20話
移動門は浮島の端の方にあり、この温室だった廃墟はおそらく浮島の中心部付近にある。つまりこの植物園には、レクシアが行っていない奥がまだ存在する。見に行ってみたいとそわそわうずうずした。でもこれはレクシアの我儘だ。レクシアは腕を組んで考えた。悩んだ末に、イグザにお願いすることにした。
「もう二度と来ないだろうし、もっと奥まで見て回っていい?」
「植物園にはきっとまた、すぐ来ることになると思うよ」
予想だにしないイグザの言葉に、レクシアは首を傾げて訊いていた。
「なんで?」
「この課題は植物園の魔物を狩りつくすまでたぶん続くよ。一旦根絶やしにすれば、しばらく魔物の心配をしなくて良くなるからね。ここをもう一度整備し直すにしても、魔物はいない方が効率はあがるしね」
レクシアは再び腕を組んで考える。
「ねえ、イグザ様はまだ魔力に余裕ある? 時間はまだまだあるし、もう少し魔物を狩りたい。嫌なら先に戻っても」
「魔力はまだまだ余裕だし、僕は構わないよ。でもどうして?」
「わたしやイグザ様はいいけど、他の人たちは多分この課題結構きつい。戦闘が苦手な人も絶対いる。だから課題が早く終わるように、狩れるだけ狩ろうと思って」
レクシアとイグザが何の問題も無く植物園を回れているのは、単純に二人が強いからだ。これを基準に考えてはいけないことぐらい、レクシアでも分かった。
「そういうことなら僕も喜んで付き合うよ。他でもないレクシアさんのお願いだからね。それに僕が先に戻ったら、レクシアさんが帰れなくなっちゃうよ?」
「ああ! それもそうだった!」
そこまで考えていなかったうっかりなレクシアに、イグサが笑いかけた。
「そんなところもレクシアさんらしいよね。他の人のことまで考えられるレクシアさんは、優しい人だと思うよ」
買いかぶりすぎだと、レクシアは居たたまれなくなった。レクシアの行動は、純粋な善意だけからくるものではないのだ。
「もっと奥まで行ってみたいとか、他の人のためみたいなこと言ったけど、動きがまだあまり良くないから、体を動かして勘を取り戻したいのも本音」
「え、あれで? 運動神経がとんでもない僕からしたら、惚れ惚れするような身のこなしだったよ?」
そこまで言われたら、イグザの運動神経がどんなものなのか、レクシアは気になってしまうわけで。
「イグザ様はそんなに運動が苦手なの?」
「そうだね。たとえば剣を振ると、明後日の方向に剣がすっ飛んでいくよ」
「信じられない」
「僕からしたら、レクシアさんが火や水の一つも出せないことの方が信じられないよ。だからお互い様かな」
「それもそっか」
イグザの意見にレクシアは納得した。レクシアがマソドラゴラモドキとコウテツサボテソを入れた収納袋の口を結ぶと、イグザが収納袋を持っていってしまった。
「僕は魔法での攻撃が基本だから、採取した薬草は僕が預かるよ。身軽な方がレクシアさんも動きやすいよね」
「じゃあお願い」
「フォローはするから、レクシアさんは好きに動いてね。じゃあ行こうか」
「では適当に歩いて、魔物を見つけ次第殲滅!」
「「おー!」」
拳を上に突きあげるレクシアに合わせて、イグザも拳を突き上げた。
「やっといてなんだけど、一緒にやってくれると思わなかった」
「こういうのは一緒にやったほうが盛り上がるよね」
二人でそのまま温室の中をぐるりと回り、廃墟の中にいた魔物はすべて倒しきった。続けて植物園のさらに奥の森へと足を進める。入り口付近よりもずっと暗く鬱蒼とした森の中を進む中、突然レクシアが立ち止まった。魔法で照明役を担うイグザも、レクシアにつられて立ち止まった。
「ん? 今人の声がしなかった?」
「しなかったよ?」
「じゃあ気のせい?」
「僕が聞き取れなかったとしても、レクシアさんが聞こえたのなら行ってみよう」
「たぶんこっちから聞こえた」
レクシアは声がした気がする方向へと進んで行った。しばらく歩いても人の気配は全くない。やはり気のせいだったのかと、レクシアが思いかけた時だった。
