なものだ。宣言の有無に関係なく、決闘は絶対行われる。
「おい、貴様、代理人は誰にする気だ」
いらだちを隠さずに、エルキューザがレクシアを再び睨みつけてきた。
学園内での決闘には特別ルールがある。それは誰であろうと、代理人を立てることが認められていることだ。代理人を立てられる人脈も、実力のうちということらしい。実にこの学園らしいルールだ。
また学園内は建前抜きで平等になっている。王太子に決闘を挑むことは不敬にはならず、完膚なきまでに打ちのめしても不敬には当たらない。それでも王家の人間それも王太子相手に決闘を挑んだのは、レクシアが初めてだろう。
「代理人は立てません。わたしがやります。申し遅れました。わたしはキッカラン家の娘レクシアと申します」
毅然とした態度でレクシアが答えた。
「貴様、キッカランの者か」
真紅の髪色で気付かないとは、レクシアが思っていた以上に、エルキューザは世間知らずだったのだろうか。
「時間と場所は追ってお伝えいたします」
「ふん、首を洗って待っていろ」
鼻を鳴らして足早に立ち去るエルキューザを、レクシア達三人は見送った。
静寂に包まれていたカフェテリア内が、徐々にざわめきを取り戻す。カフェテリアを走って出ていく人物がいた。王太子とキッカランの令嬢の決闘だ。今日の内にスクープとして学園中に広まることになるのだろう。
完全にやらかしたとしか言いようがなかったが、レクシアに後悔はなかった。これ以上ファリンには傷ついてほしくなかった。ファリンのためなら、多少の面倒事にだって目をつぶろう。
現にエルキューザはファリンにあれ以上、何も言わずに去って行った。目的は一応達成できたわけだ。
また好き勝手に言うエルキューザが無性にむかついて、レクシアが一回エルキューザを凹りたいと思ったのは誰にも内緒だ。これに関しては、何があってもレクシアの心の中に留めておく。
「急に殿下に、決闘を申し込むなんてどうなさったの!?」
レクシアの狙い通りに、エルキューザの非難はうやむやになっていた。レクシアとエルキューザの決闘のことで、今のファリンは頭がいっぱいだ。
「挑まなければいけないと思ったからです」
「レクシアさん、大丈夫なの? ちゃらんぽらんな殿下でも、剣術は結構な腕前で」
ファリンが焦って不敬を口走っている。それだけ動揺しているということだろう。
「心配しないでください。必要最低限は戦えます。体力はまだ完全には戻っていませんが、あの殿下程度なら十分でしょう。それにしても、キッカランと聞いてもあの態度、殿下は度胸があります」
「髪色を見ても分からなかったみたいだし、あれは世間知らずなだけだよ」
「その発言は完全に不敬」
テーブル上に置いたままになっていたトレーをカウンターに返却して、レクシア達はカフェテリアを出た。決闘するとなれば、必ず行かなければいけない場所がある。学園の施設課だ。
レクシアは昼休みの内に施設課まで行き、訓練場の使用と決闘の申請を行うことにした。決闘は十日前までに申請しないといけないので、最短の十日後を決闘の日に指定した。レクシアは提出する書類を書きながら、何とはなしにファリンに尋ねる。
「ファリン様は、殿下のことをどう思っているんですか?」
「好きよ。殿下は私なんかに好かれても嫌でしょうけど」
「え~、あんなののどこがいいんですか?」
「その発言は完全に不敬になってるよ」
レクシアの発言にイグザがツッコミを入れた。今日は先程から三人揃って、どうにも不敬な失言ばっかりだ。
「もっといい人たくさんいますよ? 例えばイグザ様とか」
「レクシアさんにそう言ってもらえると、何だか嬉しいよ」
わざとらしくイグザが顔を赤らめる。
「イグザ様のそういうのは今いらない」
「あら二人ともすっかり仲良くなっているのね。そうね、私が殿下のことを好きなのは、幼い時に婚約が決まってからずっとだから、理由はもう覚えていないわ。好きと言う気持ちに理由はいらないと思うの」
レクシアの顔に不服さが滲み出ている。こういうときに的確な言葉が、世の中には存在する。
「レクシアさん今、恋は盲目と思ったわね? 恋は盲目、そうかもしれないわ。でも、最後の最後まで盲目であり続けられれば、それはそれで幸せなのではなくて?」
儚げに言うファリンを見て、レクシアはエルキューザをますます打ちのめしたくなった。
提出書類の記入を再開し必要事項の空欄を埋めながら、さてどうしたものかとレクシアは戦いの算段をする。エルキューザに負けない自信はある。むしろ勝つ気しかしない。
問題はどう勝つかだ。こんな現状でもファリンはエルキューザに、愛想を尽かしていないのだ。レクシアが打ち負かしても、ファリンがエルキューザに愛想を尽かすことはないだろう。だったら笑いものになるぐらい、悲惨に負かす? いやそれは駄目だ。
結局レクシアは程々にすることにした。もしもの未来、王太子時代に決闘に負けてパンツ一枚にされた国王の妃に、ファリンになってほしくなかったから。未来はまだ分からない。そんな未来の可能性もまだ一応残されている。
施設課から教室まで戻る道すがら、廊下の至るところが浮足立っていた。十中八九レクシアが原因だろう。
「あの方に怪我をさせたら、キッカランの悪夢が黙っていないでしょうに、殿下もよく受けたわよね」
「キッカランの悪夢は、キッカラン辺境伯家の中でも特にやばい人なのでしょう?」
「やだー。乗り込まれて学園が壊滅したりして」
廊下ではレクシアとエルキューザの決闘が、至る所で話題になっていた。こそこそ話などではなく普通の声量で話されているので、レクシアだけでなくイグザやファリンの耳にもその話題は入ってきていた。
「余計な心配かもしれないけど、レクシアさん大丈夫? キッカランの悪夢といえば、そうとうとんでもない人って聞いたことがあるよ」
「私も聞いたことがあるわ。その人だけは怒らしてはいけないって」
「それに関しては大丈夫です。深くは言えないけど」
レクシアは誤魔化すように答えた。あまりそのあたりには、突っ込んでほしくないのである。
レクシアが思った通りに、決闘の件はその日のうちに学園中に広まった。話題になろうがどうしようが、レクシアは死力を尽くすだけだ。