15話
放課後の勉強会が終わっても、レクシアとイグザが朝一緒に通学するのは変わらないままだ。いつも通りレクシアが寮を出ると、いつも通りにイグザが馬車から降りてくる。
「ファリン様の件分かったよ」
「もっとかかると思ってた」
レクシアがイグザに調べるように頼んでから、二、三日しか経っていない。さすが次期宰相、イグザは仕事が早かった。
「あまり他には聞かれない方がいい内容だから、放課後に図書室で話そうか」
「魔法で周りに聞こえないようにするから今でいい」
レクシアの言葉にイグザが驚く。
「レクシアさんは魔法の制御苦手なはずだよね? あの魔法は結構細かい制御が必要だよ?」
「苦手だけど、あの魔法は使える」
「レクシアさんは本当に変わってるよね」
「キッカランの人間に普通を求められても困る」
爆発することなく魔力を操作して、レクシアの足元に魔法陣が現れ魔法が発動した。周りの音が聞こえないことを確認してから、イグザは本題に入った。
「ファリン様が笑えなくなったのは、十中八九王妃教育のせいだね。殿下とファリン様が婚約してから、王妃教育が始まるまでは少し間が空いているんだよ。笑顔が減り始めたのは、王妃教育が始まってから。王妃教育の初日は泣きながら帰って来たらしいね。徐々に泣いて帰ってくるのは減っていったけど、それに比例して笑顔も減っていったそうだよ」
「よく調べられたね」
「情報源は内緒だよ」
人差し指を唇に当てる仕草が妙に色っぽくて、レクシアは久しぶりにイグザにどきっとした。
「情報源に関しては、わりとどうでもいい」
どきっとしたのを悟られたくなくて、レクシアはそっけなく返してしまう。
「王妃教育で感情がコントロールできるように訓練すると言うよね。王妃が一々顔色を変えるわけにはいかないから」
「でもあれはそういうのではないと思う。むしろ出したらいけないものが、出ちゃってた。後先考えずにイグザ様にいちゃもんをつけたのも、ちょっとしたことで泣き出したのも、メンタルがボロボロだったせい?」
「そうだと考えると辻褄は合うね」
「それにファリン様はいつも『私なんて』って言ってばかりで、自己肯定感が全く感じられない。あそこまで行くと、謙遜ではなく卑下に思えてくる」
「元々ファリン様は自分を卑下するような性格ではなかったよ」
レクシアが聞かなくても、知りたいことをイグザは教えてくれた。
「そうなんだ。もしかしてこれも王妃教育の影響?」
黙り込んで考えて、レクシアはある結論に至った。今レクシアが思いつく、レクシアにできることはこれだけだ。
「よし! 昼にさりげなくファリン様本人に、王妃教育について聞いてみる」
「僕も協力するよ。フォローは任せてね」
「うんお願い」
昼休みに向けて朝から意気込むレクシアだった。
午前中の授業を乗り切って、昼休みになりいつも通り三人での昼食だ。何気ない風を装って、内心緊張しつつレクシアはファリンに話を切り出した。
「ファリン様は今日も放課後に王妃教育ですか?」
「ええ、そうよ」
「そんなに毎日毎日、王妃教育は一体どういうことをやってるんですか?」
さり気なく聞けたかどうかは分からない。ただファリンは特段気にはしていないようだった。
「聞かれたからには話してあげたいのは山々なのだけれど、機密事項もあるから、内容に関しては言ってはいけない決まりになっているのよ」
無表情の困り顔でファリンが返す。その返答で口止めと言う言葉が、レクシアの頭を過った。
「ファリン様のことだから、教える方としても教え甲斐があるだろうね。毎日王妃教育があるのも、講師陣の熱が入り過ぎてるからかな?」
困ったレクシアを察知して、イグザがフォローに回った。たとえ内容に関して言わないように言われていても、ファリンが何か答えられそうな問いかけだ。レクシアは心の中でイグザに感謝をしつつ、一言一句聞き漏らさないようにファリンの言葉に耳を傾けた。
「いいえ、決してそんなことはないわ。私はできないことばかりの駄目な人間よ。毎日怒られてばかりだわ。私は何もできない駄目な娘だと、いつも言われてしまうの。出来て当然のことをできないのだから当たり前よね。私のことを言われるのはいいわ。私が悪いのだから。でも家での教育が悪かったと言われるのは、本当につらいわね……。父も母も私のことを大切に育ててくれた、自慢の両親なのに……」
