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「お腹痛いから帰っていいですか?」

〜あらすじ〜


声優を目指し養成所に通う17歳主人公のとある一日


このお話はフィクションです。

カーテンの隙間を縫って溢れる朝日と、うるさく私へ起きろと訴える携帯のアラーム。


ぱしっと掴んで開かないまぶたをこじあけ時間を確認。


 『06:00』


6時だ。ちょうど6時、ならあと10分は寝たい。寝る。

そうしてぴったり10分後、再びアラームが鳴り響く。うるさい。

いそいそとベッドから身を起こす。ああむりねたいどこにも行きたくない。クローゼットから服を選び、手早く着替える。あとは朝食を作り、食べ、養成所へ向かうだけ。


 『07:05』


朝食を食べ終え、身だしなみを整え始める。メイクとか髪型とか、今日のレッスン内容の確認とかやることはたくさんあるので時間を無駄にできない。

メイクはナチュラル、ほんっとに薄くでいい。濃いのは似合わない顔なのだ。髪型はぱぱっとひとつ結びでくるりんぱ。


 『07:40』


やばい。

いつもいつも顔に絵を描く工程が苦手だ。手際が悪いとよく言われる。ああもう時間時間、電車の時間!慌ただしく上着を着て荷物を持ち携帯で電車の時間を調べる。

家から自転車で最寄り駅まで、そこから電車で養成所がある駅まで、あとは歩きで6分。つまりトータル1時間20分くらい。養成所のレッスン開始が10時、入場できるのは9時35分、つまりこの時間にはいなくてはならない。最寄りの電車は8時に来るものに乗ればいい。

余裕というのは、ない!と思っていたらあった、という方がいいのだ。私は自分を甘やかしてしまうタイプの人間なので。


 『08:03』


電車に乗り空いている席に座る。これは運だ。座れる日もあれば座れない日もある。どうせすぐ乗り換えるので気にしない。座れたらラッキー!ぐらいのもの。

自転車を漕ぎながら外郎売り、あめんぼのうたを言い、電車では静かに腹式呼吸。とにかくお腹を意識することから始めるのだ。それができないときは体幹を鍛えるのもいい。お腹に力を入れて、浮き上がる力で背筋を伸ばし、まっすぐ綺麗な姿勢を維持すること、座るときも座骨で座ることを意識する。こういうとき、なるべく携帯は見ないほうがいい。もちろんそれは家にいるときもそうなのだけど、家で手放すのは難易度がまだ高いので移動中ぐらいは気をつけよう、という意識だ。


 『09:25』


養成所のある駅まで到着。だいたいいつも通り、ちょうどいいくらい。

ICカード乗車券にいまいくらはいっているか確認して、今月必要なお金の計算をしてみたりする。バイト入れなきゃな。

行きは速く、楽、を優先してどの行き方の電車に乗るか考えているが帰りはいかに安く帰るかを考える。早く帰りたい。

行きたくないと思う私の気分に影響されてお腹が痛くなってきた。無理だ無理。今日生理きたし、電車は頭痛くなるし、まじで電波のせいだ。あと寝不足。バイトがあんなに遅いのがいけない、ほんとうは演技のことだけ考えていたいのに。そもそも酔いやすいのだ、私は。


「お腹痛いほんと無理、帰っていいですか…だめだよね…」


落ち着け、落ち着いて深呼吸するんだ。

あ、むりだ息苦しい。電車はこれだから嫌いなのに。梅干しがほしい梅干し。とにかくすっきりするやつ。私にとって梅干しは回復役みたいなものなんだもの。

じわりじわりと浮かぶねっとりした汗はヤバイって証拠だ、しってる。でも収まらない気分の悪さと目眩、息苦しさは冷静な思考の隅っこでずっとずっと教えている。お前マジ今日は帰れって。


だけど私は知っているのだ。私は確かに酔いやすい。電車に乗ればうまく酸素吸えてる?ってぐらいに息苦しさを感じるし、たまに過呼吸ぎみになる。頭痛だってするときがあるし、それにつられて目眩に襲われることもある。生理はたまに辛いときがあって、とくに最近は健康的な食生活ができているとは言えない。寝不足だって影響しているだろう。

それでも、ここで耐えればそのうちこの苦痛がひいていくことを知っている。私の場合、緑豊かなところにいくのが手っ取り早い。ほんとうだ。


何より私には"声優になる"という夢があって、その夢のために養成所に通っている。養成所に通うためにはお金がいる。まだ高校生、されど高校生。もう17歳なのだ。いつまでも親が面倒をみてくれるわけではない。通信制高校に通いながら夢を追うというのは想像以上にきつかった。なんどやめたいと思ったことだろう。家から出たくない、家で寝たい。いくらでも寝れると思う。でも、夢をみてしまったのだ。今更それを捨てるなんてできなかった。

高校のお金は親が払ってくれている。けれど養成所と、一人暮らしの自分の生活を支えるのは、私の頼りないバイト代だけなのだ。電車代はまだだしてもらえているとはいえ、そんな甘えがいつまでもゆるされるわけがない。いつかは全て自分でまかなう日がくるのだ。


そう思うとさらに気が重たかった。


 『10:47』


どうにかこうにか、なんとかなった。多少体が重いような気もするが、熱はないし喉はおかしくないし、顔色も悪くない。つまり元気だ。テンションが低いのはいいことではないが悪でもない。

