―95― 決着をつけるとき
目の前の脅威――妹の体を乗っ取った偽神ゾーエーの猛攻はあまりに苛烈だった。
「消えろ、不純物」
ゾーエーが腕を振るう。
それだけで、プロセルの華奢な腕が鞭のようにしなり、先端が鋭利な刃となって俺の首を刎ねに来る。
肉体変異。
ゾーエーにとって、肉体の構造など粘土細工と同じなのだろう。
「〈重力操作〉!」
俺は自身の重力を横方向へ変更し、地面を滑るようにして斬撃を回避する。
一瞬前まで俺がいた空間が、刃の風圧だけで真空の鎌となって校舎の壁を両断した。
直撃すれば、アゾット剣の加護なんて意味もなく即死してはずだ。
「ちょこまかと……うっとうしい」
ゾーエーの背中から、黒い翼のような触手が無数に展開される。
それらが一斉に襲いかかってきた。
「〈磁力操作〉!」
俺は霊域から取り出した大量の鉄骨や鉄柵を盾として展開し、触手の雨を防ぐ。
ガガガガガッ! と激しい衝突音が響き、鉄くずがひしゃげていく。
「くっ、押されているな……!」
防戦一方だ。
こちらの攻撃手段が限られすぎているのが原因だった。
俺には、偽神ヌースを一撃で葬る切り札がある。
〈電磁加速砲〉。
あの巨大なドラゴンすら粉砕した、音速の鉄塊。
だが、それは使えない。
あれを使えば、ゾーエー諸共、妹の身体は木っ端微塵に消し飛んでしまう。
「器を壊さずに、中の神だけを無力化する……そんな都合のいい方法が……」
俺は思考を加速させる。
魔術ではない。科学だ。科学で考えろ。
生命とは何か?
それは電気信号と化学反応の集合体だ。
いかに神が憑依していようと、動かしているのが人間の肉体である以上、その生理機能からは逃れられないはずだ。
脳からの命令を筋肉に伝える電気信号。それを遮断すればいい。
だが、ただの電撃ではゾーエーの再生能力に阻まれる。
もっと根本的な、肉体の活動そのものを強制停止させる現象が必要だ。
「……あるな。一つだけ」
俺はニヤリと笑った。
成功率は未知数。だが、理論上は可能なはずだ。
「アベルよ、何か策があるようだな?」
俺の意図を察したのか、背後のパラケルススが声をかけてくる。
「……あるな。一つだけ」
俺はニヤリと笑った。 成功率は未知数。だが、理論上は可能なはずだ。
「〈気流操作〉!」
それに伴う酸素濃度の低下!
俺はゾーエーの周囲の空気を操作し、極地的な真空状態を作り出す。
偽神に呼吸が必要かは知らないが、プロセルを依り代とした以上、その肉体には酸素が必要だ。酸欠になれば、動きは鈍るはず。
「小賢しい」
だが、ゾーエーは意に介さない。
黒いオーラが内側から噴出し、強制的に酸素を取り込んでいるようだ。
やはり、小手先の技では通じないか。
ならば――もっと根本的な、肉体の活動そのものを強制停止させる現象をぶつけるしかない。
「まずは、隙を作るか」
俺は〈重力操作〉で瓦礫を巻き上げ、視界を遮るようにゾーエーへ投げつける。
当然、ゾーエーは触手でそれを粉砕する。
その瞬間だ。俺は砕け散った瓦礫の粉塵に紛れて、トップスピードでゾーエーの懐へと飛び込んだ。
「なっ、自ら死地に――」
ゾーエーが迎撃しようとする。
触手が俺の心臓を貫こうと迫る。
だが、遅い。
俺の手はすでに、妹の胸元に触れていた。
「熱エネルギーの略奪……分子運動の強制停止!」
俺が発動したのは、熱を与える魔術ではない。
熱を奪う魔術だ。科学の世界において、熱とは原子の振動である。
ならば、魔術的な干渉によってその振動を強制的に「ゼロ」に近づければどうなるか?
