―８０― 霊域
「死ぬかと思った」
俺はそう言って嘆息していた。
「死体偽装か。よくやるよ」
呆れた口調のアントローポスがそう言う。
そう、今俺がいるのはアントローポスの霊域だった。
他人の霊域内で自分の霊域を展開できるか不安だったが、やってみたら意外と普通にできてしまった。
俺がなにをしたのか説明すると、単に地上に落下している最中に霊域を展開し、俺自身は霊域の中に入り、代わりにあらかじめ造っておいた俺そっくりの人造人間を地上に向けて落としておいたのだ。
今頃、シエナは地面に落ちて死に絶えている俺の人造人間を見つけて、俺が死んだと確信しているところだろう。
「とはいえ、この怪我をほうっておくわけにもいかないよな」
俺の胸にはざっくりと斬れた痕が残っている。さっき、シエナによってつけられた傷だ。
このまま傷をほうっておけば、死ぬ可能性が高い。
「なぁ、アントローポス。お前の力で、この怪我を治すことはできないのか？」
「無理だ。言っただろ、この霊域は精神にしか作用できないと。肉体につけられた傷を治すことは不可能だ」
「そうか。そもそも、あのシエナの霊域もお前の霊域同様に、精神にしか作用できないみたいなことはないの？」
「精神にしか作用しないのは我の霊域〈混沌の境域〉だけが持つ特長だ。天使の霊域は物質にも作用するはずだ」
「やはりそうか」
ダメ元で聞いてみただけからな。
やはり、シエナの霊域〈無辺の雲居〉は普通に物質に作用する異界という認識で間違いないらしい。
さっき傷つけられた傷は治す必要があるというわけだ。
だが、俺は治癒をする魔術に心当たりがない。
どうしたものか……。
「おい、アントローポス。俺の魂をそっちの人造人間に移すことは可能か」
俺が指し示した先には、予備に造っておいた俺とそっくりの人造人間がいる。
「できなくはないがいいのか？ 人造人間は所詮、まがい物の肉体だ。お前自身の肉体は死に至るわけだが」
「別に構わんな。俺自身の魂がどこにあろうがあまり興味がない」
大事なのは、俺の魂が死なないことだからな。
それを避けるためなら、どんな手でも使うつもりだ。
「貴様がそう言うなら、まぁ、いいか。こっちに来い」
アントローポスが手招きする。
なので、言われた通り近づいた。
アントローポスは左手を俺の体に、もう一方の手を俺そっくりの人造人間の手に添えて、目をつむる。
「〈魂の移動〉」
そう唱えると同時、自分の身に今まで感じたことがない違和感のようなものが駆け巡る。
そして、気がついたときには俺は人造人間の方の目を開けていた。
「無事成功したみたいだな」
隣を見ると、さっきまで俺が動かしていた体が立っている。その体についていた仮面を取り、自分に付け直す。
ふと、アントローポスが肩で息をしているのを見る。
「疲れたのか？」
「他人の魂を移動させるのは想像以上に魔力を消費するようだ。恐らく、今日はもう同じことができないぞ」
なるほど。なら、もう一度、似たような攻撃をくらってしまうと、同じ方法で治せないということか。
「それじゃあ、行ってくる」
「どこに行くつもりだ」
「それはもちろん、天使のところへ」