「誰かぁ~」
やはり遠くから誰かの声がする。
「やっぱり誰かいる」
「まだ先の方みたいだね」
ところが先に進んでも、レクシアは人影を見つけられない。
「誰もいなくない?」
「上だよ、レクシアさん」
イグザが指差す方では、人が木の枝に引っ掛かっていた。あの凶器的な顔面は……。
「あ! アルミエ先生!?」
「あれは見事に引っかかってるね」
「冷静に分析してる場合じゃない!」
「イグザさ~ん、レクシアさ~ん、助けていただけると助かりますぅ」
教師から学生に対して、まさかの救助要請だ。
「僕がやるよ」
イグザの足元に魔法陣が浮かび、アルミエがふわりと持ち上げられた。イグザに救助されたアルミエは、無事に地上へと帰還した。
「ありがとうございますぅ。助かりましたよぉ」
「アルミエ先生はここで何してたんですか?」
疑問に思ったことを率直にレクシアが質問した。
「ちょっとした魔物狩りですぅ」
「ベクルール先生に頼まれたとか?」
今度はイグザがアルミエに尋ねた。
「は~い。ルーたんに毒薬を作ってもらったので、その対価としての労働ですぅ。ルーたんは恋人にも厳しいですねぇ。でもそんな所も好きですよぉ」
そう語るアルミエは完全に恋する乙女だったが、男だしやはり顔面凶器な顔は怖い。またルーたんとは、おそらくベクルールのことだ。突然カミングアウトされた衝撃の事実については、聞かなかったことにしたレクシアとイグザだった。
レクシアにはもう一つ、アルミエに訊きたいことがあった。
「というか、アルミエ先生はなんで木の上にいたんですか?」
「レクシアさん、実に良い質問ですねぇ」
「ありがとうございます……?」
褒められたのでとりあえずレクシアはお礼を言ったが、間違っている気もしなくもない。
「非常に珍しい毒草を見つけて木に登って、採取したまでは良かったんですよぉ。木から降りようとしたところで、自分が高所恐怖症だったことを思い出しまして、降りられなくなりましたぁ」
まさかの理由に、レクシアは開いた口が塞がらない。一方イグザは堪えた笑いで肩が震えている。
「お二人は課題をしに、ここに来たんですよねぇ?」
「はい。でももう終わったので、二人で魔物狩りをしてます」
イグザが笑いを堪えたままなので、レクシアが答えた。
「私もお二人と一緒に行きますぅ。一人だとまた同じことをやりかねませんからねぇ」
「アルミエ先生、次からは学習してくださいね」
イグザからアルミエに有無を言わせぬ圧がかかった。だがそんな圧をものともせず、アルミエがイグザに言い放った。
「イグザさんに言いたいことがありますぅ。その恰好似合いませんねぇ」
それを聞いた途端、レクシアが爆笑に陥った。やはり誰からどう見ても、似合わないものは似合わないらしい。
拗ねるイグザをレクシアがなんとかなだめてから、アルミエを加えて魔物狩りは再開された。歩いては魔物を狩り、歩いては魔物を狩りを繰り返し、時間はあっという間に過ぎて行った。
「日が暮れちゃうし、そろそろ帰ろうか」
魔物と遭遇する数は最初に比べてだいぶ減っている。今日だけで結構な数を駆除できたはずだ。レクシア、イグザ、アルミエの三人とも無事に怪我なく終わることができた。たとえ何か怪我をしたとしても、アルミエが跡形なく治してくれただろうが。
「次の授業は、魔物による裂傷と咬傷にしましょうかねぇ。この魔物は毒による傷口の腐食が早くて、治療が時間との勝負なんですよぉ」
持参した魔物用の檻の中に入った犬型の魔物を見ながら、ほくほく顔のアルミエが話している。またグロいことになりそうなものをと、それを聞いたレクシアは思った。心底やりたくない。
「これの実習の時は、レクシアさんを指名しましょうかぁ」
願い虚しく、グロい時に当たってしまったレクシアだった。レクシアの肩にそっとイグザの手が置かれた。どうやら観念して頑張れということらしい。