11話
レクシアとイグザは気付けば、図書室前の廊下まで来ていた。レクシアはイグザに嘘吐けと思ってからここにくるまで、イグザと何を話したか覚えていない。一生の思い出にしてもいいぐらい、あまりに刺激的すぎる時間だった。
「ここまで来ればもういいかな」
イグザが魔法を解いて、レクシアはドキドキとイグザから解放された。レクシアは未だにドキドキする心臓を落ち着けてから、イグザは酷かった顔色に血の気が戻ってから、図書室の中へと足を踏み入れた。
「こんにちは」
レクシアとイグザは、ラコットと今日の図書当番に挨拶をした。図書室に来た用事が分かっているので、何も言わなくてもラコットは談話室の鍵を渡してくれる。ラコットから鍵を受け取りながら、レクシアは静かで落ち着く図書空間にふと違和感を覚えた。
「イグザ様が一昨日昨日今日と来てるのに、図書室は至って平和ですね?」
図書室内が騒ぎになっていたのは、レクシアがイグザを連れてきた初日だけだった。熱狂的なイグザのファンなら、イグザがここに来ていると分かっているはずだ。今現在騒ぎになっていてもなんらおかしくない。
「確かに。まるで誰かが図書室から、うるさい人を排除してるみたいだね」
「そんなまさか」
「あ~~」
本日の図書当番が意味深な声を上げて、ラコットの方を見た。つられてレクシアとイグザもラコットの方を見た。
「ん? 気にしはらんでええよ。やかましいんはうちがイラつくさかい、イグザはんが来はるうちは出禁や」
そのまさかだった。清々しいまでに笑顔で言い切るラコットに、二人とも同じことを思い、全く同じことを口走っていた。本日の図書当番も同じことを言っていた。
「「「職権乱用では?」」」
「ちゃうわ。うちは職務を全うしとるだけや」
あまりに早く返ってきたラコットの反論に、レクシアとイグザは思わず笑っていた。
その翌日はレクシアが学園に復帰してから、初めての魔法薬学の授業が行われる日だった。レクシアは昼食後イグザと一旦別れて、一度自分の教室に戻ってから魔法薬学の教室に向かった。
選択授業では座る席は特に決まっておらず、皆思い思いに好きなところに座る。一年の時から同じメンバーなので、自由席でも座る席はなんとなく決まりがちだ。レクシアはいつも空気を読んで、あまり周囲に人がいない端の席に座っていた。
レクシアが端の席から教室内を見渡せば、妙に人が密集している場所があった。イグザの周囲だ。あんなに目立つのに、どうして言われるまで気付かなかったのか。恐らくレクシアが極力周りと関わらないように、今までしていたからだろう。
イグザがレクシアに気付き、目と目が合った。荷物を持って立ち上がるイグザに、周りに座っていた女子学生がつられる。そのままイグザについて動くと思いきや、イグザがレクシアの元に向かったことが分かると、立ち上がった女子学生達はすごすごと元の場所に戻っていった。
魔法薬学の授業が行われる教室では、備え付けの長机に複数人が並んで座るようになっている。レクシアはどうせ隣には誰も座らないからと、いつも隣の席まで広々と使っていた。レクシアがペンケースやノートを退けた場所に、イグザはごく自然に腰かけた。
「もう座ってたのに、わざわざ席を移動してくるとは思いませんでした」
「当て馬だからね」
イグザの眩しい笑顔は今日も健在だ。
そして今日も出没する謎の馬。当て馬がどういうことなのか、本人に聞くのが一番手っ取り早いのは、レクシアだって分かっている。でも聞きたくない。聞いたらイグザはきっと、こうして隣にいてくれなくなる。だから聞かない。
もしかしたら当て馬とは、レクシアの知らない隠語なのかもしれない。当て馬の意味についてレクシアが考えていると、魔法薬学の担当教師が教室に入ってきた。
魔法薬学の担当教師ベクルール・リシチオーブは、茶色い髪を縦ロールにした垂れ目の女性だ。王立学園には研究機関としての側面もあり、教師を務めているのは優秀な研究者たちだ。そんな中でベクルールは、二十代前半でありながら教職を務めている。王立学園では最も若い教師の一人だった。
忙しなく授業の準備をするベクルールを目で追いながら、レクシアは悶々とする。イグザ本人には聞けない。でもレクシアは気になる。自分でもどうしていいか分からない。レクシアだけで結論を出すのは無理で、誰かに相談したくて仕方なかった。
ふとレクシアに名案が浮かんだ。そうだ、ファリンに相談してみよう。ファリンとイグザは幼馴染であり、ファリンはレクシアよりもイグザのことを知っている。ファリンなら知恵を貸してくれるはずだ。
続けてレクシアは、ファリンとお茶会の約束をしていたことを思い出した。渡りに船とはこの事だった。
「おらっ、授業始めるぞ。てめえらとっとと教科書開け」
ベクルールから授業開始の合図が出た。おっとりとしていそうな見た目に似合わず、ベクルールはとてつもなく口が悪い。魔法薬学の人気が無いのは、これのせいもあるかもしれない。