~景子新垣のこぼれない話~
サモエド犬の酵母乳酸卍糧。室内犬の彼女ではあるのだが、常に自由を求め、ちょいちょい勝手に外へと単身で散歩に出掛けている。
この日も何時もの様に、何の当ても無くぶらぶらする予定だったのではあるが、今日は普段とは違う道を選択し、延いては遠出をしてみようと言う気分なのであった。
そうやって、遙々やって来ましたぜ、見知らぬ街へ。実に新鮮な気持ちである。
この日、酵母乳酸卍糧が訪れたそのエリアには、あのモアイ先生の中の人、新垣景子が入居する二階建てアパートが存する場所でもあったのだ。因みにそこの二○三号室が新垣景子の住処である。
新垣景子は以前に在籍していた学校にて、生徒や同僚教師からの虐めに遭った挙句、心に傷を負ってしまい、現役の高校教師でありながら、長年の引き籠もり生活を余儀なくされていた。
しかしそんな中、新垣景子は自身がハマっていたオンラインゲームにて、かの落語家兼発明家の天堂任と出会い、そこで包み隠さず己の実情、及び悩みを彼に告白したのである。さすれば天堂任はこの話を聞いたその瞬間に、それより三十分で作り上げたモアイ像型ドロイドを、新垣景子に無償で提供したのであった。
後日、新垣景子はこのモアイの風体を使って、試しにゲーム実況動画を、動画投稿サイト・ミーチューブへとアップロードしてみたのだ。そしたら、何とまあ、件のモアイのフォルムがネットユーザーに馬鹿受けし、程なくして人気のミーチューバーとして令名を馳せる結果となりまして、新垣景子は瞬く間に確固たるお笑いの地位を築く事に成功したのである。
いやはや何とも、今やこの日本はお笑い至上主義であり、それでいて何が起こるか分からない御時世でありまするな。
何はともあれ、彼女にとってこれなる天堂任との、斯様な奇跡とも言える邂逅は、まさしく超幸運であったと言わざるを得ない。
新垣景子はこの感謝してもしきれない思いから、天堂任に対して、「この御恩は一生忘れません……何て事は無く、恐らく明日には忘れていますよモアー」と伝えた。すると天堂任の返答は、「ふむう。有らん限りの力をふり絞って殴り倒してやろうかなのである」であった。無論の事、こいつは二人の間でのボケとツッコミである。
さてさて、これにより新垣景子は、当該のモアイロボットを遠隔操作し、きっちりと教員の仕事も続けられる事となったのである。それにより、給料はちゃんと毎月振り込まれるし、欲しい物があれば全て通販で賄えるしで、正直外出をしなくても生きて行けちゃうのであった。
だがしかし、これでは「引き籠もりである事実の根本的な解決」には到っていない訳である。
そう、新垣景子と言う人物は元来、「生で人と関わりたいですモアー。直接人と会ってお喋りしたいですモアー。人は一人では生きて行けないのですモアー。人と人の間と書いて人間ですモアー!」と言う風に考えている人種であるのだ。
なので、このままズルズルとぬるま湯に浸かっていれば、「今後、私はどんどんと病んで行ってしまう一方ですよモアー」と言った感じで、自身の事は自分が一番良く理解しているってな現況なのであった。
しかも、高校生芸人達が放水魔に果敢に立ち向かって行く姿を目の当たりにしてしまい、新垣景子自らが無性に、「リアルで生徒達と触れ合いたい」と言う思いに駆られ、「早く外の世界へと出なければ」と、強力に思ってしまったのだから。
とどの詰まり、今のままでは全く駄目なのだ。
……とは言うものの、一度でも人間不信に陥ってしまった壁は果てしなく厚い。ガチのヒッキーに取って、最初の一歩を踏み出す事が、全く以てどれだけ大変な事か。
新垣景子は恐怖心からか、なかなか決断出来ずにいて、途方に暮れ頭を抱えている真っ最中であったのだ。
このような中、「ここは一つ気分転換で、久しぶりに外の景色でも見てみましょうかいねモアー」と、さっとカーテンを開け、窓の外を覗いたその瞬間であった。
直ぐ下の通りをトコトコと歩く酵母乳酸卍糧の姿が、新垣景子の眼前に飛び込んで来たのである。
猫派なんて糞食らえな、何てったって無類の犬好きである新垣景子であるのだ。
【今直ぐにでもモフモフをしに行動を起こしなさいモアー】
この心中フレーズが新垣景子の脳に命令を下すと同時に、新垣景子の体も独りでに動き出していた。そして、彼女がはたと気が付いた時には、こんな事もあろうかと買い置きをしておいた最高級ドッグフードを片手に、住まいの外へと飛び出していたのであった。
酵母乳酸卍糧は、「な、何だ!? この突如目の前に現れたセクシーボディなおねいさんは」と警戒したのだが、新垣景子の手に持つ御馳走には抗えなかった。
なので腹を括った酵母乳酸卍糧は、「しょう事無しね。ここは大人しくして、存分に私の体をモフらせてやろうかしら」と決意したのである。
幸いな事に、犬用シャンプー・リンスをガッポリ使用して、シャワーを浴びて来たばかりの酵母乳酸卍糧であったので、「ウフフ、芳しい香り過ぎて気絶しないでよ、おねいさん」と思う酵母乳酸卍糧であった。
こうして、新垣景子の巣籠もり生活は、あっさりと終わりを告げた。
この日を境に、新垣景子と酵母乳酸卍糧が、定期的に顔を合わせるフレンドとなった事は、世間一般ではあまり知られていない。
まあ、又もや意外な所で酵母乳酸卍糧が役立っていたってな事と、物事何てちょっとした切っ掛けさえあれば、案外拍子抜けするほど簡単に解決したりするんだよってな、希望のお話なのでしたモアー。