目を伏せたファリンが語った内容は、レクシアの予想から大きく外れたものだった。傍らではイグザの微笑みが凍りついている。思わずレクシアは声を上げていた。
「ファリン様はわたし達の学年の首席です。ファリン様がダメ人間なら、他の人は何になるんですか。世の中ダメ人間しかいないことになります!」
レクシアの話を聞いて、ファリンは一瞬目を丸くしたが、すぐ無表情に逆戻りだ。
「駄目とかできないとか言われてばかりだったから、今までそんな考え方にならなかったわ。でもいくら学園で優秀でも、私が王妃教育で落ちこぼれているのは周知の事実よ。私の出来が悪いと、両親や弟にまで迷惑がかかるわ。だからもっともっと私は頑張らないといけないの」
こんなの王妃教育の範疇を超えている。レクシアは思っても口には出さない。出せなかった。レクシアはなんとか平静を装ってはいたものの、その後も気持ちはどこか沈んで煮えたぎったままだった。
昼休みが終わり、次は魔法薬学の授業だ。ファリンと別れたレクシアとイグザは二人並んで、魔法薬学の教室に向かっている。
「あれは絶対口止め。口止めするとは、なんと悪質な」
「レクシアさん、相当怒ってる?」
「だってファリン様の置かれた環境がひど過ぎる!」
レクシアが怒ったって、どうにもならないのは分かっている。でも怒らずにはいられなかった。眉間に皺を寄せたレクシアを見て、すれ違う人々がぎょっとする。何も起こりませんようにと、祈り出す人までいる始末だ。
そんな人々を尻目に、見覚えがある白髪のツインテールに遭遇し、レクシアは一瞬で笑顔になった。
「あ! フィエ!」
「あ、レクシアだ」
レクシアの声に反応してフィエが振り返り、ツインテールが大きく揺れた。
「ロギアはいないの?」
「あれ? ほんとだ。さっきまでいたのに」
レクシアはロギアがいない今がチャンスだと、フィエにちょっかいをかけた。フィエの頬はふにふにすべすべで、レクシアはつい指でつつきたくなってしまう。
「つつくのやめてってば、レクシアのこと嫌いになっちゃうんだからね」
フィエはレクシアにされるがままになっている。思う存分ふにふにさせてもらってから、レクシアはつつくのを止めた。
「フィエのおかげで元気出た。ありがとう」
「ちょっと、頭をなでなでしないでよね! レクシアが元気かどうかなんて、フィエには関係ないんだからね」
口ではそんなことを言っていても、フィエはレクシアの手を払いのけたりはせずに、大人しく撫でられている。その本心を言葉で表すならば、レクシアに撫でられるのは好きだし、レクシアが元気ならフィエはそれでいい、といったところだろうか。
「フィエはわたしの癒し」
「そんなこと言われたって、全然嬉しくないんだからね」
言っていることとは正反対に、ツインテールをひょこひょこさせたフィエからは嬉しさが滲み出ていた。イグザの存在を忘れて、レクシアがフィエとじゃれ合っていると、何処からともなく黒髪の男子学生がやって来た。
「フィエ! 急に消えないでくれ」
どうやらロギアはフィエのことを探し回っていたらしく、息が切れていた。黒髪も乱れてぼさぼさだ。
「違うし。フィエじゃなくて、ロギアが勝手に消えたんだからね」
「分かった。それでいい。早く行くぞ」
「またね、レクシア」
フィエはロギアに連れて行かれた。毎度毎度よくあることなので、レクシアに思う所は特にない。ところが、イグザには思う所があったようだ。
「彼すごいね」
「ああ、ロギアは大好きだから」
ロギアの独占欲の話をしていると思い、レクシアは簡潔に答えた。ロギアは婚約者のフィエが好きすぎて、独占欲丸出し状態だ。フィエと同性のレクシアに対してでも、全く容赦がない。
「イグザ様?」
レクシアに声をかけられて、イグザは取って付けたように微笑みを浮かべた。
「少し急ごうか。授業に遅刻したら、ベクルール先生に怒られちゃうからね」
イグザが言う通り、このままだと遅刻になりかねない。レクシアとイグザは足取りを早めて、魔法薬学の教室へと急いだ。
そんな中で、フィエのおかげで元気が出たレクシアは改めて思う。たとえ無力だとしても、それでもレクシアはファリンの力になりたい。