だけど、マスクはよくない。いやもちろん、なんでマスクしてるのかはわかってる。ウイルスが〜っていう大変な事態で、この状況下で、マスクというものが生活の一部として当たり前のものになったことはわかっているし、するべきだってことも理解している。私だって本来なら文句なんて言いたくない。でもさ、ただでさえ過呼吸ぎみな電車の中でマスク、死ぬだろ?そこからレッスンだよ。レッスン、筋トレ当たり前なんだ。マスクして筋トレ、死ぬだろ。過呼吸どころじゃないよ、顔面蒼白、息できない。吸っても吸ってもたりなくてふらふらする。そこから声出しするんだ。声出るわけ無いじゃん。演技どころじゃないよ、私にとっては。水飲んだところで落ち着くものじゃないの。言い訳なんてしたくないけど言わなきゃ、やってらんないし。


 『14:00』


レッスンが終わる。ようやくだ、ようやく。楽しったとかそんなこと思う余裕は私にはない。あれができなかった、これができなかった、今度はこうしなきゃ、家に帰ったら学習レポート書かなきゃ、それ高校に送らなきゃ、夕飯と明日の朝ごはん作って、シャワー浴びて、でもその前にそろそろ洗濯機回さないと…他にもまだまだやることは山積みで、いっこうに減らない。バイトバイトバイトバイト、バイト漬けの日々に体調の悪さと戦いながら通う養成所。それと高校の課題。大学いけんのかな。そもそも行きたいのかなぁ、私。それすらもわからない。バイトはこの状況なのでいくつかだめになったし、おかげで生活はままならない。親に連絡したところで、親だって今は大変だろう。この前は「大変だよねぇ、うちも収入減ったしどうしたもんかなぁ」なんて、のんびり私が訴えることと全く同じことを返された。そうだよな、大変だよな、私もだよお父さん、お母さん。


 『16:20』


安いを優先して家へ帰る。早くないし楽じゃないので、当然時間がかかる。今日はバイトがない日なのだ。すこしは休めるといいけど。


鞄を投げだし、手を洗いうがいをし、服を着換え、ベッドへ倒れ込む。お腹すいた、お腹は空いているけれど今から食事を作る気力はなく、かといって外で食べるのも買うのも生活費を考えると躊躇してしまう。なので寝る。もう考えないのが一番だ。お腹が空いていたって寝れる。ぐぅぐぅなるお腹も、ぐちゃぐちゃな心だって閉じるまぶたには逆らえないのだから。


 『20:13』


すっかり暗くなってしまった部屋で起きた。お腹すいた、を通り越してもうなにも食べたくない。むしろ何も入らない。気持ち悪い。口をゆすぐことを優先しようそうしよう。

養成所に持っていった水の入った水筒、それからレッスン着を鞄から出してレッスン着はさっさと洗濯機につっ込む。水は飲んでしまおう。

冷蔵庫をあさってツナ缶とほうれん草のおひたしを発掘したので、バターと卵を用意して、フライパンに入れてしまう。ほうれん草のすごもりだ。簡単でいい。どうせ私には簡単な料理しか作れないので。あとは米。朝炊いて、容器に入れて冷蔵庫に入れたそれが今日のご飯。味噌汁?作る余裕があるように見えるの?ないよそんなもの。


 『22:00』


やることを終えた、とは言いにくいけどまぁある程度は終わったので寝る。明日も早いので。さらに明日からはまたしばらくずっとバイトざんまいなので。休めるときに休むべきだ。倒れてしまったら意味がないとは言うけれど、倒れるまで働かないとお金が足りないっていうのが一番意味ないと思う。というかおかしいのでは?文句じゃない。これは疑問だ。誰に言っても意味がない疑問。だってどんなに声高らかに叫んだって、私の声はたぶんかき消されてしまうくらい小さい。

お金が払えなければここを追い出され、養成所には通えない。倒れてしまったらもちろんお金は稼げないし、養成所にも通えない。でも倒れるぐらい働かなきゃお金が足りない。それなら結局、やりたいことがあって、そのために頑張ると決めてしまった以上倒れたって起き上がってやる、くらいの気持ちで働かなければ。


ほんと、そのうち私は死ぬんじゃないだろうか。きっとそうしたらそのときは、社会に殺されるのだ。










****






「ええと、インタビューの案件で、私の週間スケジュールみたいなもの、だよね」



これ、どうぼやかして伝えればいいんだろう。私の"養成所に通う日の一日"を振り返っただけで、どう考えても求められる応えがこれじゃないということはわかる。少なくともこんなにもヤバイという事実は求められていないだろう。もう少しオブラートに包んで…いや、オブラートオンリーの応えとして、起床、朝食、準備、レッスン、自由時間、夕食、睡眠、ぐらいが求められているのだろう。


やっぱり、文字や数字で簡潔にまとめたものでは裏にある物事なんてどうとでもごまかせるし、想像しなければわからないことはたくさんあるんだろう。想像していても想像と違うことのほうが多いだろうけど。


今日だってレッスンで


「台本の裏を読まないと。ここのカット34のセリフだと〜」


等と教えていただいたばかりである。いや無理ほんと。インタビューってなに?緊張して吐きそう。まだまだ時間はあるけど、ほんとうにだめだ。すみません店長。


「お腹痛いから帰っていいですか?」



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