絶対零度。
物理的な氷結ではない。
原子レベルでの運動停止。
肉体を傷つけることなく、生体活動そのものをフリーズさせる、究極の術式。
「〈熱操作〉の逆位相ッッ!!」
俺の全魔力を込めた術式が、ゾーエーの肉体へと流し込まれる。
「ガ、ア……ッ!?」
ゾーエーの動きが、コマ送りのように鈍くなる。
黒い紋様の脈動が止まり、俺を貫こうとしていた触手が、切っ先数ミリのところで空中で凍りついたように静止した。
思考すらも凍てついたのか、黄金の瞳から光が失われていく。
「これなら……妹の体は傷つかない!」
ドサッ、と音がして、ゾーエーの体が崩れ落ちた。
成功した。
俺は荒い息を吐きながら、倒れた妹の元へ歩み寄る。
だが。
「……見事だ、人間」
地面に伏したまま、ゾーエーの口が動いた。
ピクリ、と指先が動く。強制停止させられたはずなのに、偽神の力をもって無理やり再振動させ始めているのだ。
「物質界の理で、この我を止めようとは……だが、足りぬ。我は止まらぬ」
ゆらり、と。
凍りついたはずの体が、不気味な音を立てて起き上がろうとする。
くそっ、これでもダメなのか。神の力は、物理法則さえもねじ伏せるというのか。
いや、違う。
俺の出力が足りていないだけだ。偽神の力を上回るだけの『停止』を叩き込めばいい。
「まだだ……まだ終わらせない!」
俺は限界を超えて魂を削る。
魔石などとうに砕け散っている。自分の生命力を燃料にくべて、術式を維持する。
「止まれッ! 分子よ、原子よ! 全ての運動を停止しろッ!」
俺の両手から、青白い光があふれる。
それは冷気ではない。静寂の光だ。
起き上がろうとしたゾーエーの体が、再びガクガクと震え、そして完全に硬直した。
瞬き一つ許さない、完全なる静止。
偽神の意志すらも、動く媒体がなければ機能しない。
「……勝った、か……?」
俺はその場に膝をついた。
妹の体は冷たいが、死んではいない。ただ、時が止まっているだけだ。 あとは、この動けない偽神をどうにかして引き剥がせば――。
「ほう、やるではないか」
その時、俺たちの間に小さな影が落ちた。
見上げると、いつの間にか近づいていた幼女――アントローポスが立っていた。
「うまいこと偽神を機能不全に追い込んだな。見直したぞ」
アントローポスは感心したように頷く。
だが、俺の視線は凍りついたはずのゾーエーに釘付けだった。
「……まだだ……まだ……ッ!」
ピキ、ピキキ……。
絶対零度で封じたはずの関節が、軋みながら動き始める。
「くそっ、これでも足りないのか……!?」
魂を削りきった俺には、もう一撃を放つ力など残っていない。絶望が喉元までせり上がった、その時だった。
「おい、ゾーエー。いい加減諦めたらどうだ」
アントローポスが、倒れ伏すゾーエーの額に、ぺたりと小さな掌を押し当てた。
それは攻撃でも、魔術の行使でもない。まるで、駄々をこねる妹を諭す姉のような、静かな接触だった。
「アントローポス……貴様、どういうつもりだ?」
ゾーエーが、凍てついた唇を無理やり動かして問うた。
その視線は、立ちはだかるかつての同胞へと向けられている。
「我らを裏切り、人間に加担するか。堕ちたな」
その糾弾に対し、アントローポスは不敵に笑って言い放った。
「いい加減、決着をつける時が来たのだよ」
アントローポスがそう告げた、その背後。
砂煙の向こうから、次々と人影が現れる。
白い翼を広げた天使シエナ。霊体として揺らめく賢者パラケルスス。
そして、傷だらけになりながらも駆けつけたミレイア、アウニャ、ユーディットたちだ。




