14話
レクシアとファリンとイグザの三人で昼食を食べるようになり、レクシアが放課後勉強を教えてもらうようになって、一ヶ月が過ぎた。
レクシア、イグザ、ファリンの三人は、学園内でも有数の近寄れないトリオと化していた。ある意味無敵だ。無表情の得体の知れなさが怖い孤高の令嬢ファリン、ただひたすらに実家が怖いレクシア。この二人が近くにいては、普通の女子学生達はイグザに近寄れない。怖いもの知らずはいなかったのだ。
いつも通りに三人で平和な昼食を満喫していると、ふとレクシアに疑問が生まれた。
「そういえば、お二人とも殿下を放置でいいんですか?」
殿下こと王太子エルキューザ・エングライゼは、レクシアやファリン達と同い年だ。
金髪碧眼の整った顔立ちをしているが、イグザと比べるとどうしても見劣りしてしまう。運動神経だけはすこぶる良いが、座学と魔法実技はどうにもぱっとしない。学園内での成績も何とも微妙だ。加えて性格も難ありと言われている。そのため人気としては、ファンクラブもあるイグザの方が上だった。
ファリンはそんなエルキューザの婚約者である。加えてイグザはそんなエルキューザの側近候補で、このままいけば将来は宰相閣下だ。
「普通はお二人のどちらかと、昼食を共にするものではありませんか?」
レクシアの常識では、そういうものだ。ファリンとイグザのどちらかでないなら、他の側近候補の誰かという選択肢もあるが、そんな雰囲気でもなさそうである。
「殿下ならどこかで女性と食べてるよ。ああ、いたいた。ほら」
イグザはカフェテリア内を探すそぶりをした後、ある場所を手で指し示した。
「あ~」
レクシアが残念なものを見る目になる。そうだ、そうだった。エルキューザはそういうやつだったことを、レクシアは思い出した。
「毎日毎日相手が違っていて、驚きだわ」
自分の婚約者の所業に、一周回って感心した声を上げるファリン。三人の視線の先では、眼鏡をかけた三つ編みの女子学生と数名の女子学生が、エルキューザと昼食を共にしていた。
「今日は平民のグループか。あの眼鏡の人は、僕と同じクラスの商家の娘さんだね」
これがエルキューザの性格に難ありと言われる理由だった。
グライズ王立学園には貴族以外に、裕福な平民や成績優秀な平民も多く在学している。エルキューザはファリンという婚約者がいながら、身分を問わず女子学生に声をかけまくっているのだ。
そもそもこれが、ファリンがイグザと修羅場を引き起こした原因でもある。レクシアはファリンの顔色を窺った。
「あれから考えたの。殿下がこうして好きに過ごせるのは、学生の内だけだもの。だから仕方ないわ」
今だけだからと寂しそうなファリンの表情が、レクシアの目に焼き付いて離れなかった。
その日の放課後図書室の談話室で、レクシアとイグザによるいつもの勉強会が開かれていた。黙々と手を動かすレクシアと、にこにこと見守るイグザは、もはや図書室の談話室内で定番の光景になっている。
ふとレクシアのペンを動かす手が止まった。ここでなら、誰かに話を聞かれる心配はない。きっと顔を上げて、レクシアはイグザに疑問をぶつけた。
「ファリン様はどうしてあんなに笑わないんですか?」
「なんでいつまでたっても、僕に対して敬語なのかな?」
ニコニコから一転して、イグザはどこか不服そうだ。頬杖をついてぶすっとするイグザもかっこいい。顔が良いと何をしても様になる。
「すみません。なんとなく流れで敬語を使ってました」
最初が敬語だったので変えるきっかけが無く、ずるずるとそのままきただけだった。
「僕はレクシアさんと、もっと仲良くなりたいんだよ?」
「分かった。じゃあ改めて。なんでファリン様はあんなに笑わないの? あそこまで笑わないのは、おかしいと思う」
