17話
学園の管理地とはいえ、さすがに制服のままで薬草採取をするわけにはいかない。まして魔物との戦闘の恐れまであり、そもそもレクシアは制服のスカートだ。レクシアとイグザは昼食後着替えてから、学園の施設課前で落ち合うことになった。
施設課とは学園内の施設や備品を管理する部署だ。学園内の施設を使いたい場合や、学園内の備品を借りたい時は、ここで申請すれば良い。ガラスを割ってしまった等の修繕依頼もここが担当している。また決闘したい場合の申請も、ここで受け付けてくれる。王立学園内での決闘なんて、めったに起こらないことではあるが。
この施設課では移動門の管理も行っており、レクシアとイグザが施設課前を待ち合わせ場所にしたのは、それが理由だ。王立学園の敷地外にある学園管理地には、移動門を使って行くのが一般的で、植物園へも移動門を使わなければたどり着けない。
待ち合わせ場所には、レクシアの方が先に来た。レクシアはシャツとベスト、ショートブーツにズボンと、深紅の髪色に合わせた色でまとめた動きやすさ重視の服装だ。
レクシアがイグザを待っていると、イグザはすぐに姿を現した。レクシアを見つけたイグザが手を振ってくる。レクシアはそれに手を振り返した。
レクシアとイグザは、お互い今まで制服でしか会ったことがなかった。制服以外で会うのは初めてだ。今イグザが着ているのは、黒っぽいジャケットとシャツにロングブーツと、レクシア同様動きやすいラフな服装だった。
すらりとしたイグザには似合うはず……。はずなのだが、レクシアは何だか見慣れない。違う、これは見慣れないからではなくてと、レクシアは気付いてしまった。そんな人が本当にいるのか、いや目の前にいた。
「イグザ様、なんでそんなに服が似合ってないの?」
イグザは何を着てもカッコいいとレクシアは思っていたのだが、結果はこのザマだった。イグザは巷の冒険者たちが着るようなカジュアルな服装が、絶望的に似合わなかった。別段コーディネートがおかしいのではないのだが、ここまで似合わない人がいるのが信じられないぐらいに似合っていない。
「自分でも不思議なんだよね。こういう系は何を着ても似合わなくてって、レクシアさん、今笑い堪えてるよね?」
「ふふ、ふふふふ、な、何のこと?」
あまりに似合わなさすぎて、レクシアは笑いを堪えきれなくなっていた。拗ねたイグザが、レクシアにじわじわと寄って来る。
「そんな酷いレクシアさんにはこうだよ?」
イグザの手がレクシアの顔に近付いてきて、レクシアの額に小さな衝撃が走った。
「ふふふふ、はうっ」
レクシアは反射的に額を押さえていた。レクシアがイグザにされたのは、痛くも何ともないデコピンだった。イグザだって本気で怒っているわけではないらしい。
「あははは、ごめん」
「仕方ないね。今回は許してあげるよ。こうなることぐらい予想はついてたからね。なんたって僕のこの似合わなさは、仕えてくれている使用人たちも匙を投げる程だからね!」
イグザは完全に開き直っていた。
レクシアの爆笑が落ち着いてから、二人は施設課窓口に行き、レクシアが女性職員に声をかけた。
「すみません。魔法薬学の課題で植物園に行きたいので、移動門の使用をお願いします」
「担当の者を呼んできますので、少々お待ちください」
待つこと数分。先程の女性に代わり、別の女性職員がレクシア達に声をかけた。
「ベクルール先生から魔法薬学の課題の進行補助を承っています。こちらが課題提出用の収納袋です。帰還時にこの袋に入れて、採取したものを私に提出してください。ベクルール先生への引き渡しは私の方で行います」
説明の後にレクシアとイグザは、移動門が設置された部屋へ案内された。レクシアが初めて訪れたその部屋には、床一面に魔法陣が描かれていた。部屋の中央には金属製の扉だけが設置されており、なんとも奇妙な光景だ。
「ただ今植物園までつなげますので、しばしお待ちいただけますか」
女性職員がそう言い終えると、床に描かれた魔法陣が淡く光り始めた。
「わたしはここに初めて来た。イグザ様は来たことある?」
「僕も初めてだよ。取ってる選択授業によっては、よく利用してる人もいるみたいだね」
「移動門のことは王都に来てから初めて知った。これって新しい技術だったり?」
「移動門の技術自体は昔からあるものだよ。でも維持管理に手間がかかるから、この国で実用されてるのは、この王立学園でだけだね。便利なのもあるけど、どちらかと言うと技術継承の意味合いが強いよ」