一ヶ月も過ごしていて、レクシアがファリンの笑顔を見たのは数えるほどしかなかった。
デフォルトが無表情なのは、それは別にいい。だがファリンは何が起きたとしても、あまりに無表情すぎるのだ。野生の勘のおかげなのか、レクシアは何となくファリンの感情が分かるようになった。だからファリンが無感情ではないと、レクシアは知っている。
いくら無表情といえども、ファリンが表情を崩すことはあるにはある。ただ表情を崩したとしても、悲しい顔や驚いた顔そんな表情ばかりだ。
「笑うことが少なすぎる。いや違う。笑わないのではなく、笑えないみたい? それにあんな場所でイグザ様と修羅場をかましたり、学園に戻ってきたわたしと話して大号泣したり」
「レクシアさんはファリン様を泣かせたの!? ファリン様が泣くなんてよっぽどだよ!?」
動揺するイグザに対して、レクシアは勢いよく首を横に振った。
「違う! あれは二人だけの秘密……でもないけど、とにかく傷つけるようなことは言ってない。あれはどちらかというと嬉し泣き? とにかくファリン様のメンタルは、どうしてあそこまでガタガタだったの?」
「あの修羅場に関しては、たしかに彼女らしくなかったよね」
レクシアの言葉にイグザも思うところがあったようだ。
「今のファリン様はやっぱり昔と違う? イグザ様なら知ってるでしょ?」
「殿下と婚約する前のファリン様は、もちろん知ってるよ。幼馴染だからね。そのころは普通に笑ったり泣いたり怒ったり、年相応に過ごしてたよ。殿下とファリン様が婚約してからは、会うことがめっきり減ったんだ。王立学園に入学して、ファリン様と久しぶりに会って驚いた覚えがあるね。だから間違いなく、その間に何かあったんだと思うよ」
「ディスト先生も同じこと言ってた」
「ディスト先生?」
「わたしにかかった禁呪魔法を治してくれた医師の先生。そっか、イグザ様でも詳しいことは分からないんだ」
知っていそうだったイグザも知らないとなれば、どうしたらいいだろうか。レクシアが算段していると。
「レクシアさんが気になるなら、僕の方で調べてみようか?」
イグザからの申し出は、レクシアにとってありがたいものだった。
「調べられるの?」
「多少骨は折れるけれど、無理ではないよ。僕を利用していいって前に言ったよね」
「じゃあお願いしたい」
「うん、任せて」
考えるだけ無駄だとレクシアが考えないようにしていても、ふとした瞬間あの馬は姿をちらつかせる。
当て馬についてはもうどうにでもなれが、レクシアの現在の心境だ。当て馬の真相はきっとそのうち分かることだろう。
イグザとの話が途切れ、レクシアは再び黙々と手を動かした。しばらくしてレクシアはゆっくりとペンを置いた。長々と一ヶ月、今日でようやくだ。
「やっと追いついた」
レクシアが大きく伸びをした。休んだせいで遅れていた勉強が、ようやく、ようやく追いついたのだ。これからは勉強が遅れていたせいで、授業が分からないことはないだろう。単純に難しくて分からないことは、あるかもしれないけれども。
おめでとうと、イグザが拍手でレクシアをお祝いしてくれた。
「今までありがとう」
「どういたしまして」
笑顔を隠しきれないレクシアの一方で、イグザの微笑は一瞬だった。
「どうかした?」
「少しだけ寂しいと思ってね。これからも分からないことがあったら、どんどん質問してくれて構わないからね」
「じゃあ、試験前にまた教えて?」
「うん、喜んで」
レクシアにお願いされて、イグザは心から嬉しそうだ。
勉強がようやく終わった解放感で、レクシアはイグザと図書室の閉室時間まで話してから帰った。一ヶ月前不思議な関係が始まった直後よりも、ずっと楽しい時間だった。