「そうなんだ、イグザ様は物知り」
「ちなみに今彼女がやってくれてるのは、植物園側の移動門との接続だね。学園側には一つの移動門しかないから、植物園側からは特に何もしなくても戻って来れるよ。でも学園側からの移動は、行き先がたくさんあるからね。どこに行くのか事前に指定しないといけないんだよ」
「へー」
レクシアはそれ以上言いようがなかった。
レクシア達が話している間に、移動門の準備は終わったらしい。点滅したり様々な色で光っていた魔法陣は、緑色に一定の光量で光り続けている。
「準備が整いました。植物園に行かれる学生は、貴方たちが最初ですよ。それではご武運を」
「はい、行ってきます」
移動門の管理職員に送り出されたレクシアとイグザは、移動門の扉を開き中に入って行った。扉の向こう側には、本来存在しないはずの通路が続いている。一見何の変哲もない通路は、四方がレンガに囲まれていてまるでトンネルのようだ。歩きながらレクシアはイグザに話しかけた。
「さっきあの人ご武運をって言った」
「うん。言ってたね」
「そんなこと言う程、魔物がやばいってこと?」
「きっと行ってみれば分かるよ」
通路の先は行き止まりになっており、先程と同じような金属製の扉が設置されていた。扉を開いた先に目指す植物園が存在する。扉を開き一歩踏み出すと強い風が吹き、レクシアは自身の長い髪を押さえた。
思わず空を見たレクシアの視線の先にあったのは、上空を優雅に飛ぶソラクジラの姿だった。強い風はあのソラクジラが起こしたものだったようだ。
「客車や荷物は引いていないから、ただの散歩中みたいだね。あ、きっと今から宙返りするよ」
レクシアと同じように空を見たイグザが、レクシアに教えてくれた。
ソラクジラは言葉通りに、空に生息するクジラだ。客車や貨車を引かせることで空の足として、王国内では非常に重宝されている。馬車では十日以上かかる辺境までの道のりも、ソラクジラ便を使えばたった一日だ。
「僕はソラクジラ便には乗ったことないんだよね」
「わたしは一度だけある。学園に入学するのに、キッカラン領から王都まで」
乗り遅れそうになって冷や冷やしたなと、レクシアは昔を思い起こす。レクシアとイグザはソラクジラから、地上へと視線を戻した。
王立学園の植物園は、王都郊外に浮かぶ浮島を丸ごと利用したものだ。植物園と言いつつ、レクシアとイグザの目の前に広がるのは、手前にあるただの草原と奥にあるただの森だった。緑が溢れるどころか溢れすぎた光景に、人の手が入っていた形跡は微塵も残っていない。
「これは名ばかり植物園だね」
「この状態なら魔物がいるのも分かる」
先程『ご武運を』と言われたのも納得だった。
「草原に僕たちの目的のものはなさそうだね」
草原を一通り見まわして、イグザはそう判断した。
「ってことは、あの森の中が本命? とりあえず近くに魔物の気配は感じられない」
この世界の魔物は、大気中の魔力が時間をかけて凝集し、それが動物に類似した姿を獲得することで、発生すると言われている。倒された魔物は塵となって消えるので、素材を取ることもできず、人に襲いかかってくるだけのただただ迷惑な代物だ。
都市部や農村部や街道では魔物が発生することは少なく、森林や山といった自然豊かな場所では魔物が発生しやすい。また草原のような場所よりも、森の奥深くの方がより強力な魔物が現れるというのが、一般常識だ。
人間の活動により大気中の魔力が撹拌され、魔力の凝集が阻害されるため、都市部では魔物が発生しないというのが、長年の研究の成果で最近明らかになった。植物園が長く放置されていたのなら、魔物は現れて当たり前なのだ。
「じゃあ森の方まで行ってみようか」
魔物の恐れがあまりないので、レクシアとイグザは道なき広い草原を気楽に進み始めた。ブーツで踏みしめる草の感触は、レクシアにとって久しぶりのものだ。
「レクシアさんはどうして魔法薬学を選んだのかな? ちなみに僕は消去法だよ」
「魔法薬なら魔法制御が悲惨なわたしでも作れるから」
レクシアのその一言で、イグザはすぐさま納得したようだった。
普通は魔法薬を作るよりも、魔法を使った方が手っ取り早いのだ、普通は。ただレクシアの場合は、一部の魔法以外は派手に爆発させがちだった。その点魔法薬は製造時に魔力を込めれば、魔力から魔法への変換は勝手に進行する。爆発しないなんてなんて素晴らしいと、授業の度にレクシアはいつも